Sphinxのつぶやき

2001年のつぶやき

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対立とコミュニケーション

昨日の「ひとこと」(注:【読後感想】村上龍著「eメールの達人になる」)とも関連する話です。昨日から読み始めた本の前書きに,こういう文章が載っていました。

対立がちからに グループづくりに生かせる体験学習のすすめ

私たちは長い間,人に合わせ,人との間に「和」をつくることを重視する農耕民族という文化に育ってきた。それは相手の気持ちを感じ,その関係性の中で自分を生かすことであった。対立は悪いことであり,隠すべき揉め事だった。すべてのことの輪郭を曖昧にし,見ないふりをしていくこともまた,優しさの一つだった。しかし,対立は悪いことだろうか。

対立がちからに−グループづくりに生かせる体験学習のすすめ−
ウイリアム・J・クレイドラー/リサ・ファーロン 他著
プロジェクトアドベンチャージャパン 訳

この本は,プロジェクトアドベンチャーのアクティビティを活用しながら,こどもたちが対立について,また対立の解消法について体験的に学ぶためのプログラムの解説書です。原題は「Adventures in Peacemaking」。対立を解消する技術が Peacemaking につながるということです。

私たちが生きているこの日常には大小取り混ぜて様々な対立があります。大きいところではアメリカとイスラム原理主義過激派の対立,小さなところでは「絵本読んで」「もう眠いから終わり」という親子の対立。対立というのは要するに各人が意見を表明したところ,それぞれの思いが食い違っていたという状態です。対立というと感情面ばかりクロースアップされるような気がしてますが,私は単に「意見の違いが表面化した状態」であり,もともと感情的にはニュートラルなものではないかと思います。

だけど,その対立をどう解消するかで感情的な対立に発展する可能性を秘めているわけです。単なる意見の相違が,対応のまずさによって感情の対立に発展し,破壊的な解決手段に打って出る。これが,最も避けなければいけない対立解消法であり,実は一番よく使われている手法でもあるのです。

だから,みんなで仲良くやっていくために,私たちの文化では対立を見て見ぬふりでやり過ごすことにしたのだと思います。でもそういうやり方は,息苦しくないですか?自分の気持ちにふたをして,相手に合わせていく。それは自分を大切にしていると言えるでしょうか。感情的な対立に発展しないような対立解消のスキルをみんなが持っていれば,もう少し安心して対立できるのではないか。あるいは,その対立から新しい何かを生み出すことができるのではないか,と私は思います。

日常生活は様々なグループで営まれます。家族,地域,職場,国,そして世界。みんながもう少し対立について,対立の解消法について学習し,実践することができれば,この世の中がもっと住みやすく平和なものになるに違いないと私は考えています。11月11日の「ひとこと」にこう書きました。「日本の片隅で「戦争反対」と叫んでみたところで,戦争はなくなりっこないと思います。だとしたら,平和を勝ち取るってどういうことなんだろう?自分はどういう役割を担えばいいんだろう?」その問いへの一つの答えが,この対立解消プログラムなのです。(2001/12/30 7:11)

【読後感想】村上龍著「eメールの達人になる」

eメールの達人になる(村上龍)

村上龍著「eメールの達人になる」を読みました。とても面白かったです。How to ものを面白いというのも変ですが,ためになったと言うよりはやはり面白かった。

「あ・うんの呼吸」とか「相手の意を汲む」とか「率直に言わずにそれとなく示す」とか,そういうコミュニケーションのスタイルは,効率化されたメディアである電子メールの世界では通用しないというのが著者の基本的な考え。電子メールの効率性を生かすために,できるだけ簡潔かつ正確に,しかも礼を失しないように書くにはどうするかというのがこの本の主題です。電子メールというツールを使ったコミュニケーション論になっています。

電子メールに似合わないことばの例として,「〜させていただく」という表現があげられているんですが,私もこのことばが嫌いで自分では使わないようにしています。その他にもいろいろ共感する部分があって,そういう意味でとても面白い本でした。

我が身を振り返ると,電子メールの世界にとどまらず,私にとっては生活すべてにおいて「あ・うんの呼吸」とか「相手の意を汲む」とか「率直に言わずにそれとなく示す」とかそういう文化とは無縁なのです。伝えたいことははっきり言うし,はっきり言ってもらわないとその人の気持ちは分からない。私にとって電子メールは欠くことのできないコミュニケーション手段になっていますが,その理由をかいま見た思いです。

あとがきで著者も書いていますが,「あ・うんの呼吸」が通用するのは「外部のない仲良し社会のみ」です。いろんな背景,いろんな価値観を持った人が集まっているところでは,「あ・うんの呼吸」なんか期待できません。日本社会だって,昔はそうだったかもしれませんが,今はどうですか?一人一人ずいぶん価値観が異なっているように私は思いますけど。いろんな価値観や考えを持った人同士が仲良くやっていく。そのために必要なのは,やはり簡潔で正確なコミュニケーションだと思います。

だけど,こういう考え,ストレートに理解してくれる人もいますが,まったく受け付けない人もいますね。そういう人はその時点でもう多様な価値観を認められないというわけです。このタイプの人は,おそらくこの本を読んでも著者の主張は理解できないでしょう。(2001/12/29 7:47)

クリスマスプレゼントとイブ礼拝(靴屋のマルチン)

終業式が終わって一段落。ほっと一息ついています。学期最後のクラス懇談では,保護者のみなさんに2学期の学習の様子をビデオとスライドで見ていただきました。ビデオでは,研究授業をした調理(スパゲティ&スクランブルドエッグ)の様子,スライドでは,いくつかの行事や日常の学習風景を映しました。この2学期は生徒達がほんとによく成長してくれまして,担任としてもやりがいがありました。その成長を最後に保護者のみなさんとも(ある程度)共有できてとてもよかったです。

クリスマスプレゼントの画像:トミカお出かけ立体マップ

さて,もう明日はクリスマスイブ。タローのクリスマスプレゼントをまだ買っていなかったことに気づいて,昨日,あわててトイザらスまで買いに行きました。親としては,BRIOの「きかんしゃトーマスシリーズ:木製レール&パーツ」あたりを買ってあげたかったのですが,本人に選ばせてみたら「ぶーぶーがほしいの〜!」と大騒ぎしたので,結局これにしました…「トミカ つながるお出かけ立体マップ」。ミニカーを遊ばせるための立体マップです。建設現場や町並み,道路が立体的になっていまして、ミニカーで橋を渡ったりトンネルをくぐらせたりすることができます。このプレゼントは24日の朝にまくらもとに。なぜ1日早いか…それは,25日だと私が出勤する日なので,一緒に遊べないからです。(2001/12/23 7:10)

昨晩は,仙台北バプテスト教会のクリスマスイブ礼拝に行ってきました。タローが静かにしていられるかちょっと心配でしたが,最後まで静かにしてみんなと一緒に参加できました。

礼拝の中で『靴屋のマルチン』というクレイアニメを観ました。この物語はトルストイ原作で,トルストイが自分の作品の中で一番気に入っていると語っていた物語だそうです。

貧しい靴屋のマルチンという老人が,毎日仕事に精を出しています。正直者で値段も安いのでいつも繁盛していました。しかし,彼の妻はこどもが幼いうちに亡くなり,こどもも若いうちに熱病で死んでしまいます。そんなつらい出来事のなかで,彼は生きる希望をなくし,やがて近所の人との関わりも嫌がり,惰性で続けている仕事だけが彼を支えていました。

ある日,神父さんが一冊の聖書を持って現れます。聖書の革がいたんだのでなおしてほしいと神父は言って立ち去りました。マルチンは,つらい体験の中で神への不満を持っていましたが,神父が置いていった聖書をちらちらと読むようになりました。そして聖書の中の一節に目がとまりました。ある大富豪がイエス・キリストを招待したときに,ひどいもてなしをしたというのです。それを読んでマルチンは「なんてひどいことだ。私のところに来ていただければできる限りのもてなしをするのに」と思いました。しかし同時に「この大富豪と同じことを私はしていたのかも」とも思いました。

そんなある夜のこと,夢の中にイエス・キリストが現れてこう言いました。「明日,おまえのところに行くから,窓から外をよく見ていなさい。」

次の日,マルチンは仕事をしながら窓から外の様子を気にしていました。彼が待ち望んでいるイエス・キリストはいっこうに現れません。そのかわり,窓から道路の雪かきをしている老人が寒そうに立ちすくんでいるのが見えました。マルチンはその老人を家に招いて暖かいお茶を振る舞いました。次に,赤ちゃんをかかえた貧しい母親が通りました。マルチンはその母子を家に招いてお母さんにショールをあげました。次に通りすがりにおばあさんのかごからリンゴを奪おうとした少年が見えました。マルチンは急いで外に出ていって,少年と一緒におばあさんに謝りました。

いろんな人が通り過ぎましたが,ついにイエス・キリストは現れませんでした。「やっぱりただの夢だったか」とがっかりしていたところに,イエス・キリストが現れました。イエス・キリストは,「今日,おまえのところに行ったのがわかったか」と言って,雪かきの老人や,貧しい母子,通りすがりのおばあちゃんと少年に次々にかわりました。

『そこで王は答える。「はっきり言っておく。私の兄弟でもあるこの最も小さい者の一人にしたのは,わたしにしてくれたことなのである。」』(マタイによる福音書25章40節)という聖書のことばが,昨日の礼拝のテーマだったように思います。忙しい日常の中で,他者を思いやり他者のために時間を費やす。それはその人を通して神を思いやり,神のために時間を費やすということだ,ということでしょう。昨年から今年の忙しさを振り返って,自分のことで精一杯で余裕がなかったなあと感じていたところだったので,昨日の物語と説教はとても心に響くものでした。(2001/12/25 16:15)

しし座流星群・ビデオ撮影成功!

しし座流星群の観望をしました。今日は2時起きです。とても寒かったけど,雲がときどき切れて星空が広がると,たくさんの明るい流星が飛んでいるのを見ることができました。試しにデジタルビデオで撮影してみたら,ちゃんと映っていましたので,QuickTime Movie にしてみました。さて,これをアップロードしたらお風呂に入って暖まろう。(2001/11/19 5:47)

2001年9月11日に思う

アフガニスタンのタリバーン政権に対するアメリカの軍事力行使が始まってから,「戦争反対!」「戦争は絶対に嫌だ!」という声がいろんなところから聞こえてきます。私も感情としてはそうなんですが,自分の意見としてそう言い切る自信はないというのが正直なところです。

それは,今まで自分が平和を勝ち取る,あるいは平和を継続させるための努力を何一つしてこなかったという事実があるからです。平和を勝ち取る努力を他人に任せておきながら,それが失敗したときにだけ反対意見を述べるというのはどうもおこがましいというか,無責任な気がします。

戦争は起こってほしくないけど起こってしまった。それをくい止めるような行動を,自分は何一つしてこなかった。そんな私がこの世界情勢から学ぶべきことは,平和を守るために戦争がはじまる前に自分は何をすべきだったのか,そして今,これから何をすべきなのかをよく考えること。そして行動を起こすことだと思います。

戦争は人類が誕生してから今まで,無くなったことはないですよね?戦争のない世界をつくるというのは,人類最大のチャレンジなのではないでしょうか。日本の片隅で「戦争反対」と叫んでみたところで,戦争はなくなりっこないと思います。だとしたら,平和を勝ち取るってどういうことなんだろう?自分はどういう役割を担えばいいんだろう?「戦争反対!」と叫ぶことで思考停止している人も巻き込んで,一緒に考えてみたいです。(2001/11/11 7:45)

後部座席でシートベルトを締めないのは危険

みなさんは車の後座席に乗るときに,シートベルトを締めていますか?うちではできるだけ締めるようにしていますが,他に後座席でシートベルトを締めている人に会ったことがありません。JAFが9月に行った調査では,後座席のシートベルト着用率は7%程度だったそうです。高速道路での調査ですが,思ったよりも高いという印象があります。

そのJAFの機関誌,JAF-MATEの11月号に「後座席でも必ず締める!生き残るためのシートベルト」と題して,後座席に乗員がいる状態での衝突実験のレポートが載りました。それによると,後座席の乗員がシートベルトをつけていないと,本人のみならず前の座席の乗員の危険性まで増すのだそうです。後座席の乗員もシートベルトを着用していた場合は,衝突によってある程度前に振られるものの全員が着座状態を保ちます。一方,後座席の乗員がシートベルトをしていないと,衝突によって激しく前方に飛ばされ運転席のシートに激突。その衝撃で運転席のシートが壊されて前に倒れ,運転者はシートとハンドルに挟み込まれました。この場合,後座席の乗員は膝の骨折に加えて上半身に重傷を負い死亡の危険があり,運転者も挟み込まれることで胸部の骨や内臓に大きな外傷を負うということです。時速50kmの衝突でこの状態です。

今朝の県内ニュースで乗用車の事故の報道がありました。若者が乗った乗用車が立木に衝突して乗員3名のうち運転席と後座席の一人が死亡したというものです。助かった人がどこに乗っていたかは不明ですが,おそらく助手席だったでしょう。JAFの衝突実験を地でいくような事故だったんじゃないでしょうか。(翌日の新聞記事でやはり助かった人は助手席に座っていた人であることが判明)

後座席のシートベルト。私はこういうちょっとしたことも危機管理の一つだと思います。危機管理というと国家レベルの話だと思う人もいるかもしれませんが,私たち一人一人の危機管理というところにももっと光が当たるべきです。(2001/10/21 07:26)

中学校理科研修会:野外観察についての講義と実習

竜の口層の貝化石竜の口層の貝化石

 久しぶりにハンマーとクリノメーターを装着して沢歩きをしてきました。10月25日に中学校の理科の先生方をご案内する地質巡見の下見です。場所は住吉台団地の裏側の焼河原です。ここには,今から500万年〜300万年前に堆積した竜の口層と向山層(広瀬川凝灰岩部層)が分布しています。竜の口層は海に堆積した地層で,たくさんの貝化石が含まれています。中でもタカハシホタテという名前の大型の貝化石は,ここ焼河原からたくさん産出しています。

昨日は地団研仙台支部が作成したルートマップを見ながら,地層の分布の確認と,走向傾斜を測るポイント,化石の産出状況などをチェックしました。一人で沢を歩きながら,腰のハンマーがキコキコ言うのを聞いていると,学生時代に戻ったような懐かしい気分になりました。上の写真は,他の人が捨てていったかけらの中からめぼしいところを拾ってきたものです。家に帰ってからクリーニングしてみたら,それなりに立派な標本になったような気がします。(2001/10/08 08:21)

掘り出し中のタカハシホタテ(ステレオ写真)
掘り出し中のタカハシホタテ2体(一応ステレオ写真です)

10月25日(木)に,中学校の理科の先生方の研修会に講師として参加しました。内容は,野外観察についての講義と,泉区焼河原での地層観察・化石採集の実習です。8名の各中学校の先生方,2名の研修センターの先生方と一緒に1日楽しく研修することができました。

午前中の講義は,センス・オブ・ワンダーの紹介ではじめました。自分のセンス・オブ・ワンダー原体験をお話ししたあと,参加者の自己紹介の中でそれぞれのセンス・オブ・ワンダー原体験を思い出して発表していただきました。やはりみなさん理科の教師だけあって,こどもの頃に星,蜘蛛,河原の小石などの身の回りの自然に興味を持って理科が好きになり,それが現在の職業につながったようでした。ある先生は「高校や大学の理科の授業はつまらなかったが,小学校,中学校の理科は楽しかった。それはやはり自然に対する驚きがあったからだ」というようなことをおっしゃっていました。現在の中学校は,高校入試のためにどうしても知識重点の授業になってしまうとのことでしたが,先生方のセンス・オブ・ワンダー原体験に立ち返って,理科本来の楽しさを味わえる内容が授業の中に少しでも増えたらうれしいと思います。

午後は泉区焼河原に移動。沢をじゃぶじゃぶさかのぼりながら地層観察と化石採集を楽しみました。ハンマーを持って山歩きをするのははじめてという先生がほとんどで,化石採集ってこんなに疲れると思わなかったなんていう感想もありました。もっとさくさく掘り出せるものだと思っていたそうです。この日の一番の収穫は,直径10センチ程度のタカハシホタテ1枚。ほぼ完全な形でとれました。落ちていたブロックをひっくり返してみたらそれがついていたんだそうです。すごいラッキーな拾いもの!これを拾った先生は,最初の自己紹介で「今日はいい化石を見つけたい!」とおっしゃっていたので,これで目的達成。みんなで拍手しました。1時間ぐらいの短い採集時間でしたが,他の先生方もそれぞれおみやげをゲットしたようでした。帰る時間になってもみなさん露頭にくっついたまま離れなくて,さすが理科の先生方というかんじでした。いい天気に恵まれて,青い空と紅葉の木々を見ながらの研修会。とても楽しかった。こんなことして給料がもらえるなんて,幸せ!(2001/10/27 07:23)

【読後感想】センス・オブ・ワンダー

センス・オブ・ワンダー;本の表紙

昨晩,ペリカン便で本が届きました。注文した翌日の夜に届くなんて早い!しかも送料なしで自宅まで配送してくれるし(→ http://www.amazon.co.jp)。

購入した本は,レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』です。本と言うよりは小冊子といったかんじですね。訳者あとがきまでいれても60ページ。30分もかからずに読み終わりました。レイチェルがおいのロジャーとともに楽しんだ,別荘の周りの自然...森の中や,海岸での出来事を中心に,自然をありのままに受け止めて感じることの楽しさを説いた本です。文章の中に織り交ぜてある写真がとってもきれいです。

この本を読んで,自分のこどもの頃の気持ちを思い出しました。満天の星空を観ながら天文学者になろうと思った頃のこと。学校の池の水を顕微鏡で見て,たくさんの微生物を飽きもせずに眺めていた頃のこと。あのころは私にもセンス・オブ・ワンダーがあったなー。

そして今,理科の教師となっていますが,こどものセンス・オブ・ワンダーを高めてあげること,満たしてあげることが,理科教師の仕事なんだと思います。来月,中学校の理科の先生方を相手に,双眼顕微鏡を使った火山灰の観察実習や野外での地層観察実習をさせていただくことになっています。そのときに,このセンス・オブ・ワンダーの本から一部紹介して,先生方にもお薦めしようと思いました。(2001/09/27 06:24)

町内ソフトボールデビュー戦

痛っ,イタタタタ…。全身筋肉痛です。昨日,近くの小学校のグラウンドで,地区対抗のソフトボールにデビューしました。周辺の5つの地区で隔週の日曜日に,夕方からリーグ戦をしているのです。昨日の成績は14−7で勝利!聞くところによると数年ぶりの勝利だとか…。

私の成績は,打撃では[第1打席]3塁打,[第2打席]安打,[第3打席]ホームラン,[第4打席]3塁ライナー,ということで4打数3安打3打点の猛打賞。なかなかのものでした。4打席目が2塁打なら,サイクルヒットだったんだなー。惜しい!でも守備ではエラー2を記録して2〜3点を献上してしまったので,攻守でプラスマイナスゼロというところです。

しかし打つのはいいけど,走るのはしんどいですねー。ソフトボールの累間は18.29mで,野球よりも10mぐらい短いんですけど,それでも2塁ベースをまわるころには膝ががくがくするんですよ。今とくに痛いのは右足の膝の裏側。ここはバッティングの時に一番力が入るところだから,打撃と走塁でダブルパンチだったんですね。これでも中学時代は野球部だったんですけどねー。体力の衰えをヒシヒシと感じます。

ナイター照明のカクテル光線を浴びながらプレーしたあとは,地域の集会所みたいなところでチームメイトと打ち上げです。これまで,地域の友人というと向こう三軒両隣ぐらいでしたけど,昨日で一気に広がりました。タローと散歩してるときによく見かける人もいて,今まではあいさつぐらいの関係でしたが,これからはもっと仲良くなれそうです。次回対戦は10月21日。とりあえずバットとグローブを買いに行こう。(2001/09/24 6:54)

オリジナリティについて

今日はオリジナリティについてひとこと。職場における自分の存在意義を考えるとき,私の場合「他の人と違うことができているか」という観点から評価します。他の先生と違うアイディアを供給できているか,他の先生がしないことをしているか,去年の自分よりも進歩しているか(去年の自分も他の人扱い)。これらの問いにYESと答えられなくなったら,転勤するというのが私のスタイル。自分のオリジナリティがなくなったら,私がそこに所属する意味はないということです。オリジナリティこそが私のアイデンティティと言ってもいいかも(ちょっと大げさ)。

ところで,アメリカで起こったテロ事件に対する日本政府の支援策をみると,どうもオリジナリティにかけるという印象があります。アメリカの役に立たなくちゃ!アメリカに喜んでもらわなくちゃ!そういう気持ちが先行していて,悪く言えばご機嫌を損ねないようにビクビクしながら伺いを立てているかんじ。

日本にしかできない,日本ならではの行動がほしいです。自衛隊による後方支援は,本当に必要なんでしょうか?それは日本にしかできないことなんでしょうか?また,日本は欧米に比べてイスラム社会とよい関係を保ってきたそうですが,自衛隊の派遣は今まで友情をはぐくんできたイスラムの友人たちに相談して決めたことなんでしょうか?そもそも「対米支援」だけでいいんでしょうか…対イスラム支援は?他の国で簡単に代わりになれるようなことばっかりやっていると,そのうちアメリカにも見放されますよ,きっと。(2001/09/21 5:54)

役所のさが,学校のさが

昨日のニュースでみたこと。小泉内閣が今,特殊・認可法人の廃止・民営化を進めていますが,それに対して役所からの「特殊法人は必要だから存在する」という反発が強いとか。問題点(お金がかかりすぎること)を棚上げにして「必要だ」と開き直る。小泉首相はそういう役所の反発を「役所の性(さが)だね」とバッサリ言ってました。

ところで,学校で個別の指導計画の普及に積極的にかかわっている私ですが,光明時代から一つ納得できないことがあります。それは,個別の指導計画を導入する前から行っている仕事をただの一つも減らさずに,新しい仕事をしろと言う管理職の考えです。残業残業で疲れている教師たちに,やって当然という顔で仕事の上乗せを言いつける。私はことあるごとに,相対的に重要度の低い仕事を整理してほしいと発言してまして,その標的は主に会議なのですが,それに対する返事は決まって「会議は必要だからやっている」なんですよ。開き直った役所と同じじゃないですか。小泉首相に倣ってこれを「学校の性(さが)」とでも呼んでおきましょうか。しかし,学校の先生とか役所の役人というのは,自分のしてることを振り返って改善するということができない人たちなんでしょうかね。そういう教育を受けてこなかったってことか…。(2001/09/05 5:46)

思い出の絵本をタローに

しょうぼうじどうしゃじぷたの表紙

昨日の夕方,街に行く用事があって外出しました。その帰りに仙台市北山にある「横田や」という絵本と木のおもちゃのお店によって,絵本をたくさん買ってきました。

この中で,特に私の思い入れの強い絵本が『しょうぼうじどうしゃじぷた』です。私の幼年時代から小学校低学年のころに,好きで好きで何度も何度も読んだ本です。最後の方でじぷたが活躍するシーンではいつも涙ぐんでいました。昨日もタローに話して聞かせながら,途中で読めなくなってしまいました。初版が1963年10月,そして2001年5月に第97刷となっています。私が生まれる前からずっと読まれ続けている本なんですね。これからもたくさんのこどもたちに読んでほしいです。(2001/08/19 7:27)

夏休み:タローと二人旅

8月12日(日)〜14日(火)の2泊3日で帰省してきました。今回の帰省は,電車でタローとSphinxの二人旅。タローはお母さんのいないはじめてのお泊まりでした。1日目の夜はさびしくて「おかあさ〜ん」と泣いていましたが,2日目からは立ち直って,祖父母や親戚のお兄さん,お姉さんと遊んだり,散歩に行ったりしました。お出かけはお墓参りと月山の牧場。牧場では初めて本物の牛とヒツジを見て喜んでいました。(2001/08/17 8:07)

8月20日〜21日,タローと二人で一泊二日の伊豆旅行に行ってきました。伊東市の城ヶ崎で,洋上研修の同窓会があったのです。MAXやまびことこだまを乗り継いで3時間半,熱海駅でメンバーと合流。そこから城ヶ崎のコテージに行きました。天気がいまひとつだったこともあり,観光したのは城ヶ崎海岸の門脇吊り橋だけでした。海面が眼下はるか下に見える吊り橋を渡り,展望台から海を見ていたら,突然多量の波しぶきが!私たち一行は全員水浸し。口に入った海水はしょっぱいし,目に入ったのは痛いし,デジカメも水浸しになるしたいへんでした。でもずぶぬれ姿をしっかり写真におさめて,これもいい思い出になりました。しかし,波しぶきがあんなに重いものとは思わなかった…(打たせ湯みたいな圧力でしたよ)。

二日目は台風の影響で大雨だったので,コテージでのんびりしました。帰りは伊東から普通列車で熱海,熱海からこだまで東京へ,東京からやまびこで仙台着です。途中,東京・両国にある江戸東京博物館によって,念願の「世界遺産・ポンペイ展」を見てきました。タローは寝るだろうという予想を覆して,ハイテンションで歌ったり騒いだりしたので,落ち着いてみることはできなかったのですが,樹脂でかためた犠牲者の型どりや,当時の豪華絢爛な装飾が施された家屋の模型など,見たかったものはしっかり時間をかけてみてきました。よく見られなかった分は,売店で買ってきた展覧会の資料集を読んで埋め合わせです。(2001/08/23 6:52)

タイのRCYも参加した今年のJRCリーダーシップトレーニングセンター

8月に入って泊まりがけの行事が多くて,落ち着かない毎日を過ごしています。8月3日(金)から5日(日)の3日間は,泉が岳青年の家で行われた青少年赤十字のリーダーシップトレーニングセンターに参加してきました。

宮城県内の高等学校の青少年赤十字の代表が一同に集まって,救急法の訓練をしたり,赤十字活動についてグループごとの討論をしたり,林間コースのオリエンテーリングをしながら,リーダーとしての研修を行います。生徒たちはみな意欲的にこのプログラムに参加しているので,指導者が声を張り上げて指図する必要はなく,無駄話のために研修の進行がさまたげられるようなこともありません。向上心と自律心に満ちた若者たちと過ごす時間は,とても楽しく刺激的なものでした。

私は平成6年から毎年この研修会に参加していますが,今年はいつもと違う点が一つありました。それは,この研修会にタイのRCY(レッドクロスユース)のメンバーを招待したことです。13歳から18歳までの6人のタイ・メンバーが,宮城県の高校生たちとともに3日間の研修会に参加しました。タイのメンバーと私たちの意志の疎通は英語で行いました。タイのメンバーは,宮城の高校生や私などよりも英語を上手に使うことができます。宮城の高校生たちは,最初英語を使うことにとまどいを見せていましたが,すぐに慣れて片言の単語を並べて一生懸命話をしていたようです。私もやはり英単語を並べてみたり,ノートに英文を書いたりして,私なりに一生懸命会話をしてみました。でも,昔覚えたはずの単語がぜんぜん思い出せなくて,もともと低い英会話力がさらに低下していることを思い知りました。

研修の合間などに互いの文化を紹介しあう機会がありました。タイのメンバーは,民族衣装をまとってタイのいろんな地域で踊られる踊りを教えてくれたり,写真を使ってタイのお祭りを紹介してくれました。日本からは,折り紙を一緒に折ったり,お茶をたてて一緒に飲んだりしました。また,グループ討論の中でタイのRCYの活動について教えてもらったり,互いの国の遊びを紹介しあって一緒にやってみたりしました。

3日間の活動を通して,タイのメンバーと宮城県の高校生たちはとても仲良くなりました。別れるときには互いのメールアドレスなどを交換していたので,きっとこれからも交流が続いていくことでしょう。私たち教師も,タイのメンバーたちをすっかり気に入って好きになりました。今回の国際交流プログラムが,3日間同じ場所で寝食を共にしながら議論したり体を動かしたりするものであったということがとてもよかったと思います。せっかく遠くから来たからということで,県内各地を移動しながらいろんな場所で少しずつ交流するというプログラムだったら,タイのメンバーと私たち(高校生や教員)はここまで彼らと仲良くなれなかったでしょう。日本赤十字社が,私たちにとてもいい機会を与えていただいたことを感謝します。(2001/08/11 9:24)

タイのメンバーにいただいたおみやげ
<タイのメンバーからのおみやげ>
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ドリカムのテクノポップ

DREAMS COME TRUE の NEW SINGLE「いつのまに」に入っている「スキスキスーハート」を聴いたときに,曲の雰囲気から昔懐かしいYMOを思い出したんですけど,ドリカムのオンラインマガジンdisc-us [ディスカス]vol.3を見たらやっぱりそう書いてありました。この「スキスキスーハート」は,「エレクトロ・ドリテクノ…ドリYMOって感じ」でつくったのだそうです。

YMO(Yellow Magic Orchestra)は,私が音楽を聴き始めるきっかけとなったバンドです。当時,私が通っていた中学校で,掃除の時間にかかる音楽が,YMOのライディーンとテクノポリスだったのです。それを毎日聴いていてすっかり好きになり,レンタルレコードで借りまくってひたすらYMOを聴くようになりました。そのうち聴くだけでは物足りなくなり,バンド譜を買ってきて家にあったエレクトーンで弾くことを覚え,大学生になってからはシンセサイザー,リズムボックス,シーケンサーにマルチトラックレコーダーと一通りそろえて多重録音の世界にはまっていきました。(今はまったくやってません)

私の音楽の原点と言えるYMOの世界が,今私の音楽のほとんどすべてと言っていいDREAMS COME TRUE の中に再現されて,とてもとてもうれしい!

ところで NEW SINGLE「いつのまに」を買うと,7/31までの期間限定特典として『「いつのまに a-mix feat.Yoshihiro Kondo」ピアノ楽譜』をダウンロードすることができます。このダウンロードのためのパスワードは,CDの背表紙の帯の部分に書いてあるんです(ケースとビニールの間にあって封を切るとパラッと落ちてくるやつ)。私はこの帯をいつもすぐ捨てるので,ダウンロードしようと思ってサイトにつなげてビックリ。あわててゴミ箱から救出してパスワードを知ることができました。皆さんは,そんなことにならないように注意してくださいね(そんな慌て者はぼくだけ?)。

※ちなみに,うちの中学校の下校の音楽はイーグルスのホテル・カリフォルニアでした。今でもこの曲を聴くと,中学時代の放課後の雰囲気を思い出して感傷的な気分になります。

タロー,秋保電鉄に夢中

昨日の夕方,タローを連れて秋保・里センターで行われた「あきうジャズライブ」に行きました。風通しのいい屋外ステージで,八木山ジャズクラブの約1時間の演奏をビール片手に聴いてきました。

秋保・里センターは,つい先日できた秋保の文化センターです。秋保の文化・観光情報の展示の他に,週末にはいろんなバンドのライブやちょっとした工芸教室などが催されます。

昨日はジャズライブの他に,『小野寺純一 ぼくらのマッチ箱電車原画展』という展覧会もやっていました。マッチ箱電車というのは,昭和36年まで秋保温泉〜長町間を走っていた1両編成のチンチン電車(秋保電鉄)のことです。秋保・里センターには秋保電鉄の大きなジオラマがあって,ボタンを押すと電車が走ったり,商店の電気が点いたりします。タローはこのジオラマが大好きで,センターに行くと必ずそこに行き,遊んでいる他のこどもを押しのけてもボタンを押そうとします。その秋保電鉄を書いた絵本『ぼくらのマッチ箱電車』の原画展だったので,タローも「あ〜!でんしゃだ〜!」と叫びながらしっかり絵を見てまわりました。

会場にはマッチ箱電車のペーパークラフト(紙製の模型)も飾られていて,タローは「でんしゃちょーだい!でんしゃちょうだい!」と大騒ぎ。会場にいらしていた著者の小野寺純一さんに頼んだら,まだ組み立てられていないペーパークラフトをわざわざセンターの事務所まで取りに行って「タローくんに」といただきました。『ぼくらのマッチ箱電車』の絵本と絵はがきを買って,小野寺純一さんにしっかりサインをいただいて帰ってきました。楽しい夕方のお散歩でした。(2001/07/22 8:26)

秋保電鉄のジオラマ

沖縄のシークワーサージュースについて

昨日,DREAMS COME TRUE の NEW SINGLE「いつのまに」を買ってきました。やっぱりいいです。さっそくMP3に変換してRio600に転送。今日の通勤はこれを聴きながら。

12日の朝日新聞に「シイクワシャー血糖値など改善」という小さい記事が載っていました。沖縄のかんきつ類シイクワシャーに「血糖値や血圧を下げる効果がある」ことが分かったのだそうです。このシイクワシャー(私はシークワーサーと呼んでますので以下そのように)のジュースがとても大好きで,いつも夏になると沖縄農園に注文して宅配してもらいます。今年も沖縄農園のウェブサイトから注文しました。

シークワーサーに出会ったのは,今から12年前。大学院1年生の夏休みに地質調査所が行った沖縄トラフの海底調査に参加したときです。沖縄近海の海底を船から調べる調査だったのですが,船の燃料補給のためにときどき沖縄本島に寄港するので,そのときに街で買って飲みました。さわやかですっきりした味…オレンジジュースとレモンジュースの中間のような感じなんですけど,それが沖縄の暑さにとても合うんです。

沖縄農園のウェブサイトによると,シークワーサーの効能が去年の末にテレビでも紹介されたらしく,今年はジュースの注文が殺到しているそうです。あまり有名になってほしくないなと思ったりもしますが,ナタデココみたいにすぐに忘れさられてしまうかな?でも本当においしいからファンが増えるのは間違いないでしょう。みなさんも一度お試しになってください。(2001/07/19 6:14)

タローの2歳の誕生日

昨日はタローの2歳の誕生日でした。夕食の後,手作りミルクレープとお茶で誕生会をしました。誕生日プレゼントは二つ。一つはグランパパの「AROUND THE WORLD MAZE」というおもちゃ。グルグルの針金に,太陽だの星だの車だの船がたくさんぶら下がっていて,それを手で動かして遊びます。もう一つは,レゴブロック。昨日は「AROUND THE WORLD MAZE」に,さっそくはまって,「あらー」などと歓声を上げながらやってました。ぜんぶ移動させて,できあがりをしばし眺めて一人で拍手。楽しそう。飽きずに長く使ってくれるといいのですが。(2001/07/07 6:38)

昨晩はいい天気でした。七夕だったので久しぶりにベランダから星空観望。月が明るくて天の川は見えませんでしたが,織り姫や彦星はしっかり見えました。さそり座のアンタレスとその近くに明るく輝く火星の赤い星ペアももいい眺めでした。

ところで昨日書いた誕生日プレゼントの「AROUND THE WORLD MAZE」は,こんなおもちゃです。グランパパのウェブサイトで探したのですが見つからなかったので,自分で撮影しました。(2001/07/08 8:30)

「AROUND THE WORLD MAZE」で遊ぶタロー

プロこそがシンプルにできる(ルロス・ゴーン)

最近,新聞で読んで覚えておこうと思った言葉。
「アマチュアは物事を複雑にする。プロこそがシンプルに明快にできる」
カルロス・ゴーン(日産社長)の持論の一つで,彼がレバノンで受験生だったときに神父から教えてもらった言葉だそうです。

この言葉,いろんな場面で応用が可能ですね。例えば文章について。一つ一つの文はなんだかかっこいいんだけど,全体を通してみると何を言いたいのかよく分からないという文章に出会うことがあります。この人は何を伝えたくてこの文章を書いたんだろうと考え込んでしまうんですが,きっと書いた人も何を書いてるのか分からないに違いないというのが私の想像です。目的もなく文を連ねてしまうので,複雑で意味の分からない文章ができあがるのです。そういう,一見かっこいいけど意味の通じない文章,学校の研究紀要に多いように思うんですが,気のせいでしょうか?(2001/06/15 07:25)

NHK「課外授業〜ようこそ先輩〜」腹話術師のいっこく堂さん

6月10日のNHK番組「課外授業〜ようこそ先輩〜」は,腹話術師のいっこく堂さんが,母校である沖縄市立中の町小学校の6年生に腹話術の授業をするというものでした。
 こどもたちは宿題で「大人にいいたくても言えないこと」を作文に書いてきます。授業ではその作文を自分と人形の会話に直して腹話術の台本をつくります。そして相棒となる人形を自分で作り,大人たちの前で腹話術で発表しました。
 台本をつくるときのポイントは,自分が言いたいことは人形に言わせて,自分は相手の主張をいうというところです。自分の主張を人形に託すことによって,ちょっと言いにくいことも言えるようになりますし,台本に相手の主張も入れなければいけないので,相手の立場で考える必要が出てくるのです。
 この授業は,独りよがりでない,公正な主張を述べるためのいい訓練になったと思いました。こどもたちの主張の相手も,おじいちゃんだったり先生だったりいろいろです。こどもたちの本音の主張,なかなか面白かったですよ。(2001/06/12 6:07)

「たんぽぽの仲間たち」の山元加津子さんの講演会

たんぽぽの仲間たちの山元加津子さんの講演を聞きに行ってきました。山元さんは養護学校の先生です。講演の内容は,養護学校で出会ったたくさんのこどもたちとのお話でした。命にとても近いところで生きているこどもたちからたくさんのことを学んだとおっしゃっていました。こどもたちに寄り添う中から,魔法のようにこどもたちの成長を引き出す山元先生のスタンスがとてもすてきです。

山元さんのウェブサイトには,私が昨日聞いたような素敵なお話がたくさん掲載されています。ぜひ訪問してみてください。(2001/04/23 6:03)

【読後感想】PSIKO4月号「依存症の研究」

PSIKO(こころの健康と現代社会を考える月刊誌)の4月号を読みました。今月の特集は「依存症の研究」。8人の専門家がいろんな角度から依存症について述べています。
 私はその中で,『「アダルトチルドレン」という言葉が真にもたらしたものは近代的な家族観の崩壊である』という信田さよ子氏(原宿カウンセリングセンター所長・臨床心理士)の文章が心に残りました。

−−−父親は仕事に一生懸命,母親は仕事をあきらめて専業主婦になり,そのぶん子どもにエネルギーを注いでとにかくいい大学に入学させるという歴史でした。(中略)父・母・子の三者が機能を最大限発揮した結果が機能不全を起こすというパラドックスなのです。−−−

これを読んで私が思ったことは,あまりに機能が限定されたスペシャリスト集団になってしまうと,家庭の中で互いのことが見えにくくなって孤立してしまうのではないかということです。さらに,気持ち的に孤立していても,実際の生活では自分に欠落している機能を相手に頼らないとやっていけないわけで,このへんのアンビバレントな感じが支配とコントロールをうんで機能不全につながるのではないかと感じました。タローを育てながら共依存的でない家庭をつくろうと模索しているわけですが,今の私が想定しているゴールは「一人一人がすべての機能を分担できる基礎的能力を持ちながら,実際の生活ではある程度の分担ができている(いつでも交代可能)」という状態です。それが正解なのかどうか,まったく分からないんですけども。

「交代可能」の一つの実践として…というわけでもないのですが,土曜日のお昼にタローと二人でLAOX仙台店まで買い物に行きました。目的は64MBの容量のスマートメディア。つい最近,128MBのものが発売され,64MBの値段がかなりこなれたので購入することにしました。1枚7,500円。数年前は8MBで1万円ぐらいでしたが,安くなったものです。これでデジカメの撮影可能枚数が,15枚(8MB)から128枚に激増。旅先でスマートメディアを何度も入れ替えたりする苦労もなくなりました。買い物のあとは,ラオックス1階にあるマクドナルドへ。タローはおもちゃ付のハッピーセット,私はスーパーバリューセットを食べて,満足して帰ってきました。(2001/04/16 6:28)

CD−ROM「前田真三 丘の風景」

昨日,インターネットで注文したCD−ROMが届きました。「前田真三 丘の風景」という写真集です。前田真三氏が北海道の美瑛〜上富良野で撮影した風景写真を,ゆったりとしたBGMと一緒に鑑賞できます。スライドショーで移りゆく風景写真を見ていると,心が落ち着いて,そしてなぜか子どもの頃の自分がその風景の中にいるような,懐かしい気持ちにひたることができます。

先日何気なくつけたTVで,前田真三氏の写真を展示する拓真館という美術館が紹介されていました。拓真館は前田真三氏が廃校となった小学校を譲り受けて開設したフォトギャラリーです。それまで拓真館や前田真三という写真家のことはまったく知らなかったのですが,TVで紹介された風景写真の数々を見てすっかり魅了されてしまい,すぐにCD−ROMを注文しました。

昨日はさっそくCD−ROMをパソコンのハードディスクにコピーして,CD−ROMを持ち歩かなくても,いつでもどこでも鑑賞できるようにしました。近い将来,ぜひ美瑛の町と,拓真館を訪れてみたいと思います。(2001/04/07 7:09)

「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書について

「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した中学の歴史,公民教科書の検定に関して,最近話題になっていましたね。私も少し興味を覚えて関連する新聞記事を注意して読んできました。その教科書がつい先日検定を合格したそうで,近隣諸国の人たちはだいぶがっかりしたようです。私もがっかりしました。

今回の新聞記事を読んでいて一番疑問に思ったことは,この教科書を使わされるかもしれない中学校の社会の先生の意見をまったく聞けなかったことです。どうして誰も意見を言わないのかな。どうせ自分の地域では採択されないと思ったのでしょうか(そうだといいなあと私も思いますが…)。

私がこの件で学んだことは,不安定で先が見通せない時期に,ナショナリズムに安定を求めたくなる人が今でもいるんだということです。不景気と世紀越えという不安要素,そして国家という枠組みを超えて人や情報が流通する時代への急激な変化。それに置いていかれるという不安。でも,環境問題一つ考えても,一国で解決できるような時代は過ぎ去ってしまったわけですからね。ナショナリズムに未来はないんじゃないでしょうか?

それから,今回の件で一つ「よかった」と思えることは,これを機に「教科書は必ず正しい」という幻想を捨てた人がたくさんいたんじゃないかということです。教科書は,やっぱり誰かの主観で選ばれた情報が並んでいるものなので,その筆者の考えがどうしてもにじんでしまいます。教科書と言えども,「たくさんある意見の中の一つ」でしかないのです。昔,地学の教員をしているときに,発行されているほとんどすべての教科書に目を通しましたが,1冊1冊が本当に個性的でした。巻末の執筆者の欄を見ると,なるほど〜〜〜と納得するんです。そういえばある教科書は,プレートテクトニクスをまったく無視した書き方がされていて驚いたものです(90年代の話です)。今回の件で,教科書の記述に自分を合わせるのではなく,自分の考えや主張を大切にしながら教科書を参考にするというクールな使い方をする人が増えることを期待したいと思います。(2001/04/05 6:32)

栃木県下都賀地区の教科書採択協議会が「新しい歴史教科書をつくる会」による歴史教科書の採用を決めたというニュースには驚きましたが,その後地区内の各教育委員会がその方針を否決しているそうで何よりです。つくる会のほうはせっかくのチャンスを覆されそうで,吠えまくっていますね。昨日の朝日新聞には,韓国政府の抗議を報道する日本の報道機関に対して「韓国の国益に発した威嚇行動に日本国民を無防備にさらしている」と批判したという記事が載っていました。「日本人の誇り」のためには私たちの知る権利も報道の自由もないほうがいいということなんでしょうか。つくる会のホームページには,「○○に抗議!」とか「〜を要求!」とかそういう記事がいっぱい。「常軌を逸した」という言葉もよく出てきます。つくる会のみなさんは血圧が上がっているようで,読んでると結構おもしろいですよ。

東京都中野区では教科書採択に小中学生の声を取り入れることにしたそうです。これはとても素敵なことだと思います。拍手!拍手!「子どもに判断能力はない」という反対意見も寄せられたそうですが,「子どもが教科書選びに関わるのは大切なことであり,権利でもあると思う」という区教委の岩瀬指導室長のコメントにまたうれしくなりました。

自分が学ぶ教科書を自分で選ぶというのは,改めて考えてみると当たり前のことのような気がします。それにこどもたちがどの教科書を選んでも,それは検定に合格したものです。「子どもに判断能力がない」という批判は的はずれではないでしょうか。教える教師の側だって,どんな教科書を使っても教えられるようでなくてはプロとはいえません。教科書が変わって右往左往するようでは,授業を教科書に頼りすぎているということだと思いますよ。

東京都中野区のような取り組みが,これから全国に広がっていくといいなあと強く思います。(2001/07/21 6:37)

【読後感想】個性を生かす支援ツール

「個性を生かす支援ツール−−−知的障害のバリアフリーへの挑戦−−−」を読み終わりました。これは知的障害児教育にかかわる教師には超おすすめの1冊です。

障害児教育にチャレンジ 23

個性を生かす支援ツール

−−−知的障害のバリアフリーへの挑戦−−−

藤原義博監修/武蔵博文・小林真編
富山大学教育学部附属養護学校 著
明治図書(2460円+税)

ここ5年ぐらいの間に,『個別の指導計画』が多くの養護学校の研究課題として取り上げられるようになり,今まで以上に本人や家族のニーズをふまえた個別目標が作られるようになってきました。しかし,教師の目標設定のスキルが上がったにもかかわらず,授業内容や指導技術にはそれに見合うだけの進歩があったようには思えません。そのためにせっかく立てた個別目標を達成させないまま次の年度に申し送ってしまうことも少なくないのが現状ではないでしょうか。すこし大げさに言ってしまえば,その現状を打破するためのツールがこの本です。

生徒が自力で課題を行うために「手がかりツール」を活用し,生徒本人に「自分でできた!」という達成感を持たせます。また,学習や仕事の成果を生徒本人が「交換記録ツール」に記録し,それに教師や保護者からの励ましのメッセージをもらいます。このような仕組みにすると,生徒は学習をすればするほど達成感や賞賛を得ることになり,それが次の挑戦への意欲になっていきます。生徒は自分から進んで学習を行うようになり,教師は「やりなさい」とか「がんばりなさい」という必要がなくなります。この本にはこのような支援ツールを用いた指導実践事例がたくさんつまっていてとても参考になります。また,本の中の生徒たちがとても意欲的に楽しく学習していることに感動しますし,「だからキミもがんばれ」と応援されているような感じもします。

特殊教育の世界に入って6年間(最近このフレーズ多いですね),探していたものにやっと出会ったという感じがします。これからの私の指導スタイルは「個別の指導計画」と「支援ツール」の2本立てで決まりです!(2001/04/02 8:11)

馬場のぼるさん(漫画家)

29日にタローを小児科につれていったついでに,宮城県立図書館によって絵本を借りてきました。タローのお気に入りは,「11ぴきのねこ」シリーズで有名な馬場のぼるさんの絵本です。この日は「ぶたたぬききつねねこ その2」という絵本を見つけて借りました。

馬場のぼるさんは,私の祖父・栄太郎の教え子だったそうです。実家には若い頃の馬場のぼるさんの写真があります。ひいおじいちゃんの教え子の作った絵本が大好きなタロー。なんだか不思議な縁を感じています。(2001/04/01 8:04)

4月1日の「ひとこと」で取り上げた馬場のぼるさんが,昨日お亡くなりになったそうです。う〜む,残念。タローと一緒にファンレターを送りたいと思っていたのに…。(2001/04/08 5:50)

他人の目が必要

他人の目ということを,このところ少し考えています。何日かに分けて少しずつ書いてみたいと思います。

つい先日起こった実習船「えひめ丸」とアメリカ海軍の原子力潜水艦の衝突事故では,事故後とても早い段階でアメリカ政府から謝罪の意が日本側に伝えられました。また,その後の調査でも民間人が操舵室にいたことなど潜水艦側に都合の悪い情報が次々に明らかにされています。少し前の大統領選挙の時も思ったのですが,アメリカという国は本当に情報の透明性が高いんだなと感じます。もしこの事故が日本の自衛隊によるものだったら,謝罪や調査などの事故後の対応はどのようになっていたでしょう。【続く】(2001/02/16 6:48)

昨日の朝日新聞朝刊に,原子力潜水艦に同乗した民間人のTVインタビューが掲載されていました。その中で次のやりとりが印象に残りました。

司会者: 海軍の関係者がこの事故について,かん口令をしいたりしましたか?
民間人: そういうことは全くなかった。印象的だったのは,艦長が「この先どういう展開になるかわからないが,大げさに話したり脚色したりせず,見たこと,聞いたことだけ,事実だけを話してほしい」と言ったことだ。

事の重大さは原潜事故と全然違いますが,例えば外交機密費・内閣官房機密費の横領事件に対する外務省や政府の対応を見ていると,事実に対する態度の違いを感じざるを得ません。「うそも方便」という言葉がありますが,どうも日本の文化の中には「多少事実と違っても丸く収まるならそれでよし」という価値観があるように感じます。その価値観が100%間違っているとは思いませんが,使い方によってはうまくない状況を引き起こすのではないでしょうか。特に,立場の強いものが自分の都合で物事を丸く収めようとするときに,立場の弱いものが不利益を被ります。【続く】(2001/02/18 6:39)

大学入試の合否判定ミスについて,ちょっと前に書いていた「他人の目」の話の延長で書いてみます。山形大学につづいて,富山大学,金沢大学と,次々に合否判定のミスがあったことが明らかになりました。私は山形大学の件が明らかになった時点で,こういうのは他にもあるに違いないと思っていましたので,他の二つの大学のニュースが流れたときも,特に驚いたりはしませんでした。

こういう事件が明らかになると,みなさん「起こってはならないことが起こった」などと言ったり書いたりしますけど,現実に起こったことに対して「起こってはならないこと」などと言ってみてもしょうがないという気がします。また「なぜミスが起こったか?」というアプローチも,私はあまり好きになれません。そういうアプローチももちろん必要なんですが,それだけで終わりにするなら,ミスはまた起こります。起こさないように気をつけているのに起こしてしまうやり損ないをミスと言うんですから。いくら当事者(入試業務の担当者)が厳重に気をつけていても,ミスがなくなる保証はありません。また今後,当事者が本当に厳重に気をつけるかどうかの保証もありません。

むしろ今回の件で考えるべき事は,なぜ誰もミスに気づかなかったのか,ということだと私は思います。平成9年度の入試で起こったミスが今頃になって明らかになる。他の同期が大学を卒業する頃になって「実は合格でした」と言われても困るでしょう。もっと早く誰かが気づいていれば,被害は少なくて済むわけです。

そのためのキーワードが,「他人の目」だと思うのです。山形大学の合否判定にミスがあることに気づいたのは,山形大学を受験した受験生でした。山形大学では今年から入試成績開示制度というのがはじまっていて,ある受験生に対して開示された入試の点数が明らかにおかしかったのです(素点を2倍にするので必ず偶数になるはずなの得点が奇数だった→2倍にするのを忘れていた)。入試の点数を開示しなければ,今回の事件は「なかったこと」になってしまったに違いありません。情報を公開することが,ミスの発見につながったのです。

前回(2月18日),「他人の目」の話の中で「立場の強いものが自分の都合で物事を丸く収めようとするときに,立場の弱いものが不利益を被ります」と書いたのですが,そういう意図がなくても,うっかり立場の弱い人に不利益を与えることもあるんですね。やはり立場の強い者は,積極的に情報を公開することで,立場の弱い人の権利を尊重していくべきなんだというのが,私の今回の感想です。(2001/06/20 6:26)

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の差別的表現!?

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(J.K. Rowling 著/松岡佑子 訳,静山社)の中に,先天性疾患に対する差別的表現があったということで,昨年末に増刷された分から該当部分を削除しているそうです。自分が読んだときにはまったく気づかなかったので,いったいどこだろうと調べてみたら,次の部分でした。

自分の容姿のよさを鼻にかける魔法学校の先生,ロックハートが,他の魔女の容姿をけなす部分です(438ページの最初のパラグラフ)。

バンドンの泣き妖怪を追い払った魔女は兎口(みつくち)だった。

大辞林の第二版によると「兎口」は「うぐち」とか「としん」と読むそうですが,本の中では「みつくち」というルビが振られています。みつくちというのは,口唇裂の俗称とのこと。性格の悪いロックハート先生がいかにも言いそうなことばです。

これが削除して封印すべき表現かどうか,私はちょっと考え中です。確かに読んで気持ちのいいものではありませんし,特に当事者にとっては腹立たしい内容だと思います。ここで口唇裂を引き合いに出さなくても,ロックハート先生のナルシストぶりや性格の悪さは伝えられるでしょう。子どもたちにとても人気があって熱狂的に読まれている本だということもあります。また,口唇裂のような外見にかかわる疾患の場合,普段の生活の中でもロックハート先生のような偏見の目で見られているということも考えられます。ですが,だから削除…というふうには思えないんです。新聞によると,神奈川県教委が各県立学校に「児童生徒の目に触れないように」という指示を出したり,奈良県教委は「削除済みの新しい本に買い替えるか,問題の部分を隠すかの対応を検討中」なのだそうです。「悪いものは見せるな!」ということのようですが,ほんとうにそれでいいんでしょうか?

例えば,その部分に注釈をつけてみてはどうでしょう。口唇裂という病気について,そして口唇裂の患者がロックハート先生のような無知による偏見にさらされているという状況などを,紙面を多めに使ってこどもにも分かるように説明する。その方が,長い目で見て口唇裂の正しい理解につながるように思います。浦和市立図書館では,児童書コーナーから一般書コーナーへ移して,問題点を指摘する文書を添付した上で貸し出しをしているそうです。まるっきり封印してしまうよりも,こういう対応のほうが私は好きですね。願わくばこどもたちにも分かるような説明文をつけて,児童書コーナーにも置いてほしいです。(2001/02/10 7:24)

口唇裂について,インターネットを検索していくつか読んでみました。(2001/02/11 7:40)

★親御さんの育児記録
http://www.eve.ne.jp/user/fortune/child/index_m.html
★慶應義塾大学形成外科
http://www.prs.med.keio.ac.jp/intro/cleftlip.htm
★静岡県立こども病院の口蓋裂診療班
http://www.pref.shizuoka.jp/kenhuku/kf-14/hospital/section/cleftlip/indexk.html
★東京医科歯科大学歯学部附属病院CLP専門外来
http://www.tmd.ac.jp/dent/os1/clp-t.html

ハイブリッド式加湿器

ハイブリッド式加湿器というものを買いました。(こんなの)これでうちにある加湿器は3台になりました。2台は居間に置いてあり,新しく買った1台は寝室に置きました。寝室では,寝るときにデロンギのオイルヒーターをつけっぱなしにしているのですが,そうするとどうしても空気が乾燥します。

今回購入した加湿器はハイブリッド式というもので,加熱による強制的な加湿と,室温の空気を水に触れさせて気化させる自然な加湿の,両方のやり方ができるものです(加湿方式の説明)。暖房をつけたときなどの急激な湿度低下に対しては,加熱した空気を送って蒸発量を多くします。洗濯物にドライヤーの温風をあてて水分を飛ばすようなかんじです。湿度が安定したら,ヒーターを切って室温の空気を送る普通の気化式に切り替わります。気化式はヒーターを使わないので,電気代が安くすむし,なにより必要以上に加湿する心配がありません(湿度が上がると自然に蒸発しにくくなるので)。空気を送るファンの音が予想外に大きかったのですが,寝るときに特に支障が出るほどではありませんでした。適切な湿度で朝起きたときの喉の調子がとてもいいです。(2001/02/03 6:19)

アスペルガー症候群について

昨年5月に愛知県豊川市で17歳の高校生による殺人事件が起こりました。当時64歳の主婦が刺殺され,ちょうど帰宅した被害者の夫も切りつけられたという事件で,当時高校三年生の少年が逮捕されました。

この事件について名古屋家裁は,少年が「アスペルガー症候群」であり「責任能力は限定される」という精神鑑定結果に基づいて,「善悪を判断する能力が著しく減退した心神耗弱の状況にあり,専門家による医療と矯正教育が必要だ」として医療少年院送致の決定を言い渡しました。

この家裁の決定についての報道を巡って,アスペルガー症候群の関係者(本人,家族,療育関係者)は,アスペルガー症候群という病名が殺人事件という出来事とセットで知られるようになったことにショックと不安を感じました。多くの一般市民はこの病名を,今回の事件ではじめて聞くことになったと思います。そうすると,報道のしかたによってはアスペルガー症候群に対する偏見や誤った先入観を醸成することにつながる可能性があります。そこで,アスペルガー症候群に対する正しい報道がなされるように日本自閉症協会を中心にしていろいろな動きがありり,その結果,新聞記事には「アスペルガー症候群と犯罪傾向には通常なんら関係がない」というような文章が載りました。

インターネット上にはアスペルガー症候群についてのいろいろな情報がありますが,私が読んだのは,よこはま発達クリニックの内山登紀夫先生の書かれた文章です。アスペルガー症候群の行動の特徴や診断,指導・援助の方法が簡潔に書かれています。アスペルガー症候群の方と実際に接する機会のある人には特に参考になるものだと思います。

この話の続きを次回も書きたいと思います。(2001/01/14 8:50)

昨日の朝日新聞朝刊の論壇に,京都の児童精神科医・門 眞一郎先生が「アスペルガー症候群に理解を」という文章を寄稿しています。

http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/kado/jicho/asp.htm

こちらで読むことができますので,ご覧ください。(2001/01/20 5:48)

アスペルガー症候群関連情報の続報です。よこはま発達クリニックの院長,内山登紀夫先生(児童精神科医)が,「アスペルガー症候群の理解のために」という文章をホームページに公開されています。

これらの質問にも丁寧に答えていますので,皆さんぜひお読みください。(2001/01/28 7:31)

2001年の成人の方へ

成人式ですが,仙台はあいにくの大雪。着物の方はたいへんそうです。今年成人する人は1981年生まれの人ですね。1981年はこういう年だったそうです。(Quixotic-History of 20th Centuryより)

1981

  • ギリシア EC加盟
  • アメリカ大統領にレーガン
  • フランス大統領にミッテラン
  • バングラデシュ大統領ラーマン暗殺される
  • エジプトでサーダート大統領が暗殺される 後任にムバラク
  • イスラエルがイラク原子炉を爆撃
  • ポーランドで戒厳令
  • インターネット誕生

暗い話題が多い中で,「インターネット誕生」というのが光っていますね。インターネットが誕生してちょうど20年ですか。私がインターネットに足を踏み入れたのは1996年だから5年前。あの頃は接続するだけでも雑誌と首っ引きでたいへんでした。つながってもすぐフリーズしちゃったりして。今は新聞でもテレビでも,"http://〜"とか"**@**.com"とかを見ない日はありませんからね。たった5年でこれほど一般生活に普及するとは思わなかった。

ここ数年,インターネットの普及によって社会の雰囲気が変わってきているように思います。個人が時間や距離の違いを乗り越えていろんな人とネットワークを組めるようになって,そこに所属意識や連帯感というものを感じ,自分やネットワークのパワーを見直すことができました。その一方で,人と人とが直接会ってつくるコミュニティーの大切さにも気づかされて,崩壊しつつあった地域社会を再構築しようという気持ちにもなってきているようです。特に大きな災害が起こると,その両面を見ることができます。被災地からの生の情報が被災者自身によってホームページに掲載されたり,それらのホームページや被災地でボランティア活動をしている団体のホームページを見て集まってきた人が,実際に現場に入ってボランティア活動に加わったり。そういうことが当たり前のように起こるような時代になりました。「被災地」という一時的な地域社会だけではなくて,自分の住んでいる地域での継続的な連帯の様子もときどき新聞やテレビで見聞きすることができます。

グローバルなネットワーク社会に参加しながら,同時にローカルな地域社会のコミュニティーにも貢献する。インターネットの普及によってこのような生き方を選択できる時代になったんですね。

今までにも増して多様な生き方ができるようになった21世紀。二十歳になったあなたはどう生きようとしているのでしょう。とにかく,成人おめでとうございます。(2001/01/08 7:59)

圧雪の高速道路で飛ばす車たち

吹雪の道路

大雪の中,4日から6日まで山形県の鶴岡市に帰省してきました。行きも帰りも高速道路を使いましたが,ほとんど全線圧雪・凍結状態だったのでチェーンをまいて走りました。それでも時速60kmぐらいだすと,いざというとき止まるかどうか不安です。上の写真は一般道に降りたときの映像ですが,こんな感じで道路も景色も空も真っ白。ときどき吹雪くと前がまったく見えなくなって,仕方なくブレーキを踏みます。うしろがトラックだと追突されないかととても怖い思いをしました。

そんな中でも,チェーンをつけずに颯爽と走っている車が意外に多くてびっくりしました。いくらスタッドレスタイヤの性能が上がったといっても,いったん滑り出したら何かにぶつかるまで止まらないと思うんですけどね。時速60kmで滑ってそのままぶつかったらただじゃ済まないですよ。私はスパイクタイヤ全盛の時代に,スパイクタイヤなのに凍結路面ですべって車を廃車にしてしまった過去があります。そのときは時速40kmは出ていなかったと思いますが,ぶつかったときの衝撃と打撲の痛さは今でも覚えています。

スタッドレスならまだしも,圧雪の上を普通タイヤで走る人もいるようです。そんな人は私から見れば犯罪者です。アクシデントが起こらなければ何も起きずに済むのでしょうが,至急止まる必要が生じたときは絶対止まれません。前方で事故が起これば必ず巻き込まれますし,ちょっとした運転ミスでブレーキを踏んだら自分が玉突き事故の引き金になってしまいます。こういうのは未必の故意と言っていいんじゃないかと思います。しかし最近の高速道路の玉突き事故の中にはだいたい普通タイヤの車が混じってますよね。ということは,一緒に走っている車のうちの何台かは普通タイヤだと思ったほうがいいですね。う〜ん,怖い。

こういう人たちはなぜチェーンをつけないのかな。(1)持っていない,(2)付け方が分からない,(3)付けるのが煩わしい…理由はこんなところでしょうか。雪道を走るときに(1)は論外ですが,チェーンをつけるのは時間がかかって大仕事と思っている人はまだ多いのかもしれません。私のチェーンはジャッキアップなしで両側5〜6分で着けられるタイプのチェーンです。はずすのも3〜4分でOK。ちょっと値段は張りますが,とても便利です。数年前に坂道で吹き溜まりにつっこんで動けなくなったときも,雪に埋もれていない片方のタイヤにササッとチェーンを巻き付けて脱出できました。昔のタイプのはしご型チェーンだと,こういう芸当は難しいのですが,今のチェーンは本当に使いやすいんですよ。皆さん,雪道を走るときにはチェーンを常備してくださいね。(2001/01/07 7:19)

Show and Tell

昨年末のNHK総合TVようこそ先輩『課外授業』で,憲法学者の阿川尚之さんが自分の出身小学校に行って授業をしていました。小学生に民主主義の難しさを教えるというテーマで,子どもたちは実際に体を動かしながら民主主義を学んでいて,とてもいい授業だと感心しました。

その授業の導入で,阿川さんは小学生に「自分が一番アメリカを感じるもの」を持ってこさせて,それについてどういう風にアメリカとつながっているのか発表させていました。こういう発表の学習を,Show and Tell というのですが,アメリカでは毎朝このShow and Tell をしているところが多いのだそうです。題材はなんでもよくて,例えば「自分が一番大切にしているもの」「私の中にある外国」「『自分』をテーマにしたコラージュ」などいくらでもあります。日本でも,季節の花やかわったものなど自分が見つけた小さな自然を持ってきてそれについて発表するという学習を毎日行っている先生たちがいます。

この Show and Tell は,対象をよく見る目を養う学習であるとともに,自分が見たり考えたりしたことをみんなに発表して伝える練習であり,みんなに注目を浴びる体験でもあります。そしてそれは『自己開示』につながります。2ヶ月ほど前の「ひとこと」でジョハリの窓を取り上げたときにも書きましたが,自分が自己開示することによって相手も自己開示しやすくなる,そして互いに自己開示的に接することで心の壁が取り払われて,グループ内に信頼感がうまれてきます。

この Show and Tell をうまく使うと,楽しいクラス経営ができそうですね。いつか高校でクラスを持つことになったら,私もぜひこの Show and Tell をやってみたいと思います。(2001/01/04 6:57)

P・T・K Power Typing Keyboard

Power Typing Keyboard

パワーラボという会社が究極の「打ち心地」を求めて開発したPowerBook G3用キーボード[P・T・K Power Typing Keyboard]が連休前に届きました。さっそく純正のキーボードを取り外し,新しいキーボードにかえて文章を入力しています。JIS配列からASCII配列にかわって最初は戸惑いましたが,押したときのキーの沈みや反発の力が純正よりもよくなってかなり快適です。日本語入力中に意図せずにトラックパットに触れてしまうこともなくなりました。コマンドキーが右側にもついているのも意外に便利です。不必要なファイルやメールを片手でゴミ箱行きにできるようになりました。キートップにひらがなの表示が無くなって英語だけになり,見た目がシンプルになったのもグー。それからCapslockのランプが緑から青の発光ダイオードに変わったんですが,これがなかなかクールです。Fnキーが左に寄ったので,pg dn up が片手でできなくなったのが,私が感じる唯一の欠点ですが,それはとても些細なこと。PowerBook G3 で文章をより快適に打ち込みたいと思っている方にはぜひお薦めの逸品です。(2001/05/06 7:09)

の3タイプが発売中なので,これらの PowerBook をお持ちの方はぜひパワーラボのPowerBook G3 オリジナルキーボード製作プロジェクトにアクセスしてみてください。

このオリジナルキーボードの特徴は

  1. 純正品がJIS配列での出荷なのに対し,アスキー配列がベースとなっている。また英字キーボードしようなのでアルファベットキーのかな表記はなくなり,「英数」「かな」キーも無くなっている。
  2. アスキー配列をベースとしながら,コマンドキーを左右に配置しより使いやすくなるようにさらなるアレンジを加えている。また,アスキー配列に準拠しつつ,コントロールキーをAの左側に配置した。
  3. キートップ以下の各パーツをホワイト処理し,キートップそのものはグラファイトカラーにすることで、純正には無いオリジナルカラーのパワーブックになる。
  4. キャプスロックのLEDにはPB2400用で好評だった輝度の高いブルーLEDを採用した。
  5. キーボードを支える底板、パンタグラフメカを吟味/調整することで純正を越えるキータッチを実現する。

以上です。(2000/12/30 7:18)

2001年:新年の抱負

 あけましておめでとうございます。新年早々,さっそくこのホームページお出でいただき,ありがとうございます。昨年同様,今年もよろしくお願いします。

「未来」の代名詞だった21世紀が淡々と幕を開けました。まずは私たち人類が21世紀を迎えられたことを感謝したいと思います。世界は冷戦の枠組みが崩れて地域紛争の時代に入っています。一見,核戦争の恐怖は去ったかのように思えますが,核の管理は冷戦時代よりもずさんになったという話も聞きます。2回の世界大戦を含めて国際規模の戦争で明け暮れた20世紀。これからは世界中の一人一人が,体と心の安全を確保できる世界になってほしい。それが私の21世紀の願いです。

個人的には,いつの頃から背伸びをし,アクセルをふかし続けて生きるようになってしまった自分に一区切りつけようと思います。21世紀初頭の私のテーマは「等身大の自分とゆったりした時間」です。この冬休み中も Palm のメモ帳には To Do がたくさんならんでいます。冬休みが1ヶ月ぐらいないときっとやりとげられなそうです。To Do に追われて今をそわそわ過ごすのはもったいない。あくせくして時間を無理やり増やそうとしないで,与えられた時間でできることをひとつひとつ楽しんでやっていきたいと思います。−−−それがなかなか難しい。(2001/01/01 7:41)