2007 November

Sphinx Broadcasting Station

SENDAI AKIU - Life, Work, Weblog

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更新日 2009-01-02 | 作成日 2007-10-20

11月28日(水)

夕暮れの泉ヶ岳


 夕暮れの泉ヶ岳を歩いてきました。木立の中を1時間半ぐらい歩いて,水神コースも少しだけ登りました。人気のない山の中は,不意の風で木々がざわめく他はとても静かです。短かい時間で気持ちをリセットするまではいきませんでしたが,自然の波長からずれていた部分を少し修正できたような気がします。

※写真クリックで拡大します。

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11月25日(日)

九九の合成・分解


 taroは小学2年生で,ちょうどかけ算の九九を習っているところです。そのtaroが先日,2×7 と 3×7 の答えを足すと 5×7 の答えになる,ということを習ってきました。文字で書けば,(n+m)x=nx+mx ということで,別段不思議なことはない計算なのですが,かけ算をこんなふうに分解したことがなかったので,とてもおもしろいと思いました。

 九九を覚えたてのこどもたちには「苦手な段」というのがあるらしく,たとえば 6×8 を忘れてしまったときには,3×8=24 と 3×8=24 を足して 48 という答えが分かるというしくみです。

 このやり方を応用すると,とたとえば 12×7 なんていうのも暗算ですぐに答えが分かりますね。6×7=42 を2倍にすればいいのですから 12×7=84。14×7 も (7×7)+(7×7)=98 など。うん,なかなかおもしろい!


11月24日(土)

名残惜しい鳴子温泉


DSCF1912.JPG クーッ!

 昨日は鳴子温泉に行ったというのに,温泉には入れずに帰ってきました。MAPミーティング2007というMAPの研修会が鳴子小学校であって,そのために鳴子温泉まで行ってきました。温泉の硫黄のにおいが私を呼んでいたのですが,日が落ちて寒くなり道路が凍結する心配もあったし,結婚記念日でもあったので,温泉には入らずに早く帰ることにしました。自分で決めたことではありますが…あぁ残念!

 ところで,鳴子温泉までの往復で170km走ったWISHの燃費は15.4km/l。仙台市内に入る直前の燃費は,130km走ったところで16.1km/lだったのに,夕方の仙台の渋滞にはまってしまうと,どうしても値が落ちてしまいます。

こどもからケンカを取り上げる大人


 私がこどもの頃はよくケンカをしていたと前に書きましたが,そのせいか,私は誰かがケンカをしているのを見ても止めに入ることはほとんどありません。理由があってしてるケンカでしょうから,気の済むまでやったらいいと思うのです。理由を知らない第三者が止めてしまったら,互いにそれが解決しないまま,相手へのマイナスの感情だけが心に遺ってしまいます。

 ケンカするほど仲がよいなんていう言葉がありますが,こどもの頃にケンカをした人なら,ケンカのあとの方がより深く仲良くなれるということを知っているでしょう。これってとても大事なことじゃないかと思うんですよ。つまり,対立も仲良くなるための一つのステップということを知っているということだからです。

 最近のこどもたちはほとんどケンカをしないみたいですね。うちのtaroも学校でケンカをしたことがないと言います。ケンカをしないということは,対立のあとにさらに仲良くなれるということを知らないということです。今時の高校生は,仲間同士の対立を極度に忌避し,自分の気持ちを曲げてでも衝突しないように気を遣う人が少なくないのですが,これもケンカの不足からくるものではないでしょうか。つまり,本音で相手と向き合った経験がないので,怖くて対立できないんです。

 ところで,私の周りの大人は,生徒同士だろうが大人同士だろうがケンカと聞くとすぐ止めに入ります。ほとんど例外なくそうなので,自分の考えは間違っているのかと不安になるほどです。でも,昨日のMAPミーティングでいろんな方の話をうかがっていて,やっぱり間違ってないと意を強くしてこれを書いているわけです。ケンカと聞くとすぐに仲裁しようとする大人の存在は,自分の気持ちの処理まで誰かがやってくれるという世界観を生み出します。こどもが自分ですべきことをそんなふうに大人が奪ってやってしまう社会の中で,自立した人間が育つわけはないですね。新入社員研修で会社の人事が現場に言われることは「とにかく人間にしてからよこしてくれ」ということだそうです。あいさつができない,謝るかわりに言い訳をするなど,およそ自立にはほど遠い,社会人として使えない若者が増えているという現実。これはこどもが悪いのではなく,私たち大人が彼らをそう育てたと自覚するしかないですね。

11月23日(金)

自然の中で遊ぶ


DSCF2231.JPG 井上ひさしの「新釈遠野物語」を読んでいて思ったのは,昔はもっと自然が怖かったということ。川や沼に釣りに行けば河童が出てきそうだったし,山で遊べば天狗が出てきてもおかしくないと思えました。夜,田んぼのあぜ道にゴザを敷いて星を見ているとき,近くの藪がガサガサと音を立てれば,心臓がビュンと跳ね上がってしばらく動悸が止まりませんでした(鳥が飛び立つだけなんですが…)。

 その頃は,今よりずっと自然に近いところで生きていたように思います。taroやayuにもそういう自然体験をさせたいと思うのですが,こどもたちだけで自然の中に放してやるのはちょっと不安で,いつも親と一緒です。でも,自分一人だったり,こどもたちだけだったりするから怖いのであって,親と一緒なら別に怖くはないんですよね。沼に落ちて溺れないとか急な崖に不用意に近づかないとか,最低限の危機管理ができるようになったら出したいと思いますが,いったいいくつぐらいになったらそうなるのかの見当もつかず…。

 自分のこどもの頃を思い返すと,けっこう小さい頃から田んぼや沼で遊んでいたように思います。学校から帰ったら玄関にランドセルを置いて,バケツとザルを持って田んぼに走りました。用水路にいるザリガニやドジョウ,フナをとるためです。また,自転車で行ける範囲にタナゴが釣れる川と大きなフナの釣れる沼があって,朝6時頃から自転車で出かけて釣りをしたものです。夏には家の周りで虫取りあみを振り回していましたし,冬に雪が降れば家の庭や裏でミニスキーもできました。

 今のtaroでも,自然の中に出してやれば意外に適応できるのかもしれませんが,まずは親と一緒に自然の中で遊ぶ体験を積み上げるのが先でしょうか。中学生になると部活などで忙しくなるでしょうから,小学生の今のうちですね。

11月22日(木)

新釈遠野物語(井上ひさし)


tohno.jpg ここ1週間ほど,のどの痛みと咳が出て,元気なく過ごしています。風邪をひくと頭もぼんやりしてしまって,仕事も進まないし,考え事もできません。

 そんなときは本を読むに限る。ということで,2階の書棚から掘り出してきて読んでいるのが,井上ひさしの「新釈遠野物語」です。前に読んだ記憶はないのですが,本棚にあるということは,きっと読んだんでしょう。忘れっぽいという欠点も,こういうときは長所になりますね。まったく内容を覚えていないので,新鮮な気持ちで読むことができます。

 井上ひさしさんは山形県出身で仙台育ちというところが自分と似ていて,勝手に親近感を覚えています。といっても特にしっかり読んでいるわけではなく,「吉里吉里人」も未読です。北杜夫の「楡家の人々」を読み終えてから長編を読んでいないので,この際「吉里吉里人」にも挑戦してみようかな。

11月18日(日)

自分の頭で考える…自分というブランド


 高校の教員として生徒に一番伝えたいことは何かと問われれば,「自分の頭で考えて,自分で行動する人になること」と答えます。実際,生徒たちにはいろんな場面でそういう刺激を与えてきたと思います。たとえば向山高校の地学部の卒業生から聞いた話 ------- その生徒がウニの化石の研究のために英語の論文と格闘していたときのことです。「先生,論文にこう書いてあった!」と喜々としてやってきた生徒に私はこう言ったのだそうです。

「で,あなたはどう思うの?」

 その一言が,とても印象に残ったとその卒業生は言っていました。論文に書いてあることより自分の考えを優先させるやり方に衝撃を受けたと言うのです。自分ではそんな返事をした記憶はまったくないのですが,今考えても確かにそう言うだろうな思います。論文というのはそれを書いた人の考えが書いてあるわけですから,それが真実かどうかは分からないのです。自分の経験と考えに基づいて,それをどう受け止めるかを自分で決めなければ研究なんてできません。

 金曜日に「長いものに巻かれない」という話を書きましたが,研究にしろ人生にしろ,自分の判断と感性でやっていくには,「で,私はどう思うか」と考えたり自分の中の自分と対話したりしなければならないんですね。じっくり考えて,自分と対話して,その結果出てくる結論だから自信をもって「それでよし」と思えるわけです。

 ところが,この大事な部分を省略してしまっている人が,けっこういるんじゃないかなと感じることがあります。他の人の言うことにすぐなびいてしまったり,「違う」と言われるとすぐに考えを変えたり,あるいは逆にムキになって怒り出したり,テレビから流れてくる情報を鵜呑みにしたり…。ルイ・ヴィトンやコム・デ・ギャルソンのような,いわゆるファッション・ブランドも人真似からは決して生まれないわけで,他と違うオリジナリティと高い品質があって初めてブランドとしての地位を確立できます。自分というブランドを確立するためにも,よく考えた中から出てくる自分のオリジナリティと品質を大切にしたいと思います。人真似だけの偽ブランドのような人生じゃつまらないですからね!

考えるヤツは、ムダにキレない(“アンチ天才”のボトムズ流仕事術)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070918/135215/ LinkIconリンク


11月16日(金)

長いものには巻かれない


 誰かが違うといっても,自分が正しいと思えば正しい。誰かが嫌いだと言っても,自分が好きならそれでいい。みんなが黙っていても,言いたいことは言う。

 自分の性格について,過去を振り返るといろんなエピソードが思い出されます。大学院で指導してくれた教授から「助手にならないか?」と誘われたときも,「私のアドバイスに反論してくるのは君だけだ」というほめ言葉をいただきました(でも自分の研究なんだから,アドバイスが違ったら違うというのは当たり前ですよね〜)。こどもの頃も,周りがみんなケンカの強い子の手下になる中,その子にケンカで負けても手下にはならず独自の路線を歩んでいました。それでも無視されたり干されることはなく互いに相手を認め合って共存してました。そういえば,私がこどもの頃はケンカをしに学校に行っていたと言えるくらい日常的にケンカしていて,それを先生に止められたこともありませんでしたが,うちのtaroも含めて今のこどもはケンカをしませんね。なんで昔はあんなにケンカができたのかな。

 こんなかんじで長いものに巻かれない生き方をずっとしてきたので,立場をわきまえるとか,空気を読むとか,そういう言葉は私の辞書にはありません。周囲の考えや感覚とずれて疲れるなと感じることもありますが,最近はむしろ長いものに巻かれている人の方が疲れているのかもしれないと思うようになりました。特に,高校生の友人関係に存在する同調圧力の強さとそれに無理に合わせようとする涙ぐましい努力を見てて,恐ろしい世界だなと…。

 下にリンクした文章を読んたあと,こんなことを思いました。

2007年11月13日 (火) 視点・論点「変わった人」

11月13日(火)

テストを生かす


 先日,うちのクラスでテストを行いました。「養護学校でテストなんてあったっけ?」なんていう保護者の声も聞こえてきましたが,あるんです(うちのクラスには)!

 ある生徒には計算と書き取り,ある生徒には県名・国名,またある生徒にはボルトの組み立て,という具合に,一人一人に違う問題が与えられます。今年度の個別目標に基づいてこの数ヶ月間勉強してきたことが,どれくらい身についたかを確認するためのテストなのです。

 もちろん,成績をつけるのが目的ではありません。目標(ゴール)にどの程度近づいているかという現在地を知って,指導の点検をするためのものです。それに加えて,生徒たちの意欲を高めることも,ちょっとねらっています。生徒たちは「テストをします」と言うだけで緊張し,「やめ」と言われるまで一生懸命問題に取り組みます。日ごと何となく取り組んでいる学習が,テストで役に立ち,できるようになった自分を感じることができる。その達成感が次の学習の動機付けになってくれれば,指導の点検と合わせて一石二鳥の成果です。

 さて,テストといえば,先日「全国学力テスト」の結果が公表されました。この結果から何が言えるのか,昨日読んだ志水宏吉氏(大阪大学教授)の解説は,納得できるものでした。

2007年11月09日 (金) 視点・論点 「学力新時代の課題」

 この解説で言われている「学校が立地する地域の社会経済的状況が,子どもたちの学力形成に及ぼす影響は思いのほか大きい」ということは,私も政令指定都市や地方都市,郡部などいろんな地域の生徒を見てきましたが,実際に感覚的に感じていることでした。学校ががんばっているかどうかということよりも,それ以前に,どんな地域に住んで,どんな経済状態で暮らしているかのほうが,生徒の学力に大きな影響を与えてしまうということがあるんですね。

 また,今回のテストからは「家で宿題をするこどもほど,あるいは読書が好きなこども,進学塾に通うこどもほど正答率が高いという傾向が見えた」とのことで,個々の生徒の学習に対するモチベーションの高さも,成績に影響を与えることが示唆されています。まあ,これは当たり前のことです。が,その割には学校現場で意外に大切にされていないと私は感じています。今の学校では「どうしたら勉強したいという生徒に育つか」よりも「どうしたら生徒に勉強させることができるか」という発想が基本じゃないでしょうか。

 今回の全国学力テストには70億円以上のお金がかかっているそうですが,大切なのはこのテスト結果をどう解釈して,今後何をしていくかということです。たとえば各県別の成績で下位になってしまった県が,もっと学習時間を延ばせ,補習をしろ,個別対応をしろなどと,学校や生徒にむち打つような「対策」を取るなどといった,脊髄反射的な方向に今後の動きが進むとしたら,70億円はどぶに捨てるようなものでしょう。個々の生徒の学習へのモチベーションをどう高めるか。今の「格差社会」をどうしていくか。遠回りのようですが,本当はこのような大きな問題から考えていく必要があるのだと思います。つまり,学力は学校の問題という認識が誤りだと気づかないうちは,学校も生徒の学力も,よくはならないのです。

2007年10月24日 (水) 時論公論 「全国学力テストの結果は?」

11月11日(日) 雪虫




DSCF2488.JPG DSCF2510.JPG 雪虫

 昨日はtaroの小学校の学芸会でした。taroのクラスはハンメルンの笛吹を土台にした劇でしたが,ストーリーもこどもたちの演技もなかなかよくできていました。

 その学芸会からの帰り道,雪虫に出会いました。今シーズン初です。今年の冬はどんな冬になるのでしょう。灯油の値段が上がっているので,暖冬になってくれるといいのですが…。

11月11日(日) 日経ビジネスオンライン


 日経ビジネスオンラインというサイトがあります。文字通りビジネス関係の人を対象にしたサイトですが,私が読んでも面白い記事がたくさんあります。昨日,久しぶりにまとめ読みした中から,私のツボにはまったものをリンクします。

  • 自立とは何か?(遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」)LinkIconリンク
  • 会議がつまらない——集団浅慮の落とし穴(入門! 社会心理学)LinkIconリンク
  • 他人に合わせてしまう——自己と集団の間にある葛藤(入門! 社会心理学)LinkIconリンク
  • 安倍辞任を広告コミュニケーションの視点から見るLinkIconリンク
  • 新自由主義と新保守主義の狭間で立ち尽くした安倍ニッポンLinkIconリンク

 特に「集団浅慮」については,先日ある会議に出席したときに,当たり障りのない予定調和的な結論と反対意見を封じようとする雰囲気にかなり怒りを感じたところだったので,私にとってタイムリーな記事でした。

11月10日(土) 光明祭のパンフレット


 このトップページのデザインを変えてから,アクセス数が半減しています。以前もデザイン変更のあとに同様のことがありましたが,どうしてかなと思っています。このデザイン,見にくいですか?

 さて,今週は3つほど仕事のピークが重なっててんてこ舞いでした。その中の一つが光明祭のパンフレットです。光明祭はバザーと学習発表会を合体させたような行事で,高等部は作業作品販売で参加します。私の担当は,当日のパンフレットの作成でした。実際に配るパンフレットは白黒印刷ですが,学校のウェブサイトにはカラー版を掲載しています。カラー版は光明祭のポスターとデザインをシンクロさせたもので,自分としては満足の仕上がりになりました。お近くの皆さん,パンフレットをご覧になって,どうぞ光明祭にお越しください。

光明祭パンフレット

11月10日(土) 連帯責任は非教育的では?


 部員2名が押し入れで大麻を育てていたとして逮捕された事件に関連して,ラグビー部の優勝返上と対外試合の自粛が決めたというニュースがありました。

 いつも感じることですが,部員の個人的な不祥事で部活動全体が反省の態度を示さなければいけない根拠はなんでしょう。大学理事長は「世間の考えを忖度し、最終的な答えを出した」と述べたそうですが,ということは純粋に教育的な見地からの判断ではなく,外部の人間の批判に耐えかねて連帯責任を取らせることにしたんですね。

 こういう責任の取らせ方で,部員は何を学ぶんでしょうねぇ。あるいは大学は何を学ばせようと思っているのでしょうか。単に優勝返上や試合の自粛をしたという「結果」だけでこの件を終わらせてしまうなら,教育的には何の意味もないどころか,事件を起こした仲間への恨みだけが残るのだと思います。結論を出す前に,仲間として何ができたのか,何をすべきだったのかという振り返りが絶対に必要です。振り返りの中で自分たちにも責任があるということになれば,部員が自主的にその責任に応じた対応をとればいいのです。優勝返上と試合の自粛でもいいし,他の責任の取り方もあるでしょう。自分たちに非はないと思うなら,外野がなんと言おうと胸を張って試合に出ればいい。学びとか教育というのは,そういうプロセスの部分にあるのだと思います。

関東学院大ラグビー部、一転して試合辞退へ 大麻事件で

11月10日(土) 「かぐや」による月面のハイビジョン映像


 先日,仙台でひらかれた地震学会に参加した大学時代の友人が,うちに遊びに来てくれました。同じ学科の知人は今どうしてるかという話の中で,私が所属していた金属鉱床学講座の後輩が「かぐや」のプロジェクトの重要なメンバーであるという話を聞いて驚きました。

 宇宙航空研究開発機構のウェブサイトを見ると,確かに「かぐや」のメンバーとして写真も載っています。アサヒコムの特集記事の中にも名前が載っていました。こうして研究の最前線で知人ががんばっているというのは,うれしいと同時に励まされているような感じがします。

 今日のアサヒコムには,「かぐや」が世界で初めて月面を至近距離からハイビジョン撮影したという記事も載っていました。宇宙航空研究開発機構のウェブサイトに動画があります。こういう映像を見ていると,心が癒されます。

「手鏡」飛ばし裏側探る 月へ〜「かぐや」探査計画・3
宇宙航空研究開発機構

11月04日(日) 太白山自然観察の森

2007.11.04

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DSCF2202.jpg DSCF2223.jpg DSCF2220.jpg 

 昨日は仕事中心で過ごすつもりだったのですが,青空に誘われて出かけてしまいました。行き先は,太白山自然観察の森。家から車で20分ぐらいの場所にあります。自然観察センターで予習したあと,自然観察路へ。今回は「であいの道」を登って「みはらしの道」を降りてきました。観察路には番号杭が数十m置きに設置されているので,こどもたちは地図と番号杭を見比べて,自分の位置を確かめながら歩いていました。

 昨日はめぼしい生き物たちには会えなかったので,こどもたちはちょっと残念そうでした。でも歩き終わって車に戻ったら「明日も来る!」と言っていたので,楽しかったようです。紅葉はまだ少しだけだったので,秋がもう少し深まった頃にまた連れて行こうと思います。

11月03日(土) 木箱のリンゴ

2007.11.03

http://www.sozaidaisuki.com/ こどもの頃,青森の実家から送られてくるリンゴは木箱に入っていました。届いた木箱を開けると,目に入ってくるのは大量のもみ殻。もみ殻をかき分けると大きなリンゴが現れます。しばらく忘れていたことですが,今朝の食卓でtaroが「ラ・フランスはあまり好きじゃないからミカンを食べる」と言ったときに突然思い出しました。

 taroにそのことを話すと「宝探しみたいで楽しそうだ」。自分がこどもの頃も,宝探し感覚だったかもしれません。こどもたちにもそういう体験をさせてあげたいと思いますが,今もそうして売ってくれるところはあるんでしょうか。あぁ…わざわざ買わなくても,近くの田んぼのもみ殻をもらえばいいのか!