Sphinxのつぶやき

2002年のつぶやき

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Sphinxのおすすめの本(『ぼくは うみが みたくなりました』)

自閉症の青年が主人公の小説『ぼくは うみが みたくなりました』を読み終えました。自閉症の青年,浅野淳一くんと,偶然出会った看護学生の明日美さん,それにまたまた偶然であった老夫婦のあわせて4人が,成り行きにまかせて三浦半島をともに旅する1泊2日の物語です。

テンポよく,爽やかに軽やかに話が進んでいくんですが,最後の最後でほろっとさせられます。自閉症がテーマになっている小説ですが,私自身はそういうことをほとんど意識しないで,ひとつの小説として楽しめました。読み終わって,爽やかで,ほんわか暖かい気分になっています。自閉症のことを知らない人が読んでも,まったく違和感なく読み進められると思います…自閉症の人が主人公の映画「レインマン」がそうだったように。この本がどんどん売れていったら,主人公の浅野淳一くんは,日本のレインマンと呼ばれるようになるんじゃないかな。そんな期待をもちました。

この小説の舞台となっている三浦半島は,まだ一度も訪れたことがありません。でも,この本を読んだあと,Mapionで城ヶ崎大橋,三崎漁港,北原白秋記念館,観光船乗り場などを見ていたら,なんだか自分もその風景に身を置いてみたくなるのでした。

障害者の選挙権について

今日の朝日新聞家庭欄に,『光とともに…』の紹介記事が載っていました。「自閉症児の母に共感」という見出しです。これでまた読者が増えますね!行け〜行け〜どこまでも!

ところで,今日の朝日新聞社説でも取り上げられていた,ALS患者の代理投票の問題について。これは,自筆できず外出も困難なALS患者が代筆による投票を行おうとしても,現行の公職選挙法施行令では代筆が認められないという問題です。このたび東京地裁で「違憲状態」という指摘を受けて,政府が今の制度を見直す方向で検討に入るようです。いいことですね。

ALS患者だけでなく,身体的・知的ハンディのある人の投票については,まだまだ改善されるべきことが多いのではないでしょうか。例えば,養護学校を卒業した生徒たちは,ちゃんと選挙権を行使しているのでしょうか。先日,自閉症の方が一人で投票を行ったときに使った「サポートグッズ」を見せてもらいました。投票所で何をどういう順番ですればいいか,絵入りで説明したカード集です。こういう取り組みが,もっと広がるといいなあと思います。

また,知的ハンディのある人が,自分の判断で投票する人を選べるような情報提供が,これからは必要なのではないでしょうか。選挙のときに放送される演説は難しい言葉の羅列,各戸に配付される資料はどれも字ばかり。私が読んでもよく分からないものが多いです。ぜひ絵やシンボル満載にして,誰が聞いてもよく分かる演説,誰が見てもよく分かる資料にしていただきたい。最新のデータによると,自閉症の人は,軽度の人まで含めると100人に1人ぐらいはいるそうです。その人たちにアピールできたら,得票率アップですよね!

潜入レポート:行動分析家は見た!「行動分析学からみたTEACCHプログラム」を読んで

特殊教育に関するとっても刺激的な文章を読みました!鳴門教育大学の島宗(しまむね)先生の文章です。特殊教育に携わる先生には,ぜひ読んでいただきたい文章です。読みやすい文章で書かれてるので,行動分析を深く知らなくても読める内容になってます。

●潜入レポート:行動分析家は見た!
 行動分析学からみたTEACCHプログラム

http://rcse.naruto-u.ac.jp/simamune_cnet/s_saga/saga.html

●自閉症サポートの最先端−TEACCHプログラムに学ぶ(2)
 [第40回日本特殊教育学会、自主シンポジウム]

http://rcse.naruto-u.ac.jp/simamune_cnet/s_TEACCH_Symposium.html

このうち,上の方の文章は,TEACCHプログラムのアイディアを,行動分析学から解釈したものです。見出しを紹介すると,「構造化のアイディアのABC分析」「スタッフマネジメント」「ライフサポートについて」の3部構成になっています。この文章を読んだ感想を,思いつくままに下に書きました。

以上,島宗先生の文章を読んで思ったことを書き連ねました。この文章の責任は,もちろんすべて私にあります。また,「TEACCHプログラムに学ぶ(2)」には,私が先日参加した「自閉症カンファレンス」のことが少しだけふれられていますし,私がお世話になっている香川大学附属養護学校の坂井聡先生の話題提供について詳しく紹介されています。こちらもぜひどうぞ。

パールとのお別れ…

寒くなりましたね。通勤路の川岸の林がとてもきれいに紅葉しています。また,川の水が冷たい空気に接して,川面から湯気が立ちのぼる光景を,今シーズン初めて見ることができました。とてもきれいな景色。立冬も過ぎ,季節は冬です。

そんな中,我が家ではさびしいお別れがありました。9年間我が家でともに過ごしたパールが永眠したのです。実は『Disny On Ice』に行くときからかなり状態が悪くて,帰ってきたらどうなっているか…という状況でした。でも,その日はがんばってくれて,次の日の月曜日,家族みんながそろっているところで,ニャーとひと鳴きあいさつして終わりでした。次の日,名取市の斎場で骨にしてもらい,今は骨となって我が家にいます。

うちに来たのが9年前。まだTaroもAyuもいない頃でした。我が家の子ども代わりとして,心を和ませてくれました。このところ食欲のなかったパールが最後におねだりしたのは,Aldoのつくったハラコ飯…うーん,食べさせてあげればよかった。それが心残りです。もともとは目の大きいかわいい雌ネコだったのですが,最後の姿はバロン男爵(※)にもにた凛々しさ。これからは,空から凛々しく我が家を見守っていてくれることでしょう。よろしくねパール。

※映画『耳をすませば』に登場したネコの人形。『猫の恩返し』にも出てるそうです。私はまだ見ていませんが。

起きてビックリ,雪で真っ白な景色です。

掲示板でのパールに関するコメント,ありがとうございます。忙しいと言いつつ,こんなページをつくってみました。

Sphinxのおすすめの本(『光とともに…』)

光とともに第3巻表紙

自閉症児が主人公のコミック『光とともに…』の第3巻が,10月31日に発売になりました。

自閉症という障害は,その名称のもつ雰囲気から,常に誤解がつきまといます。例えば,「自閉症は心の病気で,優しくすれば治る」とか,「母親の育て方が悪いと自閉症になる」など。そんな時代遅れの誤解をしている人には,この『光とともに』が最適!

著者の戸部けいこさんは,自閉症児やその保護者,それに自閉症の療育にたずさわる教師やドクターに綿密な取材をして,自閉症の本当の姿や,家族の日常,現在の最先端の療育の様子をとても感動的に描ききっています。実は誤解をしている人だけじゃなくて,実際に自閉症にかかわる私たちにとっても,勉強になり,勇気づけられることがたくさんあるコミックなのです。コミックだからといってあなどってはいけませんよ。某大学では,これが講義テキストにもなっているんですから。

蔵王高校の図書館にも,この『光とともに…』の第1巻,第2巻が2冊ずつ入っています。図書の先生の話では,生徒たちに大好評だということです。この『光とともに…』をとおして,自閉症に対する正しい認識を持って社会に出る高校生が少しずつ増えていくことでしょう。

いつの日か,日本もアメリカのように,「この子は自閉症です」と一言言うだけで,すべてが通じる社会になってほしいです。まだこの『光とともに…』を手に取ったことのないあなた,ぜひ,一度ご覧になることをおすすめします!あ,ちなみに,『光とともに…』は,月刊コミック『for Mrs.』にて連載中です。それから,余談ですが,先日の自閉症カンファレンスで戸部けいこさんにお会いしたとき,第3巻の裏表紙になった光くんの原画(コピー)をいただいちゃいました。うれしい…えへへ。

中学校理科研修会:焼河原(仙台市泉区)で化石採集

10月24日(木),中学校理科研修会を受講された先生方と,焼河原(仙台市泉区)で化石採集をしました。午後の活動で時間が少なく,化石の採集は正味1時間ほどでしたが,皆さん興味を持って取り組んでいました。最初の30分はなかなかいいものが出なくて,今年は不作か…と心配しましたが,終了間際になってタカハシホタテの発見が相次ぎ,終わってみれば,タカハシホタテ5〜6枚という大漁になりました。一番大きな収穫は直径15cm以上のタカハシホタテ。こんな大きなものは,今まで標本では見たことありましたが,実際に地層から出てきたのを見たのは初めてです。私もやや小さめのセンダイニシキをゲット。夏休み以来数ヶ月ぶりに化石採集を楽しみました。研修会で使った資料と,当日の活動風景を,「地学の部屋」で公開する予定です。

また,午前中の講義の中で,研修センターの伊藤先生が「動くミマツダイヤグラム」を紹介されていました。これは,三松正夫記念館で購入したもので,パラパラマンガのようにめくっていくと,昭和新山の成長の様子がわかるというもの。おもしろいアイディアだと思いました。こういうのはGIFアニメでもいけそうだと思って探してみたら,ありました!北海道立理科教育センターのサイトに。どうぞご覧ください。

※採集の様子などはこちらをご覧ください

『アスペルガー症候群を知っていますか?』の紹介

おすすめサイトを一つご紹介します。普通の社会生活を送っているけど,周囲の人からちょっと変わった人と思われているような人の中に,アスペルガー症候群とか高機能自閉症という診断名のつく人がいます。アスペルガー症候群(≒高機能自閉症)は,自閉症のなかに含まれる発達障害です。知的発達には遅れがないので,小中学校の通常クラスから高校に進み,大学を立派な成績で卒業する人も少なくありません。しかし,自閉症特有のコミュニケーションの問題や,社会性に関する問題をもっています。最近の研究では,200人から300人に1人の割合でいるという報告もあるそうです。ということは,学校に1人や2人は必ずいるということになりますね。

アスペルガー症候群の人は,変わった行動をすることがあり,そのために周囲の人に誤解されたり,場合によってはいじめられたりすることがあります。しかし,周囲の人がアスペルガー症候群を正しく理解し,どのように対応すればいいか心得れば,誤解やいじめは少なくなるはずです。

日本自閉症協会東京支部が,今年の8月に「アスペルガー症候群を知っていますか?」という小冊子を作成しました。アスペルガー症候群を一般の方にも理解してもらえるように,平易に具体的にまとめたものです。挿絵もたくさん入ったA5判25ページで,すぐに読み終えることができます。先月,この冊子のインターネット版が公開されました。挿絵などは省かれていますが,冊子よりも少し詳しい説明になっているようです。アスペルガー症候群って何だ?と思われた皆さん,ぜひこのサイトをご一読ください。あなたの周りにも,もしかしたらいるかもしれません。

名取養護学校の学習発表会にいきました

昨年まで勤務していた名取養護学校の学習発表会を見に行きました。在職した2年間に担任した生徒たちや,中学部で一緒に勉強した生徒たちが,日頃の学習の成果を披露して一生懸命演技していました。演技の中には,私が昨年から関わっていた学習内容に関するものもあり,みんな去年よりずっと成長していて,とてもうれしく思いました。

それから,昨日は昨年度担任したTくんが転校する前の最後の登校日でもありました。昨年度私が担任したクラスは,生徒と担任の先生一人がそのまま持ち上がりで2年生になっています。学習発表会が終わったあと,クラスで最後のお別れ会があり,私も参加しました。去年と同じ生徒たち,保護者の皆さん,教室内の絵カード,パソコン…。とてもよく見慣れた風景です。生徒たちの私に対するかかわりかたも,6人6様でこれまた昨年と同じ。生徒たちと一緒にいると,昨日も,おとといも,自分はこの教室にいたんじゃないか…そんな気持ちが自然とわいてきて,切なくなるのでした。

Tくんは,引っ越しのことを気にしているようで,やはりちょっと元気がなかったです。短い時間でしたが,参加者一同Tくん&お母さんと一緒の時間を楽しんで,お別れをしました。Tくんのお母さんには「カレンダーの指導,途中で放り出して転勤するんだから!」とおこられてしまった。(^_^;) どうもすみません!!(._.) 中学部に遊びに行ってももうTくんとは会えないのか…う〜ん,寂しいなあ。でもTくんは周囲を楽しませる愉快なキャラクターだから,新しい学校でもきっと人気者になるでしょう。環境の変化に慣れるまでがちょっと心配だけど,元気でね!

タロー:おしゃぶり卒業の顛末

3歳を過ぎても寝るときにおしゃぶりを手放せなかったTaroですが,ようやくおしゃぶりなしでも眠ることができるようになりました。今日はその顛末を…。

ある日,家中のおしゃぶりを隠してから,Taroにこう言いました。

「Taroのチュパは旅に出ました」(おしゃぶりのことをうちではチュパと呼びます)

これは,Taroの好きな絵本「かばんうりのガラゴ」からいただいたアイディアです。ガラゴは旅をしながらかばんを売り歩くキャラクターで,物語はいつも「ガラゴは たびする かばんやです」というフレーズで始まります。

チュパが旅に出た1日目の夜,「チュパちょうだい」と泣いて騒ぎましたが,やがて泣き疲れて寝てしまいました。二日目の朝,Taroにおしゃぶりのことを聞いてみると…,

「旅に出ちゃったんだ。アフリカに行ったんだ。」

とのこと。それで,こんなお話しをしました。

「チュパは たびする おしゃぶりです。Taroがもうお兄さんになったので,チュパは新しい赤ちゃんを捜す旅に出かけました。アフリカに着いたとき,Taroにそっくりなくりくり頭の赤ちゃんを見つけました。チュパはその赤ちゃんと一緒にいることに決めて,赤ちゃんの口に入っていきました。おわり。」

なぜアフリカなのか親にもわかりませんが,とにかく旅に出てしまったことをTaroは納得しました。二日目の昼寝,二日目の夜…とだんだんぐずることも少なくなり,三日目には何も言わずに寝るようになりました。

これまでは強引に口から取り上げても,まったくはずすことができなかったおしゃぶりですが,今回いとも簡単にはずすことができました。これはファンタジーの威力ではないかと思います。「旅に出た」という設定で,おしゃぶりと絵本のガラゴのイメージがうまく重なり,おしゃぶりがなくなってしまった事実や寂しい気持ちを受け入れることができたのではないでしょうか。押してだめなら引いてみろ…という言葉がありますが,これからは「押してダメならファンタジー」でやってみよう!

「はたらくくるま」のペーパークラフト

ペーパークラフトの写真

「はたらくくるま」のペーパークラフトをつくってみました。素材はテンプレートBANKというサイトから購入。ダウンロード販売で600円です。こういう工作は久しぶりで楽しかったです。つくったそばからTaroが遊ぶので,完成する前に壊れるのではないかと心配でしたが,壊される前になんとか完成し,写真を撮ってからTaroに引き渡しました。1日経った今も,それほど壊れずに存在しています。案外長持ちするのかな?

9月24日に,この「ひとこと」でテンプレートBANKから購入してつくったペーパクラフトを紹介しましたが,それがテンプレートBANKの方の目にとまり,感想文を書くことになりました。テンプレートBANKのペパクラマーケットのページに,私の感想文と作品の写真が掲載されています。本当はもうちょっと長い文だったんですが,一部カットされてつながりが悪くなってます。まあ,しょうがないか…。

『自閉症カンファレンスNIPPON』に参加しました

9月3日(火)

自閉症カンファレンスまであと4日。まだ一度も発表練習ができていませ〜ん。いつも週末にしている次週の授業の準備も,今週末はカンファレンスなのであと3日で終えないといけません。また,自閉症カンファレンスでサポートグッズの展覧会をすることになり,その準備もこれから行います。う〜む,間に合うかな…。そういうわけで,メールの返事や掲示板へのコメントが滞ります。すみませんが,しばらくお待ちください。復活できるのはおそらく9月中旬以降になります。

9月6日(金)

今やっと自閉症カンファレンスの発表準備が整いました(23時)。ふ〜,滑り込みセーフです。あとは忘れ物をしないようにして会場に赴くのみ。Mac でつくったパワーポイントのファイルが,Windows でうまく読み込まれるか若干不安ですが,きっと大丈夫でしょう。

明日,明後日,たくさんの方にお会いして,刺激と元気とエネルギーをもらいたいです。このサイトをご覧になっている皆さんの中にも,自閉症カンファレンスに参加される方がいらっしゃると思います。Sphinxを見かけたら,どうぞ声をかけてください。よろしくお願いします。

9月9日(月)

自閉症カンファレンスNIPPONに行ってきました。夢のように楽しい二日間でした。養護学校時代,FEDHANや療育セミナーでお世話になった方々と再会し,話して飲んで…。もちろん,分科会のたくさんの口頭発表も刺激的で勉強になるものでした。1日目は地域スキル・余暇の分科会,2日目は権利擁護の分科会に参加しました。今の私の興味がそのへんにあるんですね。特に一番楽しみにしていたのが,福田年之さんの自閉症児のキャンプの発表です。BGMつきのスライドショー20分間で,発表に福田さん本人がまったく登場しないというおもしろい発表でしたが,自然の中で楽しそうに活動している自閉症の皆さんやボランティアの学生たちの笑顔がとても印象的でした。自分もそういう企画にたずさわってみたいという小さな夢が,また少しふくらみました。

ところで自分の発表のほうですが,笑わせどころが少ないな〜と直前まで悩んでいたのですが,結果的には出だしから笑いをとって,和やかに進めることができました。私のひとつ前の発表をTEACCHの創始者ショプラー博士が聞きに来ていまして,もしかして私の発表も聴かれるのかと非常に緊張してドキドキしました。そのためかトイレに行きたくなり,発表前にそそくさとトイレへ。しかし,トイレから戻るとショプラーさんは別会場に行ってまして,心底ホッとしたのです。…ということを出だしでしゃべったら会場の皆さんに大受けでした。ところが,発表が終わってからダダ父さんに伺ったのですが,ショプラーさんのかわりにTEACCHの日本における代表的な人物,佐々木正美先生がいらしていたとのことで,ショプラーさんをネタにした話も全部聞かれてしまったようです。それを知って私はまたドキドキしてしまいました。発表の中で粗品を用意してちょっとしたクイズもやり,参加者の皆さんにも協力して頂きました。ちょっと正解がでるまで時間がかかって焦りましたが,なんとか正解者がでて粗品進呈。私自身も楽しく発表を進めることができました。発表後,数人の方に声をかけて頂きました。ある方は「発表よかったですよ〜」,ある方は「やる気が出ました!私もビデオづくりがんばります!」,またある人は「今度,そば打ちで研究授業をするんです。ビデオつくります!」とおっしゃってくれました。私の発表を聴いて教材づくりの意欲が湧いたなんて,とてもうれしいことです。発表してよかった!!

また,サポートグッズの展示のほうも盛況で,私がもっていったいくつかのアイテムにも人だかりができていました。「これいいね〜」という声,ビデオでじっくり撮影する人…。準備しているときは,参加者の皆さんの興味を引くのかどうか半信半疑でしたが,こちらも持ってきてよかったです。

自閉症カンファレンス,来年もあるといいな。年に一度のお祭りみたいに,またみんなで集まりたいです。今回の参加者は1200名。申し込みはもっとたくさんあったそうです。全国から自閉症の方とともに歩む同士が1200名も集まるのです。この大会から,何かが動き出すんじゃないか…そんな気持ちにさえなる二日間でした。みなさん,どうもありがとう。そして,また会いましょう。

『絵本原画の世界展』をみてきました

日曜日の午後,夏休み前からずっと行きたいと思っていた『絵本原画の世界展』をみに,美術館に行ってきました。「こどものとも」という50年近く続いている月刊の絵本があるのですが,その「こどものとも」に収録された作品の中から,宮城県美術館が収蔵している原画を公開したものです。

宮城県出身の陶芸家佐藤忠良の『おおきなかぶ』の他,『ぐりとぐら』,『てぶくろくろすけ』,『かばくん』,『てんぐのかくれみの』,『ゆうちゃんとめんどくさいサイ』など50冊,321点。中でも私とタローが驚いて,そしてうれしかったのは,山本忠敬『しょうぼうじどうしゃじぷた』の原画に出会えたことでした。絵本ではわからない微妙なタッチや修正部分などに加えて,原画と絵本が微妙に違うところまであって,興味は尽きません。タローも,この「じぷた」が一番印象に残ったそうです。

この『絵本原画の世界展』は,9月1日(日)まで宮城県美術館で催されています。その後,来年1月からは北海道立帯広美術館で,4月からは和歌山県立近代美術館でも開催されるようです。絵本が好きな人,こどもの頃に読んだ絵本に再会したい人はぜひどうぞ。

家族で「加茂水族館」にいく

昨日まで三日間,実家でのんびりできました。今回の帰省の目玉は鶴岡市の加茂水族館。ちょっと古くて小さい水族館ですが,乳幼児連れにはちょうどいい大きさ。ラッコの餌づけショーやアシカショーなどを見てきました。が,タローの印象はいま一歩だったらしく,今回の帰省で何が楽しかったかと何度聞いても,水族館という言葉は出てきません。私やAldoは,クラネタリウムというクラゲの展示がとても気に入りました。中でもブルーの小さなクラゲがとてもきれいで印象的でした。

加茂水族館は海岸に建っていて,外の階段から下を見るとそこは日本海。久しぶりに見ました>日本海。朝日新聞によるとこの「日本海(Japan Sea)」という名前が国際的な海図から消える可能性があるそうです。なんでも韓国側が「日本海という名称は日本の植民地政策により押しつけられたもの」と主張して「東海」という名前を提唱しているのだとか。実際には1910年の日韓併合よりずっと前に日本海という名前が使われていたそうで,いいがかりのようなものだそうです。しかし,アメリカではすでに「東海」という表記の出版物も出ているそうで,もしかすると本当に東海になってしまうかも。山形県庄内地方は「日本海側」ですが,それも「東海側」と言う時代が来るのでしょうか。日本から見れば「東海」じゃなくて「西海」なんですけど。

それにしても代替えの名前が「東海」というのは,ちょっと自己中心的じゃないですか(韓国海じゃないだけマシかな)。どうせ変えるなら,東の国の人も北の国の人も西の国の人も,みんなが納得して親しめる名前にすればいいのにねえ。

加茂水族館を紹介したこんなページがありました。

加茂水族館は,クラゲの展示で全国的に有名なのです。このページには展示の様子の写真がありますが,実物はもっと繊細できれいでした。

お気に入りの青いクラゲは通称「ブルージェリーフィッシュ」という名前です。写真ではあまりブルーに見えませんが,実物はとてもきれいな青色でした。このクラゲはペットとしても人気があるそうです。水槽の中でブルーの小さいクラゲがゆらゆら漂っているのを見ていると,確かにいやされるようなかんじがします。うちにもほしいけど,もう生き物がたくさんいるからこれ以上増やすのは止めにしておきます。

こんな標語は嫌い!
『あいさつが しっかりできる 明るい子』

ある雑誌に載っていた小学校の校舎に,こんな横断幕がはってありました。

『あいさつが しっかりできる 明るい子』

私はこの標語を読んで,ちょっとイヤな気分になりました。この標語にはこんなニュアンスがありませんか…明るい子じゃなきゃいけないよ,そのためにはあいさつも明るく元気にしなくちゃダメだよっていう。

明るい子も,明るくない子も,いろんな子がいる小学校で,明るい子だけをほめる。明るくない子には明るい子になれという圧力を,言葉で直接ではなく,こういう形でかけていく。こういうの,価値観の押し売りではないですか。

明るいっていうのは確かにその子の長所のひとつだけど,明るくないっていうのは短所ではないと私は思います。「おはようございます!」と明るくあいさつする子は,それでよし。「…おはようございます…」と小さな声でぼそぼそとあいさつする子も,それでよし。言葉の代わりに目だけであいさつする子も,それでよし。一人一人のスタイルを認めてほしいなあ。

Sphinxのおすすめの本(干刈あがた『黄色い髪』)

忙しい盛りでしたが,先日久しぶりに1冊の本を読みました。干刈あがたの『黄色い髪』です。これで3度目か4度目。夏休み前の図書館だよりにおすすめの本という題で文章を書いてといわれ,この『黄色い髪』を紹介したのです。それで,もう一度読んでみることにしました。小説を1冊読み切ったのは本当に久しぶり。たぶん,2年ぶりぐらいじゃないかな。小説の内容ももちろんいいんですが,それよりも読み切ったということにうれしさを感じてしまいました。図書館だよりに書いた文章をこちらにも紹介しておきます。よかったら,読んでみてください。

私のおすすめ本!『黄色い髪』(干刈あがた著,朝日新聞社)

なぜ好きなのか,自分でもうまく言葉にできないのだけど,私は干刈あがたの小説が好きだ。その中でも,一番はじめに読んだこの『黄色い髪』は私の大切な宝物だ。

「自分が学校から脱落するのではなく、自分から学校にさよならする」と決めた14歳の少女夏実。「ほかの子がちゃんと行ける学校へ、行けないような子に育ててしまった」と自らを責める母の史子。肉親、隣人・教師たちはそれぞれの立場から、この母娘を見守る…。

私はときどきこの社会に違和感を覚える。嘘,ごまかし,建前,見て見ぬ振り…私たちの社会はそういうもので満ちあふれていて,素直に,正直に自分の頭で考え行動しようとする人間ほど,そこからはじき出されていく。集団に所属するために嘘の自分を身にまとうか,さもなくば仲間はずれになって一人で生きていくか。二者択一の問題?いや,私はそのどちらでもない第3の道を歩みたい。

干刈あがたの小説の主人公たちは,まさにその第3の道を歩んでいるのだ。夏実や母の史子は,それぞれが直面した問題に正面からぶつかり,とまどい,悩み,考え,行動する。私が彼女の小説から勇気をもらえるのは,そういった主人公たちの誠実な生きざまからだと思う。

集団に所属する,あるいは他者に受け入れられるということと,自分に誠実であることとは,必ずしも両立しないと思う人が多いかもしれない。しかし私はそう思わない。この小説の主人公たちも,きっと同じ考えなんじゃないだろうか。他者に誠実に,そして同時に,自分に誠実であること。それが私のめざす第3の道である。

我が家のしつけのコツ〜達成可能か課題か吟味する〜

昨日,新聞で「幼児の親を対象にしたしつけや子育ての講座に行政が力を入れはじめている」という記事を読んで,ちょっと思ったことを書きます。こどものしつけをするときに,養護学校教員の経験がいろいろ役に立つのですが,「与える課題が達成可能なものかどうか瞬間的に吟味するクセ」というのもその一つです。

うちのタローには「自分で片づけをする」ということをかなり早い段階から教えています。おやつやご飯の前に必ず片づけるというルールにして,「ご飯の前にはお片づけ〜」という歌を歌いながら片づけます。そうすると片づけ終わったら食べ物ががもらえる(=強化子が与えられる)ので,自分で片づけをする行動が強化されるというわけです。こういう状況設定も,養護学校時代の経験が生きていると思うのですが,実はこの状況設定だけでは不十分なのです。

というのは,片づけるべきおもちゃの量が場面場面でまったく異なりますから,実際に片づけさせるときに,散らかりの程度がタローの実態にてらして達成可能かどうか瞬間的に判断することが必要なのです。「自分で片づける」という目標ですから,親は「片づけなさい」と指示して,自分は手を出さずに見守ることになります。でも,もしも散らかった程度がタローのできる範囲を超えていたら?タローは途中で片づけが嫌になり,片づけられない我が子を見て親はいらいらし,そして場合によっては「どうしてできないの!片づけられない子はおやつなし!」と怒り出す。こうなると,このしつけはまったく逆効果。「自分で片づける」→「怒られる」→「もうやらない」という悪循環になります。そうしないために,片づけさせる前に適正な量かどうか吟味する必要があるのです。

その吟味には,散らかりの程度に加えて,どれくらいおなかが空いているかとか(おなかが空いているほどがんばれる),どれくらい眠いかなど(眠気が強いほどがんばれない),タローのそのときの状況も考慮します。そしてタローのできる範囲を超えていると思ったら,自分でできる程度の量になるまで,親が少し手伝います。でも,最後まで手伝うのではなく,最初だけ手伝って,最後は自分でできたという状況に持っていくのです。そして,できたらほめます。「自分で片づけができた」→「ほめられた」→「またやりたい」という循環に持っていくわけです。

こういうことって,親に時間的・精神的余裕があるときには,特段意識しなくてもできていることだと思うのですが,子育てはいつも余裕のある場面ばかりではありませんよね。余裕のないときに限ってこどもは動きが悪くなり,親はイライラを募らせる。そんなときに,フッと「自分はこどもに達成可能な課題を与えているのか?」という瞬間チェックをして,課題の量を調整できれば,こどもも親も互いにイライラせずに過ごせるようになるのです。

こどもに何かを教えるということは,「自分でやってほめられる」という場面をたくさんつくってあげるということです。一人でさせたいという気持ちが先に立って,こどもに無理な課題を与え,結果的に「負の強化」を与えてしまうような「しつけ過ぎ」をしないようにしたいものです。

ベビーサイン:赤ちゃんとのコミュニケーション

今日の我が家の昼食時の話題は「ベビーサイン」についてでした。「ベビーサイン」とは,言葉がまだ出ていない赤ちゃんとサイン(身振り)を使ってコミュニケートするというもので,アメリカで90年代半ばから流行りだしたのだそうです。例えば,両手の指先を軽く閉じたままトントンと触れ合わせて「もっと」,右手を軽く握って乳搾りのように動かして「ミルクちょうだい」,上に向けて開いた両手を下げながらすぼめて「おしまい」というかんじです。

言葉のない人とサインで会話する…それは養護学校の先生たちが自分のクラスで日常的に行っていることです。私も養護学校にいるときは,実物,サイン,絵カード,音声出力型コミュニケーションエイド(VOCA)など,様々な方法で言葉のない生徒と意思の疎通を行っていました。それらのテクニックを赤ちゃんにも応用したというのが「ベビーサイン」というわけです。

私もタローが1歳前後になった頃から,指さしなどのサインによる意思表示を意図的に教えていました。抱っこしたときにタローに行きたい方向を指さしさせたり,食事の時に食べたいものを指さしさせたり。自分の意志を伝えるということ,また,自分の好きなものを選択するということは自立の第一歩です。それは言葉が出る前から教えていくべきことだと思います。

現在,タローは自分のしたいこと,ほしいものを言葉で伝えることができます。もちろん,時々自分で選んで失敗してしまうこともあります。この前も自動販売機でジュースを選ぶとき,缶のデザインにだまされて好きでないものを選んでしまいました。親の勧めには耳を貸さずにです。でもそれはそれでいい勉強。親の意見に従わずに失敗してしまう。そういう経験からは,親の意見の妥当性を学ぶでしょうし,自分で決めて失敗したことで自己決定に伴う責任も学ぶでしょう。もしこのときに,無理やり親の意見に従わせて,しかもそのジュースの味が自分の好みに合わなかったらどうなるでしょう。きっとその子はそれを親のせいにするでしょう。そしてやがて自分の失敗を人のせいにするような人に育つかもしれません。自己選択・自己責任は,幼いうちからの経験の積み重ねで覚えていくもの,教えていくものだと思います。

ところで,サインを教えてしまうと言葉が遅れないかという疑問を持つ方がいるかもしれません。私たちが養護学校で自閉症の生徒たちにコミュニケーションエイドを使っているときも,時々そう聞かれることがありました。その疑問に対する答えは「ノー」です。コミュニケーションは伝わることで強化されます。自分の意思表示が相手に伝わり,自分にとって好ましい状況が発生する。そういう経験を繰り返すことで,意思表示しようという意欲が高まります。そこが大事なんですね。意欲が高まれば,あとはどういう手段で意思表示するかは本人が決めることです。言葉が楽でいいやと思えれば,自然に言葉は出てくるのです。これを最初から言葉だけで指導するとどうでしょう。伝わるという経験がなかなか得られないまま,言葉だけを強要されることになります。それでは楽しくないですから,かえって言葉は出にくくなってしまうだろうと思います。

私たちの人生に,コミュニケーションは欠かすことができません。生きていくことの本質でもあると私は思います。でも,言葉はそのための手段のひとつでしかありません。その人その人で,もっとも使いやすい手段で会話する。それでいいのです。だから,相手のコミュニケーション・レベルに合わせて意思交換をしようという「ベビーサイン」の試み,私は大好きです。

タロー「マッコウクジラ」になりきる

最近お風呂にはいると動物になってしまうタロー。語尾に「ワン」とか「ケロ」とかをつけていろんな動物になります。例えば「おもちゃ取ってちょうだい,ニャン」というふうに。昨日はお風呂の直前にTVで見たマッコウクジラになりきっていました。マッコウクジラは,カチカチ,トントンという音(クリック音)を出して,周囲の状況を確認したりクジラ同士で交信したりしているそうです。番組でそれを見たタローは,湯船に浸かると早速歯をカチカチならしてマッコウクジラになりました。私が何を話しかけても,答えは「カチカチ」。彼がしゃべった唯一の日本語は「音が聞こえるって言って」でした。(これも番組の影響)せっかく一緒にお風呂に入っているんだから,日本語で会話しようよ>タロー。

夕暮れの道をタローと散歩

5月2日(木)

昨日は久しぶりに日没前に帰宅できたので,タローをつれて夕暮れの田舎道を散歩しました。タローと散歩したのはとても久しぶり。西に向かって歩いていくと,濃紺の空に金星が光っています。「タロー,あそこにお星様が光っているんだけど見える?」と指さしますが,なかなか見つけられません。私の手で筒をつくってのぞかせたら「あ,あった!」。上手に見つけることができました。散歩を終えて家に戻ったときはもうかなり薄暗くなっていました。もう一度空を見上げると,金星のそばに木星も光っています。指さして教えてあげたら,今度はすぐに見つけることができました。

よく探すと金星のすぐそばに土星も見えていましたが,それはちょっと暗いのでタローには無理。実は,今夕暮れの西の空には,金星,木星,土星,火星,そして水星が大集合しています。けっこう珍しい出来事ですので,みなさんも夕暮れの空の惑星たちを観望してみてはいかがでしょうか。日常生活のいろいろなことから,ちょっと離れることができるかもしれません。

5月11日(土)

フジの花がきれいに咲いていますね。水曜日と木曜日に仙南地区の高校総体テニス競技が角田市で行われ,自宅〜菅生〜大河原〜船岡〜角田というコースで通勤しました。その道中,山の中や庭先などいろんなところに咲いているフジの花を観賞できました。山の斜面から道路に覆いかぶさるように成長したものもあり,下をくぐるとまるでフジのトンネルのよう。自然いっぱいの道を通勤できるって幸せです。

4月から生物の授業を持つようになり,少しずつ花の名前を覚えようという気になっています。タローと散歩しているときに目に付いた花があれば,それを摘んできて図鑑で調べます。手元に何冊かある野草の図鑑の中で一番のお気に入りは『FIELD GUIDE 21 色別 野の花図鑑』(菅原久夫著,小学館)。普通の図鑑は「○○科の仲間」というふうに植物の分類にしたがってまとめてあるのですが,この本は花の色で調べていきます。分類がさっぱり分からない私でも,花の色なら分かる!今日は雨なのでお散歩はなしですが,明日雨が上がったら,またタローと散歩がてら花の収集に出かけます。

5月12日(日)

最近ずっと調子が悪かったPowerBook G3/333(Bronze)についに見切りをつけて,昨日新しいPowerBookを購入しました。2週間前に発表になったばかりの PowerBook G4/667MHz です。液晶画面が1280×854ピクセルとなり,だいぶ広くなりました。手痛い出費ですが,G3が頻繁に故障してそのたびに修理やメンテナンスに時間をとられていたのでしょうがないか…というところです。

ところで,昨日,ドレミのおむつの点数を集めてもらえる『雨の日セット』が届きました。ぞうさんマークの黄色いレインコート・傘・ポーチのセットです。昨日はちょうど雨降りだったので,さっそくそれをつけてお散歩&植物採集に出かけました。タローは傘をさして大喜びで歩いたり走ったり。全身黄色でかわいかったです。私は白い花をひとつ摘んできました。図鑑『自然百科シリーズ3 宮城の野草』で調べたらアズマギクでした。解説には「半自然草原が減っているため,最近では個体数の減少が見られる」と書いてあります。ということは,うちの近所にはまだ半自然草原が残っているということなのかな。

Ayu 誕生!

先週の金曜日にジローの立ち会い出産のための「両親学級」に出席してきました。タローの時は,買ったばかりのデジタルビデオカメラ持参で張り切って参加した両親学級でしたが,今回はメモ用紙も持たずに参加。二人目になるとここまでいい加減になるのか…。出産のビデオを見て,呼吸法の練習をした後は,母子センターの見学。母子センターに至る廊下,NICUの入り口,ナースセンター,面会ホール…いろいろ見て回るとタローが生まれたときのことが一つ一つ思い出されます。タローが生まれたその部屋にも,2年8ヶ月ぶりに入りました。ジローもこの部屋で生まれるんだろうか。ちょっと心構えのできていない父ですが,どうぞ無事に出てきてくださいな>ジロー。(2002/3/3 18:05)

お待たせしました!(>_<)ゞ
 今日4月10日14時19分,3,170グラムで産まれました。女の子だったので,ネット上での名前はジロー改め「Ayu」ということにします。ニューフェイス・Ayuをどうぞよろしく。

昨晩は久しぶりに家族全員そろっての夕食でした。タローをお風呂に入れて,一緒に絵本を読んで,そのまま睡眠。やっぱり,これが私の正しい夜の過ごし方です。Ayuは月曜日に無事退院して,家ですくすく育っています。タローも予想よりはスムーズにAyuの存在を受け入れているようです。こどもチャレンジの4月号で「しまじろう」にも妹の「はなちゃん」が生まれたので ,そのビデオを繰り返し見て心の準備が整ったのかもしれません。そのせいか,今でもAyuのことを「はなちゃん」と呼んだりしています。

「宮城教育熱心大学〜林竹二と宮城教育大学の1970年代〜」の紹介

仙台在住のエディタ&ライター,大泉浩一氏の個人ジャーナル「センダードプレス」に,「宮城教育熱心大学〜林竹二と宮城教育大学の1970年代〜」という連載記事が掲載されています。もう20年も昔の話になりますが,高校時代,家の本棚に置いてあった林竹二氏と灰谷健次郎氏の対談集「教えることと学ぶこと」を読んで,林竹二氏に強い興味を覚え,宮城教育大学を目指した時期がありました。大泉氏の連載を読むと,そのころの気持ちがよみがえります。会ったことも見たこともない林竹二氏に「ちゃんとやっているか!」と叱咤激励されているような気分にもなり,読みながら思わず居住まいを正してしまいます。でも文章に堅苦しさはまったくなく,軽妙な文章で当時の様子が生き生きと描かれています。教育関係の皆さんや教育に関心のある方にはぜひおすすめします。

大泉氏とは,昨年,仙台YMCA主催のLD講演会(と前日の飲み会)でご一緒しました。文章から受ける印象と同様,ユーモアがあって,穏やかな雰囲気の方です。同じプロバイダ(ISN)を利用している仲間という点でも親しみを感じています(^_^)。「センダードプレス」では,他に「センダード暮らし」と「今週の一大事!」という二つのコラムも面白いですよ〜。(2002/2/20 5:41)

※「宮城教育熱心大学〜林竹二と宮城教育大学の1970年代〜」が,「教育の冒険」という題名の書籍になりました。こちらからどうぞ(→「教育の冒険」

否定形の指示で失敗の巻

今日は気分を変えて子育ての話。食事中,最後に残った一皿をタローに食べてほしいという場面での会話です。

「タロー,これを食べないとプラレールで遊べないんだよ」
タロー 「えぇ!?じゃあ食べないか」(と皿を片付け始める)
  私は慌てて言い直す。
「これを食べると,プラレールで遊べます!」
タロー 「えぇ!?じゃあ食べよう」

自閉症の生徒に否定形の指示は伝わりにくいということはもう身に染み付いていて,学校で自閉症の生徒に向かって否定形の指示を使うことはほとんどない(と思う)のですが,自宅ではあまり気にしていませんでした。でも,タローもやっぱりそうなんですね。「〜しないと,〜できない」という二つの否定を正しく理解するのはまだ難しいのでしょう。やっぱり指示は肯定形で出さなくては…と反省させられた一場面でした。(2002/02/18 5:48)

いじめーその本質と克服の道すじー』を読んで

先日,いじめに関するレポートを書く必要が生じて,5年前に買ったままになっていた1冊の本を読みました。それを読みながら考えたことです。まず,その本を読んで書いたレポートを掲載します。

この本を読んで,学校におけるいじめ問題の一番の課題は,レポートの中に書いた「(もちろん指導する前に教師本人が自分の中にあるこの問題(下の※印またはレポートを参照)と対決する必要がある)」という部分かもしれないと思いました。というのは,10年間教師をしていて,自分の心の中に生じるいろんな感情(その中でも特に恐れ,嫌悪感)を,上手に処理できない教師が少なくないという感じを受けているからです。例えばこういう教師たちを,私は知っています。

心の中にある嫌悪感や恐れが,自分の中で解決されずにそのまま態度や言葉に出てしまうんですね。自分と違うこと(意見,態度)に対してどうしてこんな嫌悪感を覚えるのだろう。この不安でモヤモヤした気分は,どこから来ているんだろう。自分の本音がなぜみんなに言えないんだろう。自分の内面に向き合ってそれらの感情と対峙し,自分のなかで解決していれば,そんな醜態を見せずにすむと思うんですが。

「いじめ」問題というのは,いじめた生徒に問答無用で懲罰を与えれば終わるのではなく,「どうして自分はその子をいじめたくなるのだろう」とか「どうして自分はいじめを傍観して楽しんだのだろう」とか,一人一人の生徒が自分の感情と向き合って対話できるように持っていかないと解決しないものではないかと思います。そのためにはまず最初に,指導者である教師自身が,そういう自分の心にある恐れとか嫌悪感と対峙して,自分なりに解決させておく必要があるわけです。だって,自分ができないことを,生徒に指導できるわけないでしょう?(2002/02/17 11:56)

(※)「この問題」とは例えば次のような問題のこと。
  • 自分と違う何か(異質性)をもっている者が気になる,むかつく。
  • 周囲の目が常に気になり,神経を使いくたくたに疲れている。
  • 嫌なことを「イヤ」と言えない。周りの評価が怖くて本音を口にできない。

『改革をはばむ「組織の論理」』(中谷巌氏)を読んで

昨日の朝日新聞「ビジネスマンの思考一新講座」は,中谷巌氏の『改革をはばむ「組織の論理」』でした。組織の論理とは「社会全体の利益よりも,会社や団体など自分が属している小組織の反映や存続を優先させる思想」のことで,身内の論理,共同体の論理でもあるとしています。

中谷氏は公共事業の入札をめぐって,談合に参加した地元企業が,参加しなかった県外の一企業をしめだすという例を挙げています。その事業を落札したのは県外の業者なのに,下請け業者を集めようとしたら地元の関連業者にことごとく断られて結局その工事ができなかったのだそうです。この構図,「いじめ」とまったく同じ。ちょうど昨日,「いじめ−その本質と克服の道すじ−」(前嶋康男著,創風社)を読んでいたのですが,読みながらこの新聞記事のことが頭から離れませんでした。

この閉め出された業者が言うには「地元企業より3割安い価格で十分採算が合う」とのこと。地元企業は仲間内で談合することで,安くする努力を怠り,住民の税金を必要以上にむしり取っているわけです。

私は教員をもう10年以上つづけていますが,学校というところも「組織の論理」あるいは「身内の論理」が幅を利かせる社会だな〜と思います。社会全体の利益ーーー学校の場合は,学校にかかわる生徒・保護者・教職員・地域住民・納税者の全体の利益ーーーよりも,教職員の都合で決まることがいかに多いか。個別の指導計画を保護者に開示するかどうかで,いまだに議論がつづくんですから(私はこの開示っていう言葉を恥ずかしげもなく使うところからすでに抵抗を感じますが)。私はこの議論がはじまるたびに,心の中で「アホか!」と悪態をついています。

教師がなぜそこまで保護者を恐れるか,あるいは自己の保身に汲々とするのか。昨日,いじめに関する本を読みながら,実は自分なりに気づいたことがありました。そのうち,時間があったらそのこともこの「ひとこと」に書いてみたいと思います。(2002/02/11 7:25)

「ドリトル先生」差別表現−岩波書店の対応に納得!

ちょっと前の新聞記事から。2月4日(月)の朝日新聞朝刊に,こんな記事が載っていました。

『井伏鱒二氏翻訳「ドリトル先生」差別表現で議論−岩波書店「お断り」で対応』

最新の「岩波少年文庫」版の「ドリトル先生」に「ニガー川」「つんぼ」など黒人や障害者への差別表現があることを市民団体(黒人差別をなくす会)に指摘されて回収を求められた岩波書店が,回収せずに「お断り」という文書を差し込んで対応することを決めたという話です。「ニガー川」というのは明らかな誤訳なので次の印刷では修正されるそうですが,そのほかの部分を書き換えることは適切ではないと判断したそうです(今後検討するということですが)。

その理由として,「故人の作品に手を加えることは,古典的な文化遺産を守っていく責務を負う出版社として賢明ではない」ということをあげています。さらに,当時の文化的背景(「書かれた時代の制約」と表現されています)を知り,現在なおなくならない差別の問題について理解を深めることが,古典的作品を読む意義だとしています。

私はこの岩波書店の考えや行動に,諸手をあげて賛成です。ハリーポッターシリーズのように,こどもの目から「差別表現」を隠蔽するという小手先の方策に出なかったことをすごくうれしく思います。こどもから「差別表現」を遠ざけても,差別はなくなりはしないのです。本当に差別をなくしたいなら,言葉狩りでないもっとましな対策を講じる必要があります。岩波書店の今回の対応は,その方向にそったものだと思います。もう少しこどもが読んで分かるような「お断り」だったら,もっとよかったのにとは思いますが…。(2002/2/10 7:05)

「学力超重視」路線にみんな群がる

昨日,タローが久しぶりに発熱(38度2分)。それで今朝はお散歩なし。そのかわりにタローと一緒に折り紙をしました。先日,「11ぴきのねこ」で検索して見つけた「おりがみクラブ」の中から,タローが選んだのは獅子舞の獅子。赤と緑の2枚のおりがみで作るやつです。「タ〜ラタララララ」と笛の音を口ずさんで獅子舞をするタローをを見ていると,そういえば自分たちは日本人だったな〜としみじみ思いました。

ところで,今朝の朝日新聞に,「学力超重視」路線で特色を出そうとする私立中学校の記事が載っていました。7時間授業,休日にも補習授業,そして場合によっては生徒3人に教師1人という授業も…高校ではなく中学校です。生徒の反応は「ぞっとした」。これはもっとも。

しかし,やはりというか何というか,世間の反応は逆。この路線を打ち出して,志願者は5割り増しだそうです。授業に追いまくられることが分かっていて,受験を志願する。これは生徒本人の希望なんでしょうか。それとも親の決めた進路なんでしょうか。ま,どちらにしても救いようのない話だと思いますが。

勉強というものは,他人からさせられるものではなく,自分からするものです。1日7時間,授業を受けて,しかも休日まで授業を受けに行く。全部受け身。24時間7日間をすべて与えられる学習時間に費やしてしまって,自分の勉強はいったいいつどうやってするんだろうと思います。というか,こういう学校を選択する親も本人も,学習が自分ですることという認識はないんでしょうね。与えられたことを唯々諾々と取り込むことが学習であると。そうやって,すべてを与えられて育った人間が,大人になってどういうふうになるのか知りませんが,自分で学ぶ楽しさを知らずに一生を終えるとしたらもったいない話ですね。

まあ,講義という学習の形態だって,本来は知識を与えられるための場ではなく,講師から知識や技術や雰囲気を学び取るための場なんです。主体はあくまでも自分にある。だからこういう学校でも自分で学び続けることは不可能ではないんですが,自分の勉強時間があまりにも少ないと,そういうモチベーションを持ち続けることはかなり難しいことでしょうね。自分の勉強時間がないということは,自分の考えを育てる時間がないということです。そうなると,講師の思考と自分の思考を対峙させることが不可能になりますから。頭の回転が速い人なら,短い時間で自分の考えをもてるのでしょうが,そういう人はもともと7時間授業なんかいらないでしょうしね〜。(2002/2/3 12:01)

岩波少年少女文庫の想い出

スウェーデンの女流児童文学作家アストリッド・リンドグレーンさんが亡くなったという報道がありました。しばらく忘れていたけど,とても懐かしい名前です。「長靴下のピッピ」や「ピッピ船に乗る」は,物心ついたときから家の本棚に並んでいて何度も読みました。また,「名探偵カッレくん」や「ラスムスくん」シリーズは,小学校の高学年の頃とても熱中して読んだものでした。そう言えばあの頃は読書に夢中になって,毎日図書室に通って年間200冊以上読んでいました。カッレくんやラスムスくんは岩波少年少女文庫シリーズで読みましたが,今でも図書室のどの辺のどういう本棚だったかよく覚えています。

岩波少年少女文庫といえば,他にも,エーリッヒ・ケストナー「エーミールと探偵たち」,P・L・トラヴァース「風にのってきたメアリーポピンズ」,フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」など,強く印象に残っている本がたくさんあります。アーサー・ランサム「ツバメ号とアマゾン号」も,このシリーズで読んだんじゃなかったかな…。懐かしい。こういう本をたくさんよんで毎日ワクワクしていたあの頃に,もう一度戻ってみたいなあ。今では楽しむためだけの本は1ヶ月に1冊,いや,半年に1冊も読めていないですからね。夏休み前に購入したハリー・ポッターの3巻目も,まだ手つかずだし…。(2002/02/01 5:55)

獅子に噛まれるタロー

獅子に噛まれるタロー

土曜日にタローをつれて民族歌舞団ほうねん座の公演を見に行きました。太鼓や笛,獅子舞などの民俗芸能の舞台です。タローは2000年の11月,『まつりだ秋保2000』で獅子舞に噛まれて以来のほうねん座鑑賞(Sphinxのつぶやき2000にそのときの写真があります)。公演が始まる前は「獅子舞にカムされるかなー」としきりに心配していましたが,太鼓のドンドコという音が大好きなので,公演が始まるとそんなことも忘れて舞台に見入っていました。途中,飽きかけた頃に獅子舞登場!「怖いよ〜」と叫んでいましたが,私がだっこしてしっかり噛んでもらいました。もちろん,その後は大泣き!でも,獅子がいなくなって次の芸が始まると,頬に涙をつけたままちゃんと舞台のほうを見ていました。あ〜,楽しかった!(2002/1/21 6:31)

DREAMS COME TRUE 2002:
monkey girl odyssey pp-mix

1月18日(金)にAldo+Jiro と行ってきました→『DREAMS COME TRUE 2002:monkey girl odyssey pp-mix』!

今回のコンサートの感想は「DREAMS COME TRUE と同時代に生きていられるのはとても幸せ」というひと言です。曲目は最新アルバム『monkey girl odyssey』からものもが中心でしたが,このアルバムはここ2年のシングル曲の集大成でもあります。2年間ずっと朝な夕なに聴き続けて慣れ親しんだ曲たちを,吉田美和さんの歌声でじかに聴いていると,2年間の出来事や自分の気持ちのあれこれが思い出されます。そしてその気持ちが,今ここから未来に向けてエンジンをかけ直そう!いくぞ!という決意のような気持ちに変化しました。

今回の曲の中で特に印象に残ったのは『crystal vine』,『ドライヴ ドライヴ ウレシイナ!』,『愛するこころ』の3曲です。『crystal vine』は,最新アルバムの最後に収録されている曲で,ディズニー映画『アトランティス/失われた帝国』の主題歌です。CDよりもずっと壮大でスケールの大きいものになっていて,聴いていてとても気持ちがよかったです。『ドライヴ ドライヴ ウレシイナ!』はご存じ(?)ファンピーの初期作品。とても楽しくてグッドでした。

『愛するこころ』は,美和さんが「今一番聴いてほしい曲です」と言って紹介したものです。今回のアルバムはニューヨークでレコーディングされました。そのレコーディング中に,あの貿易センタービルへのテロ事件が起こりました。この曲をテロ事件の後に聴いたのははじめてでしたが,今聴くとこういうふうに聞こえるのか…とちょっと驚きました。そのほかにも,かなり凝った選曲になっていて楽しめましたが,ツアー中に全部書いてしまうのもなんですので,また後で機会があったら書きたいと思います。

最後に会場について。会場はいつもの仙台サンプラザでした。このホールはこぢんまりしていてステージがすぐそこにあります。一番前の人はステージに肘をつくこともできます(美和さんに握手してもらっていたカップルもいました)。今回私たちは3階席でしたが,3階でも意外に近くてステージ全体がよく見えました。1階席では耳に膜が張ったようになるほどの音量も,3階席で聴いているとちょうどよくて,その分,歌詞もよく聴き取れました。3階も案外いけますね。いつまでもこのこぢんまりしたサンプラザのホールでやってほしいなあ。(2002/1/20 7:18)

仙台万華鏡美術館

万華鏡を見るタロー

連休に鶴岡から私の両親が,孫のタローに会いにやってきました。あまり出歩かずに家でたっぷり遊んでもらったのですが,日曜日にはみんなで近場の温泉に行き,その帰りに前から行ってみたかった「仙台万華鏡美術館」に寄りました。この美術館には内外のたくさんの万華鏡作家の作品が展示されていて,実際に見てまわして楽しむことができます。万華鏡というとただの円筒形のものを想像される方が多いと思いますが,そういう方はここにくるときっとビックリします。中には実物大の人形まであるんですよ(おじさんのハゲ頭からのぞく万華鏡)。美術館という名前にふさわしく,どれも芸術的で見てのぞいて楽しいものでした。タローは飽きるだろうと思っていましたが,全然そんな様子はなく,万華鏡にかぶりつくようにして一生懸命見ていました。タローが特に気に入ったのは,ビデオの花の画像を見ることができる2〜3mはある大きな万華鏡(写真)と,電飾ぴかぴかで頭をつっこむと自分の頭の上下左右の姿を見ることができる万華鏡です。家に帰ってからも,売店で買ってきた万華鏡(風景を見る万華鏡)でいろんなところを見ています。連れて行ってよかった。

万華鏡といえば万華鏡を持ち歩く高機能自閉症の方が,先日テレビに出演していました。万華鏡が本題ではなかったのですが,たしか気持ちが疲れたときに万華鏡をのぞくと落ち着くというようなことをおっしゃっていたと思います。万華鏡には「意味」をくみ取る必要がないと。それを見て,前に七つ森希望の家で作った万華鏡をクラスに持っていきましたが,一人の生徒が結構興味を持って見ていました。その後,分解されてしまったので今はのぞけないのですが…。

万華鏡美術館に展示されているもののいくつかは,売店で購入することができます。だけど「これ素敵だな!」と思うものは高いんです。私のほしかったものは3割引で2万2千円!今はとても買えません。でもそのうち(こどもが巣立ってから?)こういう万華鏡を手に入れて,音楽を聴きながら,「意味」のない映像美をゆっくり楽しんでみたいものです。(2002/1/14 5:59)

2002年 新年の抱負

明けましておめでとうございます!

みなさん,どんな元日を過ごしていますか?私は家でゆっくり,テレビもつけずにお茶を飲みながらのんびり過ごしました。年賀状が昨晩(というよりも元旦の早朝に)やっとできあがりまして,今日は PowerBook とプリンターが1日中8時間もかけて150枚の年賀状を印刷してくれました。そのおかげで,今日1日はパソコンなしの生活。

新聞を読み,県と市の広報誌の新春号を読み,皆さんからいただいた年賀状を読み,そして先日の「ひとこと」で紹介した「対立がちからに」を読み,鶴岡の実家に電話して孫(タロー)の声を聞いてもらい,そして夕方には家族みんなで隣家の犬のお散歩。こんなにゆったりと時間を過ごせたのは久しぶりです。今年1年,こんなふうにゆっくりと時間が過ぎていくといいな。

ところで,今日の新聞で目をひいたことばがありました。朝日新聞の朝刊1面に載った韓国の映画監督イ・チャンドンさんのことばです。

好ましいグローバリゼーション?それはハリウッド的な大音量のスピーカーによる支配ではなく,世界の小さな声にお互い耳を傾けあえることでしょう。

昨年は21世紀の始まりの年。私はこの「ひとこと」にこう書きました。

2回の世界大戦を含めて国際規模の戦争で明け暮れた20世紀。これからは世界中の一人一人が,体と心の安全を確保できる世界になってほしい。それが私の21世紀の願いです。

しかし現実には,体と心の安全は願っただけでは確保などできないということを思い知らされた1年でした。

何が足りないんだろう?いったい自分はどうすればいいんだろう?昨年の9月11日以来考え続けて私がたどり着いた答えは,コミュニケーションのスキルと機会が不足していることがこの世界の問題点であり,自分がすべきことはコミュニケーションを主題にした体験学習の教育プログラムについてしっかり学ぶことだというものでした。そういう気持ちが,上に書いたイ・チャンドンさんのことばに共鳴したのだと思います。そんなわけで,私の2002年は「コミュニケーション元年」です。(2002/01/01 20:04)