Sphinxのつぶやき
Leeさんにすすめられて,今北純一著『能力主義はこわくない−「減点へのおびえ」から「得点への意欲」へ−』を読みました。欧米のビジネス社会を生き抜いてきた著者の体験に基づいて,日本が年功序列システムから能力主義システムにどう脱皮していくかということについて書かれています。この本の中で一番印象に残ったのは,「機会均等と結果均等の混同−−−仕事をしなくても評価が同じという不思議」という部分です。本から少し引用します。
日本の学校は何でも「平等主義」「最近の日本の学校はかわっちゃったよ。習字なんかでも特選とか金賞とか銀賞とかといったランクづけをやめにした小学校が珍しくなくなったし,運動会で一等になっても賞品を山ほどもらうということはなくなり,勝った者もそうでない者も,みな一律に参加賞をもらうというふうに変わってきている。日本人ははっきり序列をつけることを回避する国民になりつつあるのじゃないかね。何でもかんでも平等主義を錦の御旗に掲げる今の風潮は考え物だね」(著者の友人の話) 「競争は不平等につながる」との短絡思考が蔓延しはじめている。百メートル競走で一等の子どもにビリの子どもと同じ参加賞しか出さない。学校の習字コンクールで秀逸な作品に奨励賞は出しても序列のつく金賞や銀賞は出さない。こういった配慮は平等主義などというりっぱなものではない。現実に存在する能力の差を否定する欺瞞でしかない。 競争で一等の子どもにビリの子どもと同じ参加賞しか出さないというアプローチは,誰にも公平にチャンスを与える「機会均等」と,実績をあげようがあげまいが参加したものには同じ褒賞を与える「結果均等」とを完全にはき違えている。そして,機会均等と結果均等とを混同するととんでもないことになる。機会均等のアプローチは,人間の向上心を刺激し,組織に活力を注入するのに対し,結果均等のアプローチは,人間のなまけ癖を擁護し組織をマンネリ化させるからである。 |
日本には「結果均等」が多い。今の子どももそういう教育を受けている。そしてそれが「平等」だと勘違いしているということです。私はこの「結果均等」という言葉が,日本人の一面をよく表していると感心しました。明日,もう少しこの件について書いてみます。(99/12/30)
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昨日の「機会均等」と「結果均等」の区別の話です。「結果均等」になっているのは,例えば大学教育なんかもそうですね。入学するのは大変だけど,一度入ってしまえばあまり勉強しなくても卒業証書が保証されます。その後の社会生活の中でも,大学を卒業したという事実より,その大学に入ったという事実の方がものをいうわけです。であれば,その間の4年間の教育って,いったいなんだということになります。
それから,「平等」の意味を取り違えて競争を避ける教育になってきているという指摘,私は目の当たりにしたことはありませんが実際にありそうな話です。運動会も習字コンクールも「参加すること」が一番重要なことなわけですね。人間にはひとりひとりいろんな得意・不得意があります。それを理解することも重要な学習のひとつなのに,そういうことを学ぶ機会を奪っています。「平等」というのを「みんな同じ」と誤解するからそういうことになるのでしょう。「みんな同じ」なわけないじゃない。みんな同じなら,その人の固有の存在価値をどこに認めるの?そしてみんなと同じにできない,たとえばうちの学校の生徒たちの存在価値は?先生の人間を見る物差しが単純すぎますね。
運動が苦手だっていいじゃない。その子には運動が得意な子にはない素敵なものが何かあるはず。運動は「応援」という参加方法もあるよ。勉強が苦手だっていいじゃない。その子には勉強じゃないもっと大切な役割があるに違いない。勉強は,それが得意な子に聞けばいいよ。得意・不得意,好き・嫌い…いろんな凸凹をもった人間が集まるから,ひとりではできないことができる。ひとりでは分からないことが分かる。だからみんな一人ひとり大切なんだよということを教えてほしいです。(99/12/31)
先日の朝日新聞朝刊に,「回覧板で署名なにかおかしい」という投書が載っていました。町内会である事柄について反対することが決定されて,その署名が回覧板でまわってきたというのです。どういう内容の署名だったか詳しくは忘れましたが,どうしてそれを町内会単位で賛成とか反対とかいうことになるのかな?というような内容でした。投書した人は署名しなかったそうですが,ほとんどの家が署名したとのこと。
署名というと,学校の職員室にもいろいろな署名がまわってきます。けっこう,皆さん署名していますが,私はあまりしません。説明文をよく読んで,自分も共感できる場合だけ署名します。署名するということは,自分がそのように考えていると表明することです。考えなしに署名するのは自分の意見や考えをないがしろにしているように思えます。私は自分の意見を大切にしたい。また,署名しないで次の人に回すと戻ってくるときがあります。まるで「なぜ署名しないの?」といわれているようです。署名を人に勧めるということは,他人に考えを強制するということです。私はそういうのいやだなあ。(99/12/29)
宮城県職員がキセル行為をしたとのことで,県職員に綱紀粛正の通達がでたそうです。世の中によくあるパターンですね。綱紀粛正の通達を出したところで,どれほどの効果があるものか。通達を出した担当者も,これで悪いことをする人はいなくなるなどと思ってはいないのでしょうが,県としての管理責任を果たしているというポーズを取る必要があったのでしょう。
私はどうもこの管理責任という考えになじめません。だって最近の世の中,悪いことをする人はどこにでもいるようですから。たまたまその人の上司だったからという理由で責任を問われるのはごめんです。
もちろん,仕事上の悪事なら上司の責任が問われることはわかります。例えば,これもつい最近宮城県であったことですが,学校の事務職員が経理をごまかしてお金を着服していたなどという場合。これで事務長や校長の管理責任が問われることは,ごまかし方の程度によっては納得できます。上司が自分の通常の仕事の範囲内で部下の不正に気づくことができたと認められる場合は,管理責任の問題が生じるでしょう。
だけど,キセル行為は仕事とはまったく違う場面での行為です。上司の目の届きようのないところで起こした私生活での悪事について,上司(県)は管理責任を感じているのでしょうか。部下の私生活まで無理に管理しようとしないほうがいいのではないですか。その線で考えると,こういう問題が生じた場合,「やらないように」という通達ではなく,「やったらやめてもらうからそのつもりで」という通達を出すべきなんなあと思うのです。(99/12/28)
24日のクリスマスイブの日は,タローを連れて3人で仙台北バプテスト教会のクリスマスイブ礼拝に参加しました。この教会は,7年前にAldoと私が結婚式をした教会です。結婚式の司式をしてくれた牧師さんは福岡の教会に行ってしまっていらっしゃらないのですが,つい最近赴任した新しい牧師さん夫妻にお会いしてきました。また,Aldoを昔から知っている教会の方々に,タローを紹介してかわいがってもらいました。タローはローソクのともされた室内の様子やツリーをキョロキョロと観察していましたが,礼拝がはじまったらすぐに熟睡モード。みんなが歌う賛美歌にも,牧師さんのお話にもめげずに(?)寝続けました。0歳のクリスマスイブのこと,大きくなっても覚えていてほしいけど無理だろうなあ。カメラを忘れていったのが残念。(99/12/26)
昨晩,新居の庭ではじめて星空観望をしました。望遠鏡はタカハシの10センチ屈折赤道義です。
これらの星々を40分ぐらい見たところで,寒くてギブアップ!オリオン座やおおいぬ座があがってくるまで待てませんでした。(99/12/13)
久しぶりに県立図書館に行って,本を借りてきました。今北純一著「能力主義はこわくない」(日本経済新聞社)です。引っ越し直後でまだ落ち着いて本を読めるような生活ではないのですが,少しずつ読み進めています。欧米のビジネス社会を生き抜いてきた著者の体験に基づいて,日本が年功序列システムから能力主義システムにどう脱皮していくかということについて書かれています。
あとがきからちょっと引用します。
「組織の一員として組織の論理に迎合するのではなく,『個人を一人ひとりの人間関係を介して組み合わせていったものが組織』という発想を持つ」
「自分のことは自分で考え,決断し,行動する」
このあたりが,私の感性とあうんです。この本はLeeさんに教えていただきました。Lee さんのホームページには,この本の簡潔な紹介と感想が載っています。
ちなみに私はもちろん,能力主義礼賛です。「能力」主義というよりは,実績主義のほうがしっくりきますけど。評価されるべきことは,その人がどんな仕事をしたかです。経験が豊富かどうか(年功序列)は,いい仕事をするかどうかとは関係ないですね。経験や年齢がものをいう場合もないわけではないですが。(99/12/03)
【続く】
1999/11/26の朝日新聞に,「検証:家族介護の破たん」という記事が載りました。ほとんど寝たきりだった七十三歳の母親を殴って死なせた三十九歳の息子の事例が詳しく紹介されています。この母親や息子を知る関係者からは,減刑の嘆願書が出ているそうです。関係者は,単なる親子の問題としては済ませられないものを感じているのでしょう。
母親は十三年前に脳出血で倒れましたが,その後もなんとか歩けるぐらいの状態でした。息子は大学を出て何度か転職を繰り返した後,母親の介護に専念するために仕事を辞めて,母子の二人暮らしをはじめます。しかし昨年秋,母親が脳こうそくを再発してほぼ寝たきりになった頃から,二人の関係が壊れはじめました。息子は「リハビリ計画」をつくりました。「○時○分起床」から始まる分刻みのリハビリ時間割です。近所の主婦には「なんとしても歩かせてみせる」と語っていたそうです。ところが,その計画どおりに動けない母親にいらだち,虐待が始まりました。母親はショートステイ先の職員に「たたかれるので帰りたくない」と漏らしていました。
事件の3ヶ月前には「殴ってしまった。助けてほしい。」と息子自らが民生委員に助けを求めるということもありました。ちょうどそのころ,保健婦は息子がカウンセリングを受けられるように市に働きかけ,あわせて最悪の事態を想定して近所の交番にも連絡を入れていました。事件の2ヶ月前,保健婦らの再三の説得により息子は母親を特別養護老人ホームへ入所させることを決めました。事件の1ヶ月前,市は入所を承認し母親を待機者リストに載せました。そして事件当日,特養にやっと空きがでたことを知ることなく,息子は事件を起こしてしまいました。
事件に至る過程に危険信号がたくさんでていたのに,問題はしっかり認識されていたのに,結局どうにもならなかったんですね。看護婦や民生委員は事件の4ヶ月前に「検討会」を開いています。しかし,そこでの結論は「息子が自分でやるという以上,外から見守って行くしかない」というものでした。家族のことに口を出せないという雰囲気が,その検討会にはあったのでしょう。
最近,児童虐待については世の中の動きが活発になってきました。児童虐待を家族の問題として済ませることで問題が大きくなるということが一般的な知識となりつつあります。要介護老人も家庭の中では児童と同じように弱者なんですね。この事例を読んで,児童虐待とまったく同じシステム(依存とコントロール)で親虐待が行われるということを知りました。(99/11/27 )
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母親を死なせてしまった息子には,「歩かせたい」という気持ちが強くあったようです。それは言い方を変えると「母親が歩く」という「結果」が先にあったということです。それに向けて彼は「リハビリ計画」をつくります。まじめですねー。そしてまじめに計画通りにことを運ぼうとしました。計画に従って,彼は自分と母親の行動をコントロールしようとしたのです。しかし,自分や他人の行動を思い通りにコントロールできる人などいないのです。自分の計画に従わせようと無理するあまり,二人の関係はどんどん悪くなり,暴力による虐待が始まりました。
彼は母親の介護に専念するために仕事を辞めています。これは,一般的な価値観から見ると素晴らしいことなのかもしれません。しかし,彼はそうやって自分を追い込んでしまったんですね。「介護は自分の生き甲斐」と彼は語っていたそうです。そこまで介護にかけていた,というより人生の目的が母親の介護になってしまっています。要介護の母親の存在に,自分の人生を依存してしまったんですね。
考えてみれば,この事件のような「支配−被支配」の構図は,介護の現場ではとても成立しやすい構図です。この母子はそれにすっかりはまってしまったわけです。
ところで今回の件と,今話題になっている「お受験」がらみの幼児殺害事件とは,かなり共通するものがあると思います。
「お受験」殺人の場合は,うらみの対象が不合格になった自分の娘に向かわずに,合格した友人の娘に向かったというところが,先の事例とは違う点ですが。
それからもう一つ。実行できない計画は計画が悪いというふうに思った方がいいですね。日本的感覚では,できるまでがんばらないのが悪いということになるのですが,それは「コントロール」につながります。できる計画を立てなければ。私も受験勉強の時は緻密な計画を立てては破たんしていました。けっこう,計画を立てたことによるストレスがあったと思います。(99/11/29)
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老母虐待死について,上に書いた他に思ったことをつれづれに…。
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彼にとって不幸だったことは,家の中に介護者である自分と被介護者である母親の二人しかいなかったということ。一人で介護していたために,ストレスの処理が相手に向かわざるを得なかった。私も指導中に生徒に対して「ムッ!」とすることがあります。でも,そういうときにまわりの先生がのんびりした調子で「あれあれ,○○くん。そんなことしてるよ〜。」なんてさりげなくみんなの話題にしてしまう。そうすると,1対1でムッとしていた自分を解放できるんです。こういう仲間のフォローって,大事なんですよね。
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静岡市高齢者福祉課の竹下豪和課長は今回の事件につて,「親子二人の問題ととらえている」と語っています。そういう立場ではこの事件から何も学ぶことはできないでしょう。同じような「親子間の問題」が殺人事件には至らないまでも日常起こっていることに思い及ばないし,その中から次の殺人事件がまた起こるかも…などとは考えない。次の事件が起こったとき,課長は責任を取るんでしょうか。いや,また「親子の問題」として切り捨てるんでしょうねえ。
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障害児の療育も,こういう構図にはまりやすいでしょう。父親が療育にまったく参加せずに(できずに),母親がすべてを抱え込むという事例は時々見受けられます。私たちが社会的なサポートシステムを利用しようと呼びかけても,自分の手からなかなか離さないんですね。人によっては自分の限界を超えても抱え込もうとするので,ハラハラさせられる時があります。今まで私がかかわった家庭に虐待の事例はないですが,今後はそういうことも視野に入れてやっていく必要を感じます。(99/11/30)
99/11/21の朝日新聞で気になる記事を見つけました。「国旗国歌について自分で考えよう」という授業をした中学校の先生が市の教育委員会から処分を受けたとか。都の教育委員会は処分にはあたらないとして具体的に動かなかったようですが,市教委が独自に処分したのだそうです。私はこの先生のように「自分で考えよう」ということを生徒に伝えていきたいので,人ごとではありません。市教委のコメントを朝日新聞から引用します。
「校長による国旗・国歌の指導がオウム真理教のマインドコントロールと同じであるかのように教えた。地方公務員法第三三条(信用失墜行為の禁止)に抵触する」
「卒業式などの国旗掲揚・国歌斉唱は学習指導要領に明記されている。考えましょう,と生徒に呼びかけるのは指導要領に異を唱えることで,受け入れられない」(和田信行・学校教育部付参事)
この二つ目の文章ってすごく恐いことを言っていませんか?国が決めたことについて「考えましょう」と生徒に問いかけることはいけないということですよね。私はこの発言を認めるわけにはいきません。絶対に。
だいたい,「国が決めたことだから生徒に考えさせてはいけない」ということと,「オウム真理教のようなマインドコントロール」と,どこが違うというのでしょう。これはまさにマインドコントロールそのものじゃないですか。個々人の思考を排除して誰かの思考に無条件に従わせる…私はそれをマインドコントロールと言うと思っていましたが,八王子市教委は違うというんでしょうね。何がどう違うのかぜひ聞いてみたい。(99/11/23 7:06)
11月18日(木)
しし座流星群の流星が見えるかなと思って早起きしましたが,残念ながら一面の曇り空。思えば昨年は,学校の自主研究会の当日,切迫流産で病休中のAldoと一緒に朝の3時に流星を見に行きました。あのときAldoのおなかの中で育っていた胎児が,今うちで7.4kgにまで育っているタローです。あれから1年たったのか…。
今年は学校の職員室で,しし座流星群の観測ガイドを配りました。大阪市立科学館の渡部義弥さんの作成したものです。わかりやすいと好評でした。ちょっと時期遅れになってしまいましたが,こちらのホームページに行ってみてください。毎月毎月,その時期の観測ガイドが載るんですよ。(→【星空の連帯】)
今晩は,研修センターから望遠鏡を借りて,職員対象の観望会をします。予報では午後から晴れるということですが,どうなるかな。しし座流星群の流星も見れるといいなと思います。(99/11/18 4:45)
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11月19日(金)
昨晩は曇り時々雨で,夜の観測会は中止にしました。今晩,再挑戦です。
今朝起きたら,窓から金星が明るく輝いていたので,いそいで服を着込んで星空観望をしました。20分ぐらいの間に10個の流星を見ました。そのうち1個はしし座流星群とは関係ないものでしたから,しし座流星群の流星は9個見たことになります。(飛んでいく方向でしし座流星群かどうかわかるんです)20分で9個ということは1時間でだいたい30個。空の一部を見ていてこの数字だから,やっぱり今年も例年より多かったのかな。去年ほどではないですけどね。
ところで,テレビのニュースなどでは「明け方に東の空にしし座が上ってくるので,東のほうを向いて観察しましょう」というようなことを言っていました。でも,どこを向いていても見える確率はほとんど一緒なんですよね。東の空の流星は長さも短いし,明け方になると東の空は明るくなってくるので観察するならむしろ西の空だと私は思います。今朝は西の空のほうをずっと見ていて9個見つけたというわけです。西の空にはオリオン座やおおいぬ座,こいぬ座,おうし座,ぎょしゃ座などがきれいに見えていましたが,その中でもぎょしゃ座の方角に飛んだのが多かったです。(99/11/19 6:27)
神奈川県警覚せい剤事件について。悪いことに手を染める人はどこにでもいるだろうし,それをスパッと切れない組織のありようも,いかにも日本的なかんじがします。が,私がこの事件の新聞記事を読んで一番心に残ったのは,渡辺泉郎(もとお)本部長の次の言葉です。
「その警察官を一日も早く退職させろ。退職理由は不倫だ」
なんでも不倫による退職だと諭旨免職になるのだそうです。警察というところは,不倫をすると免職になるようなところなんですね!?それって他の業種でも普通のことですか?それとも警察だけの話なのかな…。
この発言を読んで思い出したのは黒田あゆみアナウンサーの番組降板の話です。NHK総合の人気番組「生活ほっとモーニング」のキャスターを長年つとめた黒田アナウンサーは,先日「離婚を隠していた」という理由でこの番組を降板しました。自主的な降板ということに表面上はなっていますが,そんなはずはないでしょうねえ。
私生活のいろいろな出来事によって,仕事上でペナルティを課されるというのは困ったことです。仕事上の上司には部下の私生活にまで踏み込む権限はないし,第一,上司がそんなところまで監督責任を背負い込むことは不可能でしょう?1日8時間の勤務時間の中で,給料に見合うだけの仕事がなされていれば,職場がペナルティを課す必要はどこにもないじゃないですか。どうして私生活に首を突っ込むのかな。「職場」と「私生活」あるいは「職場の人間関係」と「私生活での人間関係」を,分けて考えられるスマートさがほしいですね。(99/11/16)
【付録1】今回逮捕された神奈川県警の幹部の皆さんに聞いてみたいこと。警察幹部がよってたかって犯罪をもみ消すのと,一警察官が覚せい剤を使用したのと,犯罪の程度としてはどっちが上?
【付録2】ちなみに,私には教師の友達ってほとんどいません。「職場の人間関係」と「私生活での人間関係」は,ほぼ完璧に分かれています。なんか教師って肌が合わないんですよ。価値観が違うのかな。それとも平日に会って,休日にまで同じ人と会いたくないって思うのかな。自分でもよくわかりません。(^_^;)
【付録3】黒田あゆみアナウンサーの降板の件については,こちらもどうぞ。(→イジメ天国)
昨日(99/11/08)の天声人語は,児童虐待についてでした。その中で一部の文章が気になったので引用します。
『塚原さんは,子育てによる強いストレスが親を虐待に向かわせている,という。とくにマニュアルに慣らされた若い世代は,育児書通りに運ばないとすぐに極度の不安に陥る。「自分の判断を信じ,これでいいんだと思う気持ちが大切なのですが」』
子どもをベッドに投げつけるとか,熱湯をかけるとか,そういう虐待を行う瞬間の気持ちはストレスのもやもやではなくて,「自分の思い通りにならない,してやりたい」というもっと直接的なものじゃないですか。それはつまり自分がこの子を「支配」できないという事実に打ちのめされた瞬間です。強いストレスは虐待の可能性を高めるかもしれないけれど,決して原因ではないと思うんですよ。やはり支配・被支配という共依存関係をベースに考えていく必要があると思います。
また,育児書に合わないと不安になるのは「マニュアルに慣らされた」からでしょうか。そういうステレオタイプの意見はよく聞きますが,私は眉に唾つけます。自分自身の判断を尊重できないのは,きっとそう教育されてきたからです。小学校から高校まで,常に正解を握っているのは教師という「他者」。自分の判断は,ほとんどすべて「正解」を手中にする教師によってねじ曲げられます。そういう教育をしておいて,親になったら突然「自分の判断で」と言われても困るでしょう。こういう問題をマニュアルのせいにしてしまうのは,問題をとらえ切れていないように思います。(99/11/09 6:26)
教員の勤務評価は,やっぱりあったほうがいいんじゃないですか。教育活動を評価するのは確かに難しいとは思うけれども,だからといってまったく評価しないというのはおかしいと思います。毎年新学期が始まると保護者たちは,担任の当たりはずれの話をしているでしょ。少なくない公費で行われている教育活動が,あたるも八卦あたらぬも八卦では情けない。適切に評価して,改善するべきところは改善していく必要があります。
それで,東京都の試みについては原理的には賛成です。ただ,私が思うに評価者が管理職という点と段階が5つもあるという点が今ひとつです。
まず評価者は管理職ではダメです。評価される者との距離が近すぎます。これでは管理職に依存する教員と反発する教員の2つのセクトが職員室の中にできてしまいそうです。やはり教育行政から独立した第三者が評価するのが望ましいところです。そしてその評価が不服だった場合,不服の申し立てができるようになっていないと公平ではありません。それから評価者にはぜひ生徒自身と保護者も加えてほしいです。直接サービスを受けている立場からの意見は大切です。
また,5段階評価では評価される側もする側も分かりにくくて困るんじゃないでしょうか。まずは3段階ぐらいからスタートしたらいいのに。私はおおざっぱに言って,管理職候補の数%と教員失格の数%が,大多数の教員の中から選別されればいいと考えています。それは裏を返せば,管理職が正しく選ばれていないということと,教育の質を下げているのが数%程度の不良社員?によるものだと感じているからです。(特にモデルがあっての話ではありません)−−−そういう話を同僚にしたら「わざと5段階にして,そのような意図をカモフラージュしているんじゃないの」と言われました。そうだとしたら,なかなかやるな>東京都。(99/10/31)
「民族主義者じゃなかったら政治家の資格はない」
西村なんとかさんの「核武装」発言の問題点は,この言葉に集約されているように思います。大東亜共栄圏なんていう言葉を持ち出すぐらいだから,民族主義というよりは国粋主義と言った方がいいかもしれません。いずれにしても今の世の中,自国の都合を優先して,物事を地球規模で見たり考えたりできない人が日本の指導的立場にあるというのにはがっかりしてしまいます。もちろん私も国民の一人としてそれにかかわっていますから,なにがしかの責任を持っているわけで,それを考えると気が重い。
それから「核を両方が持った以上,核戦争は起きません」と言い切れる無邪気さにも驚かされます。先日のJCOの臨界事故で人間が核を扱うときにどんなことが起こるかということを目の当たりにしたばかりなのに…。米ソが核を大量生産してにらみ合っていたときに,もっとも恐れていたことは誤発射だったはず。意図に反した事態が起こったときに引き返しようがないということが,核を封印しなければならない最も大きな理由です。そういうことに思い及ばない人が日本の将来を決めているんですかねー。
ところで2000年になったとたんにどこかの核弾頭が誤って発射されるなんていうことはないんでしょうか。なんだか心配だ。1999年の大晦日にはぜひ核弾頭にのっかっている核をはずしておいてほしいものです。(99/10/21)
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つい先日,西村なんとかさんの発言について,中学校の先生が朝日新聞の声の欄に投書していました(日付は忘れました)。生徒たちは「先生,憲法に違反するようなことを,こういう立場の人が言っていいんですか」「非核三原則は,どうなったんですか」「どうして小渕首相はこういう人を選んだんですか」と聞いたそうです。それに対して,その先生は「とても説明できなかった」のだそうです。先生自身が「あきれてものが言えない状態だったから」とのこと。
どうしてこういうおいしい教育の機会を逃しちゃうのかな。「憲法に違反するようなことを言うような人を国会議員にした人は誰かな?」とか「非核三原則は,現実としてはどうなっているかな?」とか「小渕さんがこういう人を選んでしまう原因はいくつかあると思うんだけど,君はどう思う?」とか,あるいは「日本は本当に核武装しなくていいのかな?」とか,生徒とたくさん対話してほしいんですけどねー。
「説明」できなかったと書くあたりが,硬直した思考になっていることを物語っているように思います。なにも教科書のように「正しい」説明などしなくていいのに。生徒に考えるきっかけを与えるのが教師の役目でしょうに。(99/11/01)
仙台市内のある中学校の生徒会規約にはこういう文章があるそうです。
…なんかへん。(99/10/13 5:31)
10月8日の晩に,鳴子町立川渡小学校の6年生を対象にした天体観測会を行いました。場所は川渡小学校の校庭。案内役は私と,前任校の教え子で現在山形大学の大学院で天文学を学んでいるH氏の二人です。集まった生徒たちは約30人。それに保護者も多数参加。ミードの20cm経緯台(自動追尾)とH氏所有のセレストロン28cm赤道義の2台の望遠鏡を用意して,星空観望を楽しんでもらいました。
8日は日中ずっと曇りで,夕方から小雨がちらつくという天気でしたが,仙台管区気象台によれば「21時ごろから晴れる」ということだったので,集合時間を予定より1時間遅らせて20時から観測会を始めることにしました。20時が近づくにつれて空が部分的に晴れて,望遠鏡のセッティングも終わり,準備が整いました。
20時をまわって観測会の開始。雲は相変わらず次々にやってきて,星空は一部しか見えません。まずはじめに方角調べ。私が「さあ,北だと思う方角に体を向けてごらん」というと,ゴソゴソと相談しながら,ほとんどの生徒はそれらしい方向に体を向けていました。そこからカシオペア座と北極星を確認。本当はここで夏の大三角やさそり座も見せたかったのですが,雲に覆われていてダメでした。
肉眼観察には早々に見切りをつけて,望遠鏡での観望に移りました。まずは木星。望遠鏡の後ろには長蛇の列。望遠鏡をのぞくと歓声が上がります。子どもたちは,接眼レンズに体をあずけるようにするので,自動追尾しているはずの木星がすぐに視野から消えていきます。ちゃんと入れ直したと思えば,今度は雲に覆われて見えなくなったりして,案内者はもうてんてこ舞い。
本当は星や星雲・星団も,見せる順番をしっかり考えていたのに,雲の切れ間からしか星空が見えないので順番にみせることはできません。西の空が晴れた!そっちにM13を入れよう。はい,この望遠鏡では球状星団が見えます。あ,雲に隠れた…。東の空に土星が上がってきた。こっちを土星にかえましょう。ジー(モータードライブの音)。はい,土星が入ったよ。そっちの望遠鏡で球状星団はだいたい見たかな。じゃあつぎアルビレオ入れて!
こんなかんじです。これに子どもたちの歓声や,ブーイング(先生,見えないよ)が入り乱れて,本当に嵐に揉まれているようです。もっとたくさん見せたかったのですが,結局見てもらったのは,木星・土星・M13・M31(アンドロメダ大星雲)・NGC869(ペルセウス座の二重星団)・アルビレオ(白鳥座の二重星)ぐらいでした。でも今振り返ると,あの雲の量で1時間でよくこれだけ見れたものだという感じもします。21時頃にお迎えの車が次々にやってきました。まとめとして3つのお話をして,最後に私から記念のプレゼント(私が撮ったヘールボップ彗星の写真)をあげました。
みんなが帰ってしまった21時過ぎ,仙台管区気象台の予報通り,雲一つない満天の星空になりました。仙台では見られない天の川もはっきり見えます。担任の先生を含めて3人で,子どもたちが帰った校庭でしばらく満天の星空を眺めました。
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昨日見てもらった中では,土星とNGC869の人気が高かったようです。望遠鏡をのぞいたときの子どもたちの歓声は,とてもうれしいものでした。できれば満天の星空のもとでもっといろいろ見せてあげたかったなあと残念に思います。また,今回感じたこととして,顔が見えない夜空での指導は,相手の表情が見えないために,こちらの話がどのように受け止められているかわからないという点で難しかったということがあります。特に今回は初顔合わせだったので,とまどいの中で1時間が終わってしまったという感じもしました。(99/10/09)
「これまでの防災計画では,原発関連の事故は起きないという前提があった」のだそうです。ウラン加工施設で臨界事故が起こった茨城県東海村の原子力対策課の話です。避難場所には水や食料,防護服,原発事故用の薬などはまったく備わっていない状態で,住民参加の防災訓練も過去に1回だけしかしていないとか。まあ,そうでしょうね。だって原発は「絶対安全」なんですから。事故の備えをするっていうことは安全ではないということですから,自分の言っていることと矛盾してしまいます。
現に原発事故はいくらでも起きているのに,いつまでもそうやって現実から目をそらしているわけですね,私たち日本人は。事故は起こってもらっては困る。だから起きないことにしようというわけです。
似たような話で,9月25日付の朝日新聞にあった記事を思い出します。魚のダイオキシン摂取基準を作らない理由について国は「基準を作って基準を超える魚があれば市場がパニックになってしまう」からというのです。市場をパニックにしないためにダイオキシン摂取量については考えないことにしようといんですから,国民の命より市場優先というその優先順位の判断には驚いてしまいます。
本当に大事なことを見ないふりして思考を停めてしまうというのが,この国には多すぎませんか?多すぎるってことはそういうふうに教育されているということです。日本の教育が,こういう態度を育ててるんだと思います。(99/10/02d)
なんだかんだでタローと散歩に行く時間がありません。定時退勤が目標なのに,何かと忙しい。ところで今,朝日新聞で中高年の自殺について特集を組んでいます。この不景気で自殺者が急増して,1日平均90人が自殺によってこの世を去っていくとか。
人生に行き詰まるとか,批判の矢面に立たされるという体験は,程度の差こそあれ長く生きていれば経験しないわけにはいかないものでしょう。仕事上の失敗や借金,あるいは身内の起こした刑事事件で自殺してしまう人がいます。お金の問題なら,自己破産という道があります。刑事事件なら裁判があります(しかも償うべきは家族じゃなくて本人のはず)。いずれの場合も,死を選ぶなんてなんだか変だなあと思います。
自殺するっていうのは,仕事や人生上の失敗を償う(あるいは挽回する)ことをも放棄するってことです。つまり全然責任をとろうとしないで人生すべてから逃げちゃう。その辺が共依存的な問題との関係を想像させますが,記事を読んでいて感じるのはその問題よりも本人へのサポートのあるなしが一線を越える越えないに大きくきいてくるということです。記事には,周囲の人のちょっとした援助で心の何かが吹っ切れ,違った見方で人生を見れるようになって自殺をまぬがれたという体験者の話が載っています。サポート役としては家族,特に配偶者が一番大きいようですが,私は家族以外の友人のサポートもそれにおとらず大事なんじゃないかと思います。例えば仕事上のトラブル(リストラ,引責辞任)などがあったときに,その人が仕事一本槍の狭い人生を送ってきたとすれば生きる希望がなくなるのは当然でしょう。その時に,もっと別な世界のネットワークを持っていれば,短絡的に人生から逃げ出す可能性は低くなるのではないでしょうか。別な世界のネットワークとは,趣味のグループでもいいし,何かの勉強をするサークルでもいいし,とにかく何か共通なものをもっている仲間とのつながりです。仲間に悩みを聞いてもらう,あるいは仲間と一緒に活動することで大事にされる自分を感じる。それは癒しです。仕事場,家庭に加えて,社会の中にいくつかの自分の居場所を持っていれば,どこかで自分を否定されても,別な場所では前と変わらず肯定してくれる。それがある限り人生を逃げ出す必要はないのです。
そういう仲間との人間関係を普段の生活から大事にしていきたいというのが,この特集記事を読んで私が考えたことです。そのためには仕事ばっかりやってちゃダメなんです。家庭での役割もあるし,仲間との時間も必要。仕事が定時で終わらない今の状況をなんとかしたいですねー。人生の時間配分は,なかなか難しいです。(99/10/01)
9月18日の朝日新聞朝刊に,高松市の教育長が議会答弁で「君が代を歌わない自由はないものと考える」と発言したことが取り上げられていました。えー!っと驚いて,少し考えました。この発言は,岩崎淳子氏の「入学式や卒業式で,教師や生徒に君が代を歌わない自由はあるのか」という一般質問に対する答弁です。山口寮弌(りょういち)教育長の発言を,その後の記者の取材への話を加えて紹介します。
この発言は,私自身の教育観を揺さぶられるような内容です。発言1や3からは,憲法第19条「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない」が侵されるような感じをうけます。私は,学校でどんなことを学ぶかという学習内容の選択は,児童・生徒自身がするべきだ(権利であり義務だ)と考えています。これは私の教育観の根幹と言ってもいい大切なものなので,これを否定されると私の教員としての存在が危うくなります。(^_^;)
それでまじめに考えてしまったのですが,この問題を解く鍵は「自由」という言葉の使い方にあると思います。憲法で保証されている「自由」と「歌わない自由」と言ったときの「自由」は,意味合いが違うように思うのです。【続く】(99/09/21)
という記事が,99.09.07付朝日新聞朝刊の家庭欄に載っていました。中高生が数日から1週間ほど無断外泊して家に戻らないことをいうのだそうです。昔の「家出」と違うのは,適当な時期に自分の意志でちゃんと家に戻るということと,携帯を持っているので親もさして心配していないということのようです。
家出中は,先輩や友達のつてをたどって泊まり歩いたり,お金がなくなると男性に声をかけて食事をおごってもらったりカラオケに付き合ってお金をもらったりするのだそうです。携帯がなって,友達と話した瞬間に次の行き先が決まるという,無計画で場当たり的な行動の繰り返しです。売春や覚醒剤の一歩手前という感じがしますが,実際にそれらに溺れてしまう子もいるようです。
香山リカさんは,「プチ家出」へのコメントとして(1)価値観が揺らいでいることで家庭や学校が安定した存在でなくなったことと,(2)若者が昨日から現在,明日という連続性の中に自分を置く感覚がきわめて鈍くなっていることを指摘しています。私はこの分析にとても共感します。
価値観の揺らぎ−−−私はそれを価値観と規範意識の多様化ととらえます−−−は,学校での子どもの指導をとても難しくしている要因のひとつです。教師が「このくらい当たり前だ」と思ってする指導に,「なんで?」と口答えされるという話はよく聞きますね。価値観の衝突は家でも起こります。親と子供は世代が違うのですから,ある程度衝突するのは当たり前なのでしょうが,互いにその違いを認めあうということができない,あるいは親がその家庭でかっことしたルールをつくってそれに基づいて育てるということができていないわけです。家庭でも学校でも,大人たちは場当たり的に勝手なことを言う…。今の子どもたちは,多様化した価値観とルールのない世界の中で自分なりの生き方のモデルを形作ることができないでいるのです。生き方のモデルがなければ,昨日−今日−明日という時間の連続性の中に,自分の行動を照らすことなどできないですよね。これはとてもかわいそうなことだと言わざるを得ません。
新聞記事の中では,識者の意見として「子どもたちが自分の力で現状を打開して,責任を持って自己決定できるだけの力をつけられる教育を,社会全体で作り上げていく努力が求められている」と書いてあります(そのための方策は書いていないけど)。本当はその前に,大人が責任を持って自己決定できていない現状を,大人たちが自分で打開しなければいけないんだと思います。自分の行動や発言に責任を持たない親や教師が指導して,子どもが責任感あふれる人間になるとは思えませんからねー。(99/09/13)
週末(99/9/4-5)に宮城県青年の家で行われた「PA体験会」に参加しました。PAは,Project Adventure の頭文字をとった略称です。10人ぐらいのグループでゲームを通して信頼関係をつくりながら,仲間がさしのべる手の中に後ろ向きで倒れ込んだり,協力して垂直な壁を乗り越えたりする「アドベンチャー」に挑戦します。今回はPAJ(プロジェクトアドベンチャージャパン)のチーフトレーナー・難波克己氏をファシリテーターとして迎え,31名の参加者が一泊二日の体験を共にしました。
あまりに密度の濃い,刺激的な体験だったので,短い文章で伝えることができません。何回かに分けて,自分が二日間で体験したことを振り返ってみたいと思います。とりあえず,この二日間をひとことで表現すると,「単なる個人の集まり(烏合の衆)が,たった二日間で,ある目的を達成しようとする機能的集団(=チーム)に変化した過程」です。たった二日間で,ここまで互いを信頼できるんだ!という驚きと,信頼関係が成り立つ心地よさを感じることができました。
PAをご存知ない方は,この文章を読んだだけでは何がなんだか分からないと思います。興味がわいたら次のホームページに行ってみてください。雪だるま財団のホームページでは,写真入りでどんな活動をするのか紹介されています。PAJのホームページでは,PAの理念が簡単に紹介されています。
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PAを単に外見から見ると,レクリエーション活動に見える場合もあるでしょう。あるいは,見る場面によってはバンジージャンプのような,非日常のちょっとした冒険活動のようにも見えるでしょう。PAでは,例えばこんな活動をします。
これらのゲームや冒険をする過程で,バラバラな個人の集まりが,信頼関係と目的をもったひとつのチームに変わっていくのです。
※特に下の3種類は,この文章を読んだだけでためさないでください。
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一昨日,学校の同僚にPA体験会の話をしました。その同僚は「私も,後ろ向きで倒れる自分をもう一人に支えてもらうゲーム(注:トラストシークエンス)をやったことがある」と言っていました。そして「とてもこわいよねー」とも。私の体験では,トラストシークエンスは全然こわいものではありませんでした。一瞬おしりのあたりが浮くような感じがした後,二つの手のひらでふわっと支えられる…むしろその時の安心感が心地よく思えました。今考えれば,それは互いの信頼関係を確認できた満足感だったとも言えるでしょう。先の同僚のトラストシークエンス体験は,おそらくそれをするために必要な互いの信頼関係がなかったのです。
PAの活動は,基本的に次のように組み立てられます。(生半可な理解で書いているので,もしかしたら間違っているかも…)
アイスブレーキング→イニシアチブ→トラスト という組立を繰り返しながら徐々に仲間同士の信頼を深めていき,その信頼感をもって「アドベンチャー」に挑戦していくのです。最初に紹介したトラストシークエンスは信頼関係をつくるためのゲーム(=トラスト)です。それをするためには,まずアイスブレーキングで互いの緊張をほぐします。そしてイニシアチブで,仲間同士協力して課題解決をしていく中で,その集団における自分の立場や互いに守るべきルールを理解します。そうやって,トラストシークエンスに挑戦する前に,ある程度の信頼感を持つことが必要なわけです。それがなされていれば,トラストシークエンスはこわいものではなく,むしろ心地よいものになっていきます。
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PAのキーワードのひとつに「Cゾーン」という言葉があります。「C」は快適を意味する「comfort」の頭文字です。自分の気持ちが快適でいられる(ドキドキしない)ような範囲ということです。知らない人がいたら,目を合わせないようにして知らんぷりをする。これはCゾーンの中にいる場合です。知らない人でも積極的に話しかけてみる。その時は少しドキドキしますよね。その人はCゾーンを飛び出しています。壁をよじ登ったり,仲間の手のベッドに後ろ向きで倒れ込むなどのPAで行う冒険も,とてもドキドキします。それに参加するとき,その人は自分のCゾーンから一歩を踏み出しているのです。
知らない人と信頼関係を結ぼうとか,集団の中で自分の役割を果たそうと思ったときに,自分のCゾーンに閉じこもっていてはなかなかうまくいきません。まず「こんにちは」とあいさつしてみる,あるいは自分の意見をみんなに言ってみるなど,自分からCゾーンを飛び出していく必要があります。自分や自分の意見がどう受け止められるのか,きっとドキドキですね。人間関係の構築も,自分の心にあるCゾーンを越えるアドベンチャーなのです。
PAの活動の中で,「自分にはできない」と思うようなことに挑戦して,それを仲間と共にクリアしていく−−−Cゾーンを乗り越えて勝ち得たその成功体験を,その後の日常生活の人間関係の中に活かしていく。それがPAの目的です。
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PAに参加するときの大切な約束事というのが二つあります。「フルバリュー」と「チャレンジ バイ チョイス」です。
「フルバリュー」というのは,簡単に言うと「自分と他人を同じように尊重する」ということだそうです。日本的集団の中では,他者を尊重しようとして自分を犠牲にするような場合がありますね。むしろそういう話は美談になったりします。でも,PAでは自分を大切にできるから,他人のことも大切にできると考えます。自己犠牲とか一歩下がってという考え方ではなく,みんな平等な参加者なのです。そして,チームを組んでひとつの目標に向かってすすむときに,他のメンバーと同じように自分も尊重されているという信頼感が必要なのです。
また,尊重するというのは,そのチームにとって利益になるところだけをすくい上げて大切にすることではないんです。その人の長所はもちろん,短所も丸ごと認めて,その存在を尊重するということになります。これはちょっと難しいと思うかもしれませんね。PAの活動のひとつに「オセロ紹介」というアイスブレーキングのメニューがあります。3人組になって自己紹介をするのですが,紹介するのは自分の短所です。他の二人はそれを聞いて,見方を変えて同じことを長所として言い換えます。例えば,「私の短所はよく考えないで行動してしまうところです」と言ったら,他の二人は「あまり考え込まずに行動できるということだから,行動力があるんだね」とか「体験を大事にする人なんだね」というふうに切り返すのです。こういう遊びをすると,短所と長所って,観る角度が違うだけでどちらも自分の特徴なんだなあと思えるのです。
もう一つの約束事「チャレンジ バイ チョイス」は,その活動に参加するかどうか決めるのは本人だということです。自分の状況や気持ちを判断して,参加不参加を自分の判断で決めて,他のメンバーはその判断を尊重します。参加不参加というよりは,どういう形で参加するかを決められるという方がいいかもしれません。例えば,垂直な壁を乗り越える「大脱走」という冒険をするとき,自分はその壁を登らないという行動を選択できます。そしてメンバーはそれを受け入れるのです。注意するべきことは,壁を登らない人は脇で見ている…ということではないのです。それでは傍観者になってしまってチームからはずれてしまいます。登らないけれども,そのチームの一員として,例えば登る人を後ろから支える役にまわるとか,そのまた後ろで万が一の転落に備えて受け止める役にまわるとか,自分なりの参加の仕方があるわけです。先程,不参加ということばを「どういう形で参加するか」と言い換えたのはこのことです。チームの一員として自分の役割をはたすことは大事なことで,その内容は自分で判断するべきことだという意味なのです。
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まだまだ言葉が足りないような気がしますが,以上が私の二日間のPA体験の「ふりかえり」です。最後に,この体験会で感じたもう一つのことを書いて終わりにします。
ふれ合いのヒーリング効果とでもいいましょうか。今回のPA体験会では,ゲームを通して相手の体にふれたり,自分の体にふれられたりして,相手の体温(ぬくもり)や存在感を肌で感じることができました。ふれ合いを通して,私は安心感や幸福感を感じたり,あるいは満たされた気持ちになっている自分を感じました。普段の生活の中では,同性でも異性でも,体をふれあって活動するということはほとんどありませんね。特に大人になるとそんなことできません。でも,実際にやってみたら,そこに安心感や信頼感が生まれたのです。
人間がひしめき合っている日本という国で,孤独を感じて生きている人がいますよね。家に帰れば家族がいて,職場や学校に行けば同僚・友人がいるのに,自分はとても孤独。そういう人の気持ち,私はよく分かるんですけど,昔の自分のことを振り返ってみても,そういう孤独を感じてしまう時というのは他者への信頼感や安心感がなくなっているんですよね。そこから自力ではい上がるのはなかなか難しいことですが,例えばPAの活動の中でのふれ合いが,ひとつの処方箋なんだと感じました。
−−−先に書いたように,PAではアイスブレーキング→イニシアチブ→トラストという過程を繰り返しながらいろんなゲームを通して互いの信頼感を高めていきます。その中に「ふれ合い」という言葉はでてこないのですが,私はそれが信頼感を高めるために重要な役割を果たしていると思います。「ふれ合い」があるからこそ1泊2日というきわめて短い時間で信頼関係を築くことができたんだと思うのです。−−−
先日,河原でキャンプをしていた人が増水した川に流されました。ニュースの映像を見ると,彼らは服を着たまま流されたようですね。そういうときは服を脱ぐのが正解だと思うのですが,本当のところはどうなんでしょう。服を着たまま泳ぐと服が体にまとわりついてすぐに疲れて溺れてしまうという話を聞きます。ましてや泥水の中を泳ぐとき,服は手かせ足かせにしかならないように思うのですが。
今回のような事故が起こるといつも思うことですが,私たちはいざというときに身を守るための知識・技能をあまり持っていませんね。例えば,海で泳ぐ人で「離岸流」という沖へ向かう強い海水の流れがあることを知っている人はどのくらいいるでしょう。運悪く離岸流にはまってしまうと,多くの人は陸を目指して流れに逆らって泳いで力つきてしまうそうです。離岸流にはまったときは,流れに逆らわず,ただ浮きながら沖に向かって流されながら救助を待つか,斜め45度ぐらいの角度で沖に向かって泳いで,離岸流の帯から脱出するのがいいそうです。また,大雨が降っているときに斜面から小石がポロポロ落ちてきたら,土砂崩れが起こる危険が大ですけど,斜面の麓に家を構えている人はこういう知識を持っているんでしょうか。
考えてみると,社会にでてから身を守るための知識は,自然の中だけでなく,他にもいろいろ必要です。火災に巻き込まれた,暴漢に襲われた,キャッチセールス,宗教の勧誘,クレジットカード破産,家庭内での誤飲事故など,あげればきりがないくらいです。
このようなサバイバルの知識は,学校でまったく教えません。学校は社会にでるための練習の場。なのに実社会で生き抜くための知識・技能はあまり重要視されていないみたいです。昔ならこういう知識・技能を遊びの中で知らず知らず身につけていたのかもしれません。でも,今その地域の教育力に頼れる状態ではありません。若者たちは危険に対して無防備なまま学校を卒業し,社会人になってしまうのです。学生運動の生きた化石たちや新興のカルト教団が大学の新入生をねらうのも,高校を出たてで無防備だからでしょう。キャッチセールスに引っかかるのも,高校あるいは大学を出たての新社会人が多いんじゃないですか。そういう危険から身を守る方法を,学校はもっと教えるべきなんじゃないでしょうか。
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PS:ちょっと言いっぱなしの感がありますね。学校で誰がどの時間にどんなふうに教えるのか,具体的なアイディアがほしいところです。ぼちぼち考えていきます。
DREAMS COME TRUE WONDERLAND 1999 "夏の夢" に行ってきましたー!とても面白くて楽しかった。今回はバックバンドなしの3人だけのコンサートでした。その分,いつもよりさらにドリが近く感じられ,アットホームな雰囲気になったと思います。
WONDERLAND は新しいアルバムだけでなく,今までのアルバム全部からの選曲になります。曲数を数えていたのですが,途中で分からなくなってしまいました。思い出せるだけで21曲+おまけ1曲でした。オープニングは夏らしく「あの夏の花火」,アンコールが3人のアカペラで「星空の映る海」(とっても素敵なアカペラ),「朝がまた来る」,最後の最後が「dragonfly」でした。その他印象に残ったのは,「未来予想図」→「未来予想図II」の連続技,アンドレ中村とオホーツクブラザーズの再結成(!),美和さんのピアノ弾き語り,私が一番好きな「LOVE GOSE ON…」。「a little waltz」は中村さんが大太鼓,美和さんが小太鼓,西川くんがアコーディオンという変わった構成でしたが,なかなかよかったです。また,今回の観客参加のコーナーは,座席指定で一人だけ舞台上で「The signs of LOVE」を聴けるというものでした。運良く当たった人は,三日月の椅子に座ってゆっくり聴いた後,3人にそれぞれハグしてもらっていました。
それ以外の曲は,「Don't You Say...」「悲しいKiss」「STILL」「うれしい!たのしい!大好き!」「2人のDIFFERENCE」「時間旅行」「4月の雨」「サンキュ.」「7月7日、晴れ」「あはは」「そうだよ」「夢で逢ってるから」です(覚えているのだけ)。
今年はドリ10周年の年です。デビューが1989年,これは前も書いたけど,SphinxとAldoが出会った年でもあります。パンフレットは10年のドリのあゆみの写真集でした。ドリの10年がAldoとの10年に重なります。あの曲聞きながらあそこにドライブに行ったっけ…なんて。そうか,うちのタローは神様の10年目のプレゼントなのかなー。そう思いながら家に帰ってきました。
野口悠紀雄氏(http://www.noguchi.co.jp/)の『「超」整理法3−とりあえず捨てる技術』を読みました。本書のテーマは,自分の机を書類の山で埋もれさせないための方法です。昔と違って,現在の仕事で必要となる書類のほとんどがフロー情報です(ストックではない)。それらの書類は文字通り次から次と流れてくるので,不必要になったものを効率的に捨てていかないと仕事場は書類に占拠されてしまいます。野口氏は,パソコンのデスクトップとその隅にあるゴミ箱のアナロジーを用いて,実際の書類を効率的に(しかも安全に)捨てるための技術を開発しました。『「超」整理法』,『続・「超」整理法−時間編』に続くこの本も,斬新なアイディアで満ちあふれていてとても参考になります。
また,本書の中でパソコンの「GREP検索」の機能を重要なものとして紹介しています。野口氏は主にウインドウズを使っておられるようですが,MacOSのSherlockによる検索は,GREP検索をはるかにしのぐ便利さなんですよねー。自分のパソコンのハードディスクの中はもちろん,広大なインターネット上の情報まで一瞬で調べて,キーワードとの関連の度合いでソートして提示してくれるんですよ。一度使ったらやめられない!今の私には必要不可欠なツールです。(99/08/17 5:45)
1999年7月30日から8月1日にかけて,泉ヶ岳青年の家で行われた「青少年赤十字リーダーシップトレーニングセンター」に,指導者の一人として参加しました。宮城県内の高等学校の青少年赤十字メンバーが31名集まって,3日間ともに学びました。
国際赤十字をつくったのは,スイス人の実業家,アンリー・デュナンです。彼は31歳の時にイタリアで戦争に巻き込まれます。その時に戦場で兵士を助けた経験が,後に国際赤十字をうむことになります。一人の人の良心と行動によって世界が変わっていく…。私はアンリー・デュナンの偉業を思うたびに,とても勇気づけられます。主に「高校生 青少年赤十字ハンドブック」(日本赤十字社編集)を参考にして,国際赤十字が生まれるときの話を書いてみたいと思います。
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1859年,イタリアは統一戦争のさなかでした。当時のイタリアはいくつかの国に分かれていて,その中のひとつの国がフランスのナポレオン3世と連合して,イタリア全土を支配していたオーストリアに戦いを挑んだのです。
6月,イタリア北部のカステリオーネの町を,一人の若いスイス人が訪れました。このスイス人はフランス領アルジェリアで製粉会社を経営していました。その事業の拡大のため,戦争に参加していたナポレオン3世に援助を要請するために来たのでした。そして,思いがけずこの統一戦争に巻き込まれてしまいました。
ちょうどその時,カステリオーネの町にほど近いソルフェリーノでは統一戦争最大の激戦が繰り広げられていました。双方あわせて32万の兵士が15時間以上にわたって殺し合い,辺りは負傷者や死者の山となりました。負傷者の数に比べて救護する軍医や衛生兵の数が少なすぎ,また彼らは自国の兵士しか救護しようとしません。倒れている兵士は次々に死んでいきます。若いスイス人(のちに赤十字の生みの親となるアンリー・デュナン)は,思わず負傷した兵士のそばに駆け寄りました。
「みな同じ人間同士ではないか。傷つき倒れて戦えない兵士に敵も味方もない。同じ人間として助けよう」 |
デュナンは村人の協力を得て,負傷兵を敵味方の区別なく救護しました。三日三晩休む暇なく救護しましたが,負傷者の数があまりに多いので,看護のかいなく息絶える兵士があとをたちませんでした。
◆
ソルフェリーノで負傷兵の救護にあたったデュナンは,疲れ切って故郷のスイス・ジュネーブに帰りました。ソルフェリーノでの出来事をデュナンは忘れることができません。村人と協力して一生懸命救護したのにもかかわらず,多くの兵士が亡くなっていきました。そのことを深く考えながら,デュナンは3年の月日をかけて『ソルフェリーノの思い出』という本を書き,自費出版しました(1862年)。本の中で,デュナンは二つの提案をしました。
1.戦場で負傷した兵士を敵味方の区別なく救護するために,各国で民間の団体を前もって組織しておく。 2.その団体が戦場で安全に活動できるように,国際的な取り決めを結ぶ。 |
デュナンはこの本をヨーロッパ各国の著名な作家や有名人に配布したほか,ロシア・オランダ・ベルギー・プロシアの王室や軍の首脳には直接会って国際救護団体の創設を説いてまわりました。この本は,ヨーロッパ各国で大きな反響を呼び,デュナンの提案への賛同や励ましの手紙がたくさん届きました。また,彼の故国スイスでは,デュナンの提案を具体的に実現しようとする動きが出てきました。
◆
ジュネーブには以前から公益教会という慈善団体があり,いろいろな慈善活動をしていました。その団体の会長で法律学者のギュスターヴ・モワニエが,デュナンの『ソルフェリーノの思い出』を読んで共鳴し,ぜひ協力しようということになりました。3ヶ月後,モワニエ(法律学者),デュフール(将軍),ルイ・アピア(医学博士),テオドール・モノワール(医学博士)とアンリー・デュナンの5人で委員会を作って,デュナンの主張を具体化する運びとなりました。この会が,今の赤十字国際委員会の前身の「五人委員会」です。赤十字の誕生は,この五人委員会が組織された日を記念して1863年2月17日とされています。
委員会はさらに会合を重ね,国際会議の開催に向けて準備を整えました。デュナンは委員会の作った国際会議の成案を携え,ヨーロッパの主要国を次々に訪問し,各地で有力者に会って国際会議の出席を要請しました。そして,1863年10月26日,ヨーロッパ16カ国の代表をジュネーブに迎え,最初の国際会議が開かれました。この会議で五人委員会が提案した10カ条の規約(赤十字規約)が議決されました。また,この団体を作るために活躍した五人委員会の人たちがみなスイス人であることに敬意を表し,スイス国旗の配色を逆にした「白地に赤い十字」を団体の標章とすることを決めました。
最初の国際会議で,戦場における負傷兵のため,各国に救護団体を作ることが決まりました。しかし,戦争は二国以上にわたることが多いので,政府間の相互理解と保証がないと救護団体が安全に活動することができません。これは政府間の交渉によって決められる必要があります。そこで,スイス政府が主導権を持って,各国に人道的条約加盟のための勧誘を行いました。
1864年8月8日,ジュネーブで政府主催の国際会議が開かれました。ここで12カ国が調印したジュネーブ条約が締結されました。このことによって,赤十字の活動は国際的な条約で保護されることになりました。
1870年の普仏戦争は再びデュナンを戦場に呼び戻した。彼は国防委員会の医療部員に任命され,負傷したときの手当を教える役目を与えられた。彼はさらに老人や子供の世話に全力を注いだ。ある時,セーヌ川の対岸に老人たちを避難させることになり,4隻の小舟をデュナンが先導することになった。対岸からはプロシアの砲弾が飛んでくる。先頭の小舟にすっくと立ったデュナンの手には大きな赤十字の旗がしっかりと握られていた。 小舟の軍は岸を離れた。見送るフランス兵も避難する老人も顔は真っ青だった。先頭の小舟で大きな赤十字の旗が左右に振られたとき,それまで囂々と鳴り響いていたプロシアの砲声はぴたりと沈黙した。それは赤十字の偉力を最初に示した一瞬であった。こうして避難民を無事に安全なところへ渡らせることができた。 |
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以上,デュナンがイタリア統一戦争に巻き込まれてから,赤十字組織が国際的にできあがるまでを簡単にまとめてみました。一人の人間の良心に基づく行動が,世界を変えていく。私はこの史実に強く勇気づけられます。
世界を変えるためにデュナンがとった行動は「戦争反対!」と唱えたり,デモをすることではありませんでした。彼はむしろ現状を分析して,戦争撲滅への見通しは暗いと判断しました。戦争がなくならないなら救護団体を作ろう。デュナンは現実的な問題解決を試みたのです。また,自分の考えを本にしてヨーロッパ各国の著名人や政治家に直接手渡しながら,自分の考えを広める努力をしました。このやり方も,国際的な組織を作るためにとても効果的な方法だったと思います。行動の必要性を的確に認識し,効果的なプランを立てて実行していき,目標を達成したデュナン。私も身の回りの小さなことから,このような行動をしていきたいと思いいます。
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青少年赤十字のリーダーシップ・トレーニングセンターでは,ワークショップという活動を行います。いくつかのグループに分かれて,今後の青少年赤十字の活動について計画し,実行するプログラムです。行動の必要性を発見し,目標を定め,具体的な計画を作成し,それを実行・評価するという一連の流れを体験します。トレーニングセンターで実際に行うのは計画の作成までで,最終日に計画をまとめて発表会をします。実行と評価はそれぞれの学校に持ち帰って行います。
このワークショップは,まさにデュナンが国際赤十字を組織するときに行ったことそのものです。ワークショップの中で,生徒たちは自分の頭で考え,それをまとめて自分の言葉で相手に伝えるという体験をします。普段の学校生活ではなかなか経験できないことなので最初はとまどう生徒もいますが,発表の練習をする頃にはグループみんなで協力しながら,楽しそうに作業するようになります。
社会の中で役割を果たしていくためには,自分で問題点を発見してそれを解決していくという力が必要になると思います。1年に1度,トレセンに参加した生徒だけがそういう学習をするのでは,まだまだ足りないですね。できれば日頃の学校の学習の中で,あるいは地域社会での生活の中で,すべての高校生がそういう学習に取り組んでほしいと思います。あ,行動の必要性を認識してしまった。さて,どうしよう。
昨日のNHK総合の「ひるどき日本列島」で,栃木県塩谷町の尚仁沢(しょうじんざわ)湧水が紹介されていました。5年前,塩谷町のオーキャン宝島というキャンプ場でキャンプをした後,Aldoと二人でこの尚仁沢湧水に寄りました。わき水は山道を30分ぐらい歩いたところにあるのですが,そこはなんとも不思議な光景でした。突然川が生じる…そんなかんじです。わき水が沢の源流で,そこから上流に沢は流れていません。そしてわき水がすごい量なので,そこから下流にいきなり水量豊かな沢が流れていくのです。土からしみ出したと言うよりは,太い土管を通ってそのまま出てきたかのような迫力に目を奪われました。わき水の味は忘れましたが,この驚きは今でも忘れられません。(99/07/21 5:48)
出産などで忙しくてしばらく新聞を読むこともできずにいたのですが,昨日読んでいてDV(ドメスティック・バイオレンス)の連載記事が始まっているのを発見。あわてて日付をさかのぼって切り抜きました。朝日新聞の家庭欄です。7月15日の記事は,妻への暴力を克服した男性の話でした。暴力を振るう自分を自覚して7年間,カウンセリングに通い続けてやっと自信を持てたとのこと。妻も自助グループに参加して,それを支えにして夫の変化を待ち続けました。昔の妻は,夫の機嫌をうかがって暮らし,夫が怒っているのは自分が悪いからだと思いこんでいたそうですが,今は「彼の機嫌は彼の問題。私の問題ではない」と言えるようになりました。この区別ができるようになることがとても大事なんだろうなあと思います。自他の感情を区別するのが下手な人,日本人にも多いですよね。特に母−娘の間で感情が共鳴してしまうというか,互いの感情に影響されあうような関係を見ることが多いです。
7月6日の夕方,なんとか出産しました。男の子(♂)。(^_^) 体重2850g,身長45.5cm。
5日の午後にLDR(陣痛&分娩室…個室です)に入って,ほぼ24時間の陣痛の後にやっっっと出てきた!というかんじです。私も入院中ずっと付き添っていました。二人ともあまり寝れなくて,眠気と戦いながらのお産でした。
男の子だったので,ネット上での名前は今までどおりタローでいきたいと思いますが,タローは肺を満たしている肺水の排出がうまくいかなかったため,なかなか泣きませんでした。足の裏をピチピチたたかれて,「オギャ…」という弱々しい泣き声。その後は酸素をすってなんとか血中の酸素濃度を確保する状態です。一度抱かせてもらった後は,そのまま保育器に入ってNICU(新生児集中治療室)へ入院ということになりました。入院申込書に「父」と書きながら,ゆっぴいのお父さんのことを思い出しました。
私たちはタローが入院しちゃってかなり心配なのですが,主治医の先生たちはあまり心配していない様子で気楽に「大丈夫でしょ」と笑ってました。それにしても,Aldoのあんなにがんばった姿を見たのははじめてです。それを見れただけでも立ち会い出産してよかったと思いました。
家に帰って一人で寝て起きてから出産のことを考えると,なんだか夢の世界の話のようで実感がわかないのです。でも,デジカメの映像を見ると,ちゃんと自分がタローを抱いている姿が映っている。よかった本当に生まれたんだ…。
その後,8月4日に1ヶ月検診に行きました。身長が+8cm,体重が+1kgで順調に成長しているようです。おっぱいを吸う力も強くなったし,キョロキョロいろんなところを見たり,腕をブルンブルン振り回したり,親を見てニコッと笑ったり…。日に日に成長していく姿をじっくり観察しています。
昨晩,発達障害児教育事例研究会に参加しました。仙台市内の特殊教育の教員や病院・福祉施設の心理士など10名ぐらいのメンバーが集まる小さな研究会です。昨晩の話題提供は,小学校の特殊学級で長年取り組んでいるスキーの指導でした。1年生で入ってきた子どもたちが6年生になるまでに,どんどんスキーがうまくなっていく様子をビデオで観ることができました。
その素晴らしい発表を聞きながら考えたことは,やはり指導記録が断絶しているということです。実は,スキーのビデオに出演していた小学生たちの数名(6〜7名)は,今うちの高等部に在籍しています。高等部の中でも社会参加のための指導が多いグループに所属しているのですが,そのグループの余暇活動の指導の中にスキーという項目はないのです。高等部は3年間という短い期間の指導になるため,どうしても街の中で気軽にできる活動が中心になってしまって,例えばカラオケとかボーリングとかそういう学習になってしまいます。もし,この生徒たちが小学校でスキーの学習を6年間積み重ねてきて,ボーゲンで楽しく滑れるところまで上達したという情報が伝わってくるなら,高等部の余暇指導の中身も変わっていくのにと思いました。
せっかくの6年間の取り組みが,そこで終わってしまうのは本当にもったいないです。詳しい指導記録が小→中→高,そしてその先と,伝わっていく仕組みがほしいです。
「君が代」の君は象徴天皇ということで政府見解がまとまったとか。そう決めつけられると,歌いたくなくなるんだなあ…。
最近,法制化がどうのこうのということで日の丸・君が代についての話題が多いですね。ここに現時点での私の気持ちを書いておきたいと思います。
まず個人的に。旗についてはそのままでいいです。歌については今までは歌ってきたけど政府が「君は象徴天皇だ」と決めつけられたので歌ってあげない。みんながもっと楽しく歌える歌があったら,そっちのほうがいいです。
次に教員として。学習指導要領で日の丸や君が代が「指導するべきもの」として規定されている以上,それらを指導しなくちゃいけないんでしょう。その点についてあまり追求したいとは思いません。だけどそれとは別に,教師の指導を鵜呑みにするなよということをきちんと教えていきたいです。大人から教えられたことをすべて鵜呑みにしてしまうような子どもたちでは,次世代の発展は望めませんから。日の丸・君が代を学習する場面は提供する。あとは自分で判断せよということです。
しかし卒業式などで日の丸に向かってあいさつする人が多いですけど,それも学習指導要領で決まっているんですか(まさかね)。物にあいさつする人の気持ちが分からないです,私は。自分が泊まったホテルの部屋とかにはお礼を言ってでてきますけど,別に旗にお世話になったりしないですからね。あれはどういう気持ちで礼をしてるんでしょう。やっぱり天皇陛下にご挨拶してるんですか?
「一生懸命,○○しなさい!」
「○○をがんばりました!」
なんで学生はすべてのことに全力を尽くすよう要求されるのでしょう(小学生でも高校生でも,養護学校の生徒でも)。全力を尽くすことが善で,余力を残すことが悪であるような価値観が教育界にあると感じます。そういう価値観こそ「悪」だなあと私は思うのです。「全力を尽くした」と他人に評価されるためには,他人に分かりやすい方法で全力を尽くさなければならないということです。ということは,必死な形相をするとか,他にすることを犠牲にして大量の時間をそこにつぎ込むとか,そういうことになります。そして先生はそういう「分かりやすい一生懸命さ」を喜々としてほめたりするわけです。予定調和的ですよぉ。
毎日毎日全力を尽くしていたら疲れるじゃないですか。毎日全力を尽くすのは医者と政治家だけで結構。残りの凡人は,自分の器に応じて適度に頑張ればいいのです。大事なのは,何に全力を尽くすかを自分で見極める力です。それを育てるのが教育じゃないのかなあ。何でもかんでも「ガンバレ」と言うのが教師の仕事なら,教師に資格などいらない。(99/06/09 6:11)
ふと干刈あがたの小説を読みたくなって,本棚から『樹下の家族』を引っぱり出して読みました。干刈あがたというと,『ウホッホ探検隊』『ゆっくり東京女子マラソン』などの小説が有名です。どちらも離婚して二人の子どもを一人で育てるという自分の体験が小説のバックグラウンドになっています。1943年生まれで私より一世代ぐらい上なんですが,彼女の小説を読んでいると心の波長がピッタリ合うんです。大学のころに,新聞小説になった『黄色い髪』を読んで以来,ほとんどの小説をハードカバーで買って読みました。彼女の作品はほとんど全部好きですが,特に『ウォークinチャコールグレイ』という作品が大好きです。
金曜日に仙台駅前で小一時間空き時間ができたので本屋さんで干刈あがたの作品を探しました。ところが,1冊もないんです。駅前で一番大きな本屋さんで探したのに。ちょっとびっくりして,とてもがっかりしました。今日は物置から『黄色い髪』を掘り出して読み直そうと思います。(99/06/07 4:38)
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昨日,物置を探したのですが『黄色い髪』は見つかりませんでした。ちょうど一番町に用事があったので,金港堂・丸善・高山書店をまわってみたのですが,やはり置いている店はありませんでした。考えてみたら,毎日毎日新しい本が出るのだから,10年も前の本なんてよほど有名なものじゃなければ置けないんでしょうね。現在も新しい本を出している作家ならまだしも,干刈あがたさんは7年前に亡くなってしまいましたし…。さびしいことです。しょうがないので,今日,県立図書館で借りてくることにしました。(99/06/08 5:55)
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夜に3時間ちょっとかけて,図書館から借りてきた『黄色い髪』(干刈あがた著,朝日新聞社)を読みました。この本を読むのは2度目か3度目ですが,読み始めたら最後まで止まりませんでした。やっぱり大好きです,干刈あがた。
この本には,学校とか教師というものに対して私が感じている違和感がよく表現されていると思いました。嘘,ごまかし,建前,見て見ぬ振り…学校における友人関係や教師の指導にはそういうものが満ちあふれていて,まさに日本社会の縮図です。素直で正直に自分の頭で考えようとする人間ほど,そこからはじき出されていきます。素直であることをやめて嘘の自分を身にまとうか,さもなくば仲間はずれになるか。すべての子どもは成長過程でどちらかを選ばなければいけないんですね。かわいそうですが,日本に生まれて育つ以上,避けて通れないことのようです。願わくば,一人でも多くの子どもたちが素直に生きる方を選んでほしいと思います。
ところで,この小説が朝日新聞に連載されたのは1987年の5月から11月だそうですが,とても12年前に書かれたものだと思えません。1999年の日本にそのまま置き換えて読めるような,「現代的」な小説です。この小説を発表して5年後に干刈あがたは亡くなってしまうのですが,惜しい人を亡くしました。(99/06/12 0:36)
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干刈あがたの『黄色い髪』を本屋さんで見つけました。(^_^) 図書館に返しに行ったついでに古本屋を3軒まわって見つけられず,3軒目の古本屋の隣にあった大きめの書店で探したら,なんとまったく別の出版社から3ヶ月前に初版第1刷として出版されていたのです。
「干刈あがたの世界」(全12巻)の中の第6巻でした。「干刈あがたの世界編集委員会」の編集で,本の帯には[没後七周年記念]と書かれています。1992年に亡くなってから7年たって,全集がでたんですね。いや〜,とてもうれしいです。もちろん買ってきて,今手元にあります。もう一度最初から読みたいところですが,なんだか今週は学校の仕事が忙しいようなので我慢しよう。(99/06/13 6:50)
「信頼していたのに裏切られた」と言って怒る人がいます。よく聞く言葉ですが,ちょっと勝手すぎるんじゃないかと思います。裏切るような人を信頼した自分が悪いんじゃないでしょうかね,「私を信頼しろ」と言われたわけでもないのに…。よしんばそう言われたにしても,「私を信頼しろ」なんていかにも信用ならない言葉を用いる人を信頼してしまうのは,やっぱりその人が悪いと思いませんか。
信頼するという行為はその人の責任ですることで,相手にはなんの義務も責任も生じないはず。勝手に信頼して,期待通りに動かないからといって相手を責めるのは筋違いというものです。そういう人は信頼してると言いながら,実は依存してるんですよね。「信頼しています」という言葉で相手をしばろうとする人は要注意です。私は,そういう人に「私を信頼しないでください」と言うことにしています。
仙台市政だよりの6月号の特集は,児童虐待とドメスティック・バイオレンス(DV)についてでした。児童虐待とDVそれぞれについてどんな行為が虐待なのかを列挙して,虐待が起こる背景や要因,被害者を救う方法,相談・問い合わせ先が分かりやすくまとめられています。共依存という言葉は残念ながら見あたりませんが,限られた紙面で説明するのは難しいことなのでしかたがないでしょう。それよりも,どういう行動が虐待なのかということが,広く市民に伝わることの意義は大きいと思います。これを読んで,「私は虐待を受けている(虐待している)」と気づく人がきっといると思います。救済はそこから始まります。
DVの被害者を緊急に保護する施設として,いわゆるシェルターが全国に作られはじめているという話は,この「ひとこと」で以前も書きました。市政だよりによると仙台市内には県婦人相談所と市母子生活支援施設があり,いずれも区役所保健福祉課が窓口になっているそうです。また,民間のシェルターは全国に二十数カ所あるとされていて(実数は不明;シェルターの性格上,その存在を明らかにせずに活動しているところもあり,詳しい数字はつかめない),仙台市内では「シェルターin仙台」が活動しているとのことです。私の予想より少ない数です。きっと,これからもっとこういう施設が作られていくのでしょう。(99/05/31 5:13)
NATO軍によるユーゴ空爆。私は賛成とも反対とも自分の意見を決めかねていましたが,やっと「反対」のほうに傾きつつあります。空爆は内政干渉なのだと思えてきました。
今回の問題の焦点は,ひとつの国の中である民族が為政者(他民族)に迫害されているという状況をどう見るかということですよね。他の国が当事者となってそこに割り入って力で押さえ込むべきことか(つまり国際問題なのか),それとも国の中で処理するべき問題(国内問題)なのか。NATO側は,ナチスドイツのことも頭に置きながら国際問題であると判断したわけです。
しかし,問題がひとつの国の中で起こっている以上,それは国内問題とせざるを得ないと私は思うのです。大統領の考え方が間違っているなら,それをやめさせることができるのは国民だけのはずです。他国から見て,その国の為政者が国内であやまった政治をしているからと言って,為政者の首をすげ替えることができるとしたらどうでしょう。力の強い国が他国の為政者をコントロール(支配)して,まわりの国は強い国にどんどん吸収されていくほかありません。国同士が対等に存在するものであるためには,互いに支配や依存があってはなりません。それを考えると,たとえ今回のような非常事態であっても,自国のことは自国民が決めるという原則を,やはり優先するべきなんだと思いました。
そうしたら,その時まわりの国は何ができるんでしょう。特使を派遣して調停してみる。あるいは迫害されている民族にエールを送ったり,抗議するためのいろいろな策を与える。食料等の物資を供給する。一時的な避難場所を自国に確保して招き入れる。アイディアしだいで,いろんなことができると思います。そして,そういう援助を受け入れるか否かは,もう当事者である民族や為政者が選ぶことです。まわりの国ができることは,自分の手をさしのべるところまでです。
それにしても,やはり迷いがあります。今回の空爆が,湾岸戦争の時のように双方の犠牲を最小限にとどめたものだったら,私はそれでいいと思ったかもしれません。こういう問題は正解のない難しいものですが,武力対立に陥る前にいろんな平和的な援助ができればそれが一番いいのだと思います。そういう平和的な援助は,平和憲法を持っている日本が国際社会で名誉ある地位を築くひとつの方法ではないでしょうか。日本政府はそういう長期的な見通しで物事をすすめるのは苦手だと思いますが…。(99/05/24 6:06)
先日,ある高校生と話していて遅刻の話題になりました。その彼女の「うちの担任は遅刻に厳しいんです。他のクラスではセーフになるタイミングでもうちでは遅刻です。」という話で,自分のクラス経営のことを思い出しました。私も遅刻の判定は時間に厳密でした。そのことでクラスの生徒によく抗議されたものです。「1組は昇降口に近いから間に合うのに,7組は遅刻になる。不公平だ!」とか,「他のクラスは大目に見てくれる」とか。そんなときは,「このクラスになって残念だったね」と笑っておわりです。まあ厳しくつけたから遅刻がなくなるものでもなくて,うちのクラスはいつもワースト1でしたねー。上に書いた高校生の担任は,私の前任校の同僚の先生です。彼女のクラスでは遅刻がほとんどないそうですから,さすがです。
ところで遅刻って「してはいけないこと」なんでしょうか。新聞に「遅刻はどうしていけないんですか?」と聞いた生徒の話が載っていて,私もちょっと考えてみたんですが,どうしても「いけないこと」とは思えませんでした。
例えば,他人のものを盗むとか,他人をいじめるとか,あるいは人殺しをするとか,そういう行動はたしかに「してはいけないこと」なんだと思いますが,遅刻がそれらと同列には思えません。また,外国に行くと電車の時間がルーズだとか,待ち合わせなどの時間の約束が(日本人的な感覚では)守られないという話を聞きます。時間の捉え方というのは,それぞれの文化によって違うわけで,そうなると遅刻だって当然その人の所属する文化によって異なった定義になるわけです。日本の中でだって,例えば東京と仙台とではずいぶん違いがあるんじゃないかと思います。(仙台には「仙台時間」という言葉があって,予定どおりの時間にことが運ばれないときに使われます)遅刻の概念って,結構相対的なものだということです。互いに共通の土台に立てない状況で,ごりごり指導するのはなかなかたいへんです。
そうは言っても,私は相手との約束の時間は守ろうと思います(時々遅れますが)。また,飲み会の幹事をするときに○時集合と連絡すればみんなは来てくれると思います。そう思えるのは時間の約束はまもるというのが,双方の言わずもがなの了解事項になっているからです。これは社会的な約束事=マナーです。遅刻は「してはいけないこと」ではなくて,マナー違反なんですよ。
マナー違反に対して「怒る」のは,自分の不快な気持ちを相手にぶつけるということです。一般社会の中ではそれでいいと思いますが,教室の中で教師がそれをするのは私ならいただけません。教師ですから,教えるのが仕事なんですから,「遅刻はマナー違反です。私は不快です。」と言葉に出して教えるのがいいと思うんです。遅刻することによって相手との信頼関係が崩れていく,あるいは自分の社会的信用が失墜する…そういう感覚を持ってもらうように持っていくのが指導なんじゃないでしょうか。単純に怒鳴りつけるとか,あるいは小手先の言葉(※)で言い聞かせるとか,そういうことでは生徒を変えることはできないと思います。もっとも,先に書いたように私も生徒を変えることはできなかったようで,遅刻は減りませんでした。彼らは今どうしているのかな,そろそろ就職してる時期なんだけど,今でもやっぱり遅刻しているのかな。
(※)小手先の言葉の代表例
『遅刻して損をするのはおまえ自身なんだぞ』
コンサートに遅刻したならそう思うだろうけど,つまらない授業ならラッキーとしか思わないかも。
『みんなが迷惑をうけるんだぞ』
みんなも遅刻して怒られる自分を見て結構喜んでるじゃんと思うかも。
●補足
『遅刻は「してはいけないこと」ではなくてマナー違反なんです』という文について補足します。私は,マナー違反というのはある程度それをする人に任されている部分があると思うのです。違反するしないはその人の自由ということです。その結果起こることは,もちろんその人が引き受けます。だけど,例えばいじめとか殺人なんかは,するしないが自由とはとても言えません。それらを両方「してはいけないこと」としてしまうと,同列に扱っているように感じてしまいます。そういう単純化って,けっこう問題だと思うんです。未成年でたばこを吸ったということを「法律違反だ!」という観点だけで指導すると,例えば殺人を犯したことと同レベルになってしまいませんか。悪いことはどの程度悪いことなのか,程度の問題を常に考えながら指導する必要があります。
●補足の補足
未成年者はお酒を飲んではいけないことになっていますね。法律で。ところが,18歳の大学生がお酒を飲んでも特におとがめなし。同じ18歳の高校生がお酒を飲んだら怒られた上に停学。この差はなんでしょう。たばこでも同じです。こういう状況を正直者の高校生が納得できるんでしょうか?できないでしょうね。たとえ法律違反だとしても,同じ18歳が世の中でおとがめなしでいけている以上(そういう社会的な認識がある以上),高校生というだけで停学にしてしまうのはやりすぎだと思うのです。「やめたら?」とやめることをすすめる程度まででしょうがないんじゃないですか。停学にして反省文を書かせるより,学校で時間をとって対話して,世の中に酒を飲む人と飲まない人,たばこを吸う人と吸わない人がいるっていうことを生徒に考えてもらった方が,その生徒の一生を見渡したときにいい結果をもたらすように思うのですが。生徒はやがてそれを自分で判断しなければいけなくなるんですから。生徒が悪いことをした。それ生徒指導部会だ,それ停学だ!というステレオタイプな「指導」はやめてほしいものです。法律違反を取り締まるのは警察の仕事です。(99/05/19 6:26)
思いやり・気配り…誰でもないよりはあったほうがいいと思うでしょう。だけど,私はときどきそれらに違和感を感じることがあります。誰かから思いやりや気配りを受けたときにです。
例えば,天気がいいから歩いていこうと思って歩いているときに,通りがかった知人が乗せていくからというような場面。いちいち理由を言って断るのもしんどいけど,いいから乗っていけとまで言われると心のなかで「ほっといてくれ〜」と叫んでしまう。あるいは,当然自分がやることと思っていることを,他人がしてしまっているような場面。「それ,やっておいたから」と言われると「なんで?」と思う。言われるのはまだいいほうで,何も言われないけどその人がやったことは明白なんていう状況になるととっても不気味。
頼んでもいないのに他者からお世話されるというのが苦手なんですね,私は。思いやりとか気配りというものが,他者へのお世話という形ででてくるとき,私はその影にコントロール(支配)を感じ取ってしまうのかもしれません。その人を自分の影響下に置いておきたい。そう明確には自覚していないのでしょうが,お世話にはそういう欲求が隠されていることがあるのだと思います。私はそれを思いやりとか気配りとか呼びたくないです。それらの言葉は,もっと大切に使いたい。
誰かにしてもらいたいことは自分で頼む。私にしてほしいことは自分で言ってね。これが私のスタンスです(以心伝心の対極ってことですねー)。日本人の皆さん,もっとドライに行こう!
「育児をしない男を,父とは呼ばない」という標語とともにSAMさんが赤ちゃんを抱いているポスターがあります。このポスターは厚生省がつくったもので,私がよく行く県立図書館にも張ってあります。このポスターに自由党の井上喜一代議士がかみついて,厚生省の担当課長に抗議したのだそうです。氏曰く「家事や育児をないがしろにしている母親が多い。そんな風潮を助長し,女性運動家みたいな連中を勢いづかせるだけだ。育児をどう分担するか。各家庭に事情があり,国が立ち入るべきじゃない」だそうです。家事や育児をないがしろにしている父親がもっともっと多いから,こういうポスターを金かけて作るってるんでしょう?と言っても理解できないんでしょうねー,こういう人は。
共依存とか機能不全家族など,家族関係の病について勉強してみて,育児にしろ家事にしろ相手まかせにするところがその病の発端になっているということが自分なりに分かってきました。相手に依存する心があり,それを利用して相手をコントロールしようとする心があり,依存とコントロールが表裏一体となって家族関係が壊れていくのです。夫が外で働いて妻が専業主婦として家事育児を一手に引き受けるという構図,日本には少なくないですよね。その構図の中に共依存関係が存在するとこうなります−−−夫のほうは家事・育児を妻に依存して,お金を家庭に入れることで家族を支配(コントロール)する;妻は家事・育児を夫から取り上げて依存させることで家庭内での支配的地位を確立し,しかしお金の面では夫に依存する。(自分の服がどこにしまってあるか分からないとか,缶切りがどこにあるか分からないっていうお父さんがいますよね?)依存とコントロールはどちらも自分本位な行動です。互いに,それと意識はしていないだろうけれども,家族という他者を利用して自分の生活を作り上げているわけで,互いに利用されている状況で家族が本当の意味で親密になることはできないんだろうと思います。傍目には役割分担が明確で,協力しあって家族関係がうまく行っているように見えるのに,実は互いに「孤独」だったりするのです。【つづく】
しかし,仕事に嗜癖的に没頭してお金で家族を支配するような人って,自分で自分の首を絞めていることに気づかないんでしょうかね?妻や子どもからは「亭主元気で留守がいい」なんて言われてるだろうに…。「金の切れ目が縁の切れ目」とも言われてるかも…。ねえ,仕事に夢中になってるお父さん,あなたは何のために結婚したの?
この依存とコントロールが,ゆくゆくは例えばアルコール依存やギャンブル依存,薬物依存などのいろいろな嗜癖的行動や児童虐待,子どもの非行などの問題行動につながっていきます。そうならないためには,相手に依存しなければいい,相手をコントロールしなければいいということになります。
依存もコントロールもしない生活というのは,夫だろうが妻だろうが,家事も育児も両方やる生活です。私はそう思って,最近はAldoと一緒に夕食を作ったりする時間を確保するように努めるようになりました。さすがに毎日というわけにはいきませんが,一緒に台所に立って夕飯を作るというのは楽しいひとときです。家事・育児のすべてを二人で一緒にできたらもっと楽しいのでしょうが,現実にはそういうわけにはいきませんね。うちの場合は朝食の準備はAldoに任せていますし,庭の草取りは私がやっています。家事を「分担」している部分も少なくないということです。ところで上で紹介した井上代議士の発言の中にも「分担」という言葉が出てきます。家事の一部はAldoに任せていますが,私はAldoに依存しているとは思っていません。相手まかせにする「依存」と家事の「分担」は,どうちがうのでしょう。
私は,パートナーの両方ができる仕事を分け合うのが「分担」,パートナーの片方しかできないことをしてもらうのが「依存」だと思うのです。食事作りにしても,妻も夫もできるけれども妻が作っているという場合と,夫は食事作りができなくて妻が作っている場合があります。私は前者が分担で後者は依存だと思います。後者の夫は,妻が食事時に外出することを嫌がるでしょう。ダダをこねて妻を家に引き留めようとする…コントロールですね。自分で食事を作れる夫なら,妻の行動を無理にコントロールせずに済むわけです。我が家では草取りをいつもは私がしていますが,私が忙しいときや休日に天気が悪かったようなときは,平日に休めるAldoがやってくれるときがあります。どちらもできます。だけど分担しています。
さて,井上代議士の家では「育児・家事は妻の分担」だそうで,井上代議士自身は一度もそういうことをしたことがないそうです。一度もしたことがないということは,できないということでしょうね。私に言わせれば「そりゃ依存だよ,分担じゃないよ」ということになります。依存する方も悪いけれども,それを認めてきた奥さんにも責任の一端があります。かわいそうなのは子ども(たち)ですね。
最後にひとこと。井上喜一代議士は自由党の国民生活社会保障部会の部会長だとか。この人にそういう仕事を任せる自由党の見識のなさにはあきれてしまいます。自由党は,せいぜいそんな程度だということですね。もっと世の中の流れに敏感であってほしいし,そういうことを勉強してほしいですよ。>代議士の皆さん。それから,こういう不勉強な人は選挙で落としましょうよ>有権者の皆さん。
住宅団地というのも,あまり大きくなると弊害があるものなんですね。仙台市で一番はじめに大規模住宅団地として開発されたT団地は,今,3世帯に1世帯の割合で独居老人が暮らしているそうです。つい先日は死後しばらくたってから自宅でなくなっている老人が「発見」されたとか。
住宅団地,それも集合住宅がたくさん並ぶようなタイプの住宅団地の場合,一斉につくって一斉に入居させるために,どうしても世代の偏りが生じます。団地ができたときに入居するのは30代〜40代を中心にした世代でしょう。その世代は20年後には50〜60歳になり,子どもたちも二十歳を超えて団地を出ていきます。そのまま10年も時が過ぎると,住んでいるのは60〜70歳の老人ばかりということになってしまいます。住宅団地をつくったころは,もうすこし入居者の回転が速いという予想があったのかもしれません。しかし,現実は一度入居したまま,そこでずっと暮らす人が多かったんですね。
私が今住んでいるのは,一戸建ての多いかつての新興住宅地です。やはり20年前に大規模に開発されたところで,町全体が高齢化しているようです。町全体の世帯数は千〜二千世帯はあるでしょうか。町内会は○丁目単位で組織されていますが,町内会長を含め役員はおじいさんか年輩の奥様方(私の親ぐらい)が中心です。町内会長さんなどは70歳以上で「本当は隠居して当然の年頃なのに…」とぼやきながらも,継いでくれる人がいないのでしょうがなく続けているようです。私は,働き盛りの若い世代が仕事に依存して地域社会を壊しているというようなことを考えていましたが,地域によってはそもそも若い世代がいないという状況もあるんですね。地域社会の空洞化といいたくなるような状況です。
朝日新聞の「宗教と人権〜ヨーロッパの模索〜」という連載は,以前から注目していました。人権侵害を伴う宗教団体(セクト)とどう向き合っていくかという話です。昨日(1999/4/14)の記事は,セクト被害者の救済組織の紹介でした。その中で,次の記述が目を引きました。
入信した子どもを両親が説得する場合,一方がセクトの理解者,もう一方が批判者を演じて,質問や議論を促すのも効果があるという。 「そうすれば,マインドコントロールによってまひしていた信者の批判精神が呼び覚まされ,自分に起きたことを理解できるようになります」とダベルニエ会長はいう。 |
マインドコントロールによってセクトを礼賛して思考停止に陥っている人に,それを頭から否定するような接し方をしても効果はないわけです。ところが,批判者と理解者の議論(=対話)を聞いていると,思考停止がとけて自分で考えられるようになってくる。理解者の存在で信者が議論に参加しやすくなり,批判者の論理をうち砕こうとすることによって自分の思考が呼び覚まされるのですね。う〜ん,すばらしい方法だ!やはり人を変えるのは「対話」ですね。
宮城県で,今,全国的に一番有名な人物は浅野知事ではないかと思うのですが,その浅野知事を有名たらしめているのが県の「情報公開」の推進です。日本という国は,例えばアメリカなどと比べると情報の風通しがとても悪い国です。おととい書いた選挙の件も,自分で責任を持って選ぶためには情報が少なすぎるということでした。しかし,情報公開条例が多くの自治体で制定されるようになって,行政は情報に関して新たな一歩を踏み出しつつあるようです。
ところで,情報の風通しが悪いのは,行政だけではなくて教育界もそうですね。学校で自分の子どもがどういう学習をしているか親が全然知らないなんていうのは,まだ当たり前のようです。それでも最近,指導要録が本人に開示されるようになって,所見欄に根拠のない不適切な記録がなされている実態がばれました。これはいい変化です。
うちの学校では,昨年度までの3年間,「一人一人の課題に応じた指導をめざして」というテーマで,自主研究を行いました。高等部では,保護者と教師が情報を出し合って生徒の実態を把握し,将来の姿やそれに向けての課題(目標)を一緒に考える。また,授業での課題への取り組みの様子をリアルタイムで家庭に文書で知らせたり,年度末に1年間の学習の成果を文書で保護者に伝える。保護者や教師は前年度のその資料から,次年度の課題を考える。3年間でこういうシステムを作りました。
今振り返ってみると,これも「情報公開」だったんだなと思えます。学校内ではこの研究を批判する方もいらっしゃったのですが(文書がとても増えるなどの理由),「情報公開」というキーワードをもっと前面に押し出して説明すれば,もっと理解してもらえたかもしれないと悔やんでいます。
選挙にしても自分の子どもの教育にしても,自分の責任を果たすためには信頼できる情報が必要です。いまはまだ過渡期なので,情報がすぐ手にはいるときとそうでないときがあります。行政の情報公開を「市民オンブズマン」が勝ち取ったように,必要な情報は必要と思った一人一人が相手から引き出す努力が必要なのでしょう。それと同時に,情報を持っている側も,それを適切に公開する責任があるということを認識しなければならないのだと思います。情報を抱え込むということは,相手に判断する余地を与えないということです。大船に乗った気分で依存せよということです。これじゃあ民主主義とは言えませんから。
実践障害児教育4月号(vol.310)の巻頭提言を読んでいて,「指導」と「支援」という二つの言葉について考えました。「支援」という言葉は,この提言によると文部省が新学力観を打ち出してから盛んに使われるようになったとのことで,私の周りでも「指導」ではなくて「支援」にしなければならないというような話をこのごろ時々耳にします。これからは生徒の主体性が大事だ,だから指導じゃなくて支援だと,まるで言葉狩りのように「指導」という言葉を「支援」に置き換えていく。そうやって上から押しつけられる「支援」という言葉に反感を感じているのですが,一方で生徒の主体性を声高に叫ばなければならない現状も学校には確かに存在します。それで,「支援」という言葉の意味するところを少しまじめに考えてみました。
私の結論を先に書くと,「支援」という立場をとるということは「生徒をコントロールしない」という決意表明です。この場合,コントロールという言葉は自分の思うように相手を動かすことという意味で用いられています。「生徒の主体性を尊重する」という立場と似ているようにも思えますが,それよりも具体的で厳しい考え方だと私は感じます。
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人間を他者がコントロールするとどうなるかという極端な事例がオウム真理教です。「マインド・コントロール」という言葉が一時流行りましたが,そういう状況下では一人の人の意志にすべての人が従ってしまうわけで,そこに「自分の考え」とか「他者」というものは全く存在しないわけです。究極の依存です。コントロールは,人間の主体的な思考や行動を奪ってしまうのです。
私たち教員は,そういうふうに子どもを育てようとは思っていないわけですが,よく考えてみると「教育」という活動は,そもそも他者によるコントロールです。特に義務教育の場合,子どもが義務教育を受けないという選択肢は事実上認められていないし,教えられる内容は国が決めています。子どもはそこから逃れられません。「生徒の主体性を尊重した教育」とか「生徒の個性を伸ばす」とか言われていますが,それを教師(という他者)が決められた学習内容を教え込む(=コントロールする)という構図のなかでどうやって行うのか。学校が今そうした矛盾した状況にあるということを理解しなければいけません。過去に目を転じると,昔は,特に義務教育では教師が先導して子どもの行く先を示してそのとおりに動かしてきました。先生の言うとおりに動くのが「よい子」とされ,その価値観は親も教師も共通したものでした。しかし,その価値観がしらずしらずのうちに変質してしまっていて,親も教師も子どもも,互いに苦しくなってきたのです。
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今まで日本人は,地域の狭いコミュニティの中での人と人とのつながりの中に,規範とか道徳意識というものを確立してきました。自分の行動を律する原理は「他人の目」だったわけです。このへんはキリスト教などの人間を超越した「神」に自分の行動を律する原理を見いだすアメリカなどとは対照的です。他人の目によって自分の行動を律するということは,あきらかに他人にコントロールされているということですね。日本人というのは道徳という枠組みを経由させながらも,お互いにコントロールしたりされたりしてきた国民なのです。
価値観や規範意識がコミュニティの中である程度共通だった頃は,それでもそれほどコントロールされているという感覚はなかったでしょう。しかし,ある時期からそういう地域のコミュニティが崩壊していき,それとともに人々の価値観や規範意識が多様化していく中で,親・教師・子どもは,互いにコントロールすることもされることも苦しいと感じるようになってきたのだと思います。
アルコール依存症などの研究から,人間がコントロールしようとしたり,コントロールされ続けていると病的な状態になるということが分かってきました。そもそも私たち人間は,他者をコントロールなどできないのです。できないのに,無理にやろうとするから互いに苦しくなるのです。コントロールされる側は,自分の意志に反する行動や考えを強制されて,問題行動という不適応で抵抗するか,そのコントロールに依存して思考停止するという適応で対応するかを迫られるわけです。昔から言われた「よい子」というのは,後者の依存して思考停止した子どもたちのことですね。
そういうわけで,「指導」と「支援」に話を戻すと,「指導」として子どもをコントロールしようとしてきた今までの教育をあらためて,「コントロールしないぞ」「生徒の自主性を阻害しないぞ」という決意を「支援」という言葉で表しているのだと思うのです。
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ところで,「コントロールしない」と言うならその先にどんな教育があるのでしょう。教育というのは,そもそも相手をコントロールすることです。それをコントロールせずに行おうとするとき,教師はどう行動するべきなのか,何を教えるべきなのか?そのことをしっかり明示して意識を改革しないと,現場の状況は何も変わらないと思います。私も今考え中で,かっことした意見を持っているわけではないのですが,私なりに漠然と考えていることを書いてみます。
まず,コントロールしない教育において,教師の仕事は何になるのかということです。今までは,生徒を教え,導くのが教師の仕事でした。しかしこれからは,学習環境の調整が教師のもっとも重要な仕事になると思います。学習環境の調整というのは,学習素材の提供や学習場面の設定,そして生徒が学習を進めていく過程でのいろんなアドバイスなどです。提供された素材を使うか使わないか,学習場面に参加するかしないかは生徒が選択します。教師というよりは「学習コーディネーター」と呼ぶべきかもしれませんね。
次に,コントロールしない教育における教師のあり方についてです。教師が教えるべきことは,学習内容そのものではなく人間としてのあり方になります。それを一言で言えば「コントロールされないような自立した人間」の育成です。誰かや何かに依存して生きるのではなく,自分というものを適切に認識して,自分の判断に基づいた合理的な行動ができる人間を作るということです。そのために教師がすることは,
この3つをあげておきたいと思います。以上が,「指導」と「支援」という二つの言葉から,私が考えたことです。
指導と支援の話ともからむのですが,昨晩(99/3/31)のサッカーの試合(日本−ブラジル戦)を見て考えたことを書きます。
昨日の試合を見て,野球と違って日本にサッカーが根付かないわけがなんとなく分かりました。野球は,バッターボックスに立つと前からボールが飛んできて,それをバットでたたいて右斜め前方の1塁めがけて走ります。あるいは守っていてボールが来たら,走者より早く塁上の仲間にボールを投げます。やるべきことが限られていて,選択の余地はそれほどありません。数少ない選択も,監督からのサインで決まってしまってプレーヤーはそれに従うだけです。一方,サッカーというのは,ボールの動きにしても人の動きにしても無限のバリエーションがあって,野球のように誰がどうやってと簡単に記述するわけにはいきません。監督からのサインもありませんから,プレーヤーは局面局面で自分の判断を厳しく要求されるわけです。
日本人は生まれてからの家庭や学校での教育によって,誰かに依存して思考停止することを行動パターンとして身につけてしまいます。そういう行動パターンが,野球にはよく通用するんですね。しかし,サッカーのように自分で判断して局面を打開していくようなスポーツには不向きなわけです。
昨日の試合でも,全日本サッカーの弱点がよく出ていたと思います。私が思う弱点は二つ
ということです。これらは,日本人の依存的な体質から来ているものだと思います。攻撃力の弱さは,1人対1人の局面での弱さです。自分で切り開く自信がないのでパスに頼る。パスは回るけれどもシュートを打てないのです。また,決定的なミスというのは,局面の重要度の判断ミスによって起こります。この場面では着実にいくのか挑戦的にいくのか,その判断がないために着実にいくべきところで無理をしてボールを奪われるわけです。守りのほうは,攻撃に比べて集団での動きがある程度要求されます。また,相手の出方に合わせて対応することが多いので,依存的な日本人でもわりと形になるんですね。だからワールドカップでもそれなりの試合はできるのです。だけど,試合中に何度か決定的なミスがあるために,そこを突かれて失点します。
自分で局面を作ったり,局面の重要度を判断するときに必要なもの,それは「自分で決断する力」です。全日本に決定的に欠けている「自己決定」の精神は,まさに日本の教育に今まですっぽりと抜け落ちていたものなのです。今までの教育を続ける限り,日本がサッカー大国になることはあり得ないと断言しちゃいましょう。
『佐高信の視線』(読売新聞社)から紹介します。
「アメリカから帰ったばかりのある都市銀行の副支店長と話をしていたとき,彼はこんなことを言ったんですよ。日本では行員はサービス残業で遅くまで残っている。昼間も黙々と仕事をしている。でもアメリカではみんな5時に帰ってしまうし,勤務態度も仕事のない時には雑誌を読んだり,おしゃべりをするゆとりがある。にもかかわらず,1日にこなす仕事の量は全く同じだと。」(宮本政於氏) |
私はこの副支店長の言葉に思い当たることがあります。私の大学時代の恩師は,日本人ですが20年間アメリカの大学で研究生活を送っていた人物でした。彼は,やはり時間できっちり帰るし,休日に大学に出てくることはまずありません。それなのに,卒論を指導し,助手や助教授たちの研究を指揮し,ちゃんと授業もやって,さらに自分の研究もして論文も書いていたのです。家に帰れば仕事ではなく,時々パーティーをして学生を招いてくれました。大学生だった私は,どうして限られた時間でそんなにたくさんの仕事ができるのか不思議でしょうがありませんでした。
つい先日,海外勤務の経験がある方と,どうしてアメリカと日本でこんなに仕事の効率が違うんだろうという話になったのですが,そこでの結論は,仕事の優先順位や配分を的確に判断しているということだろうというものでした。自分の時間と仕事のマネジメントがきちんとできているということです。日本では,一人だけそういうことをしようとしても,なかなかうまくいきませんねー。
学校という職場も,そういうマネジメントの「マ」の字もないようなところです。うちの学校は生徒がいる間は教師が別の仕事をするわけにはいきません。それで,授業以外のすべての仕事−−記録,次の日の授業の準備,会議・打ち合わせ,校務分掌の仕事,行事の準備など−−は,生徒を帰した後の約2時間ですべてやることになります。
ところが,その2時間が会議でまるまるつぶれてしまうことが多いのです。私がたまたま会議の多い部署にいるということもあるのですが(研究部),1週間のうち会議がない日はないという週も珍しくはありません。3学期になってからも,ある保護者と指導の打ち合わせをした後,その準備をする時間を確保できたのが3週間後ということがありました。その間,放課後は会議やら打ち合わせやらで埋まっているわけです。授業の準備や記録の時間も,当然確保されません。
私は,以前から会議の時間を今の半分の1時間以内にしてほしいということと,記録をつけたり情報交換をする時間を枠で確保してほしいということを管理職に要望しています。会議は時間と内容を管理することで半分の時間で済ませることが可能だと思いますし,なにより会議をすることによって授業の準備や記録ができなくなるというのでは本末転倒だと思うからです。仕事の優先度を間違えているということです。
ところが,私がそういう話をすると「会議は必要だからやるのだ。減らすわけにはいかない。」と反論されます。会議も必要だけど,授業の準備も必要。そこをどうマネジメントするかという発想にならないんですね。また,管理職は「記録などは自分で時間を見つける努力をしてやってほしい」とも言います。私などは部下が仕事をちゃんとできるように時間や仕事内容を「管理」するのが「管理職」の一番大事な仕事だろうと思うのですが,それを自分たちでやれという。
自分一人で時間を管理しようとしても,その時間さえ与えられない学校現場。それに取り立てて文句も言わない教員たち。上に紹介した銀行の副支店長の言葉から類推すると,時間と仕事のマネジメントという発想がないのは学校だけじゃなくて,日本の組織って少なからずそういう面を持つわけですね。私はそこに,やはり組織への依存を感じ取ってしまいます。仕事の優先度の選択をしない。与えられた仕事を唯々諾々とこなしていく。勤務時間が過ぎても目の前に仕事があれば延々と続ける。う〜ん,みんなそれでいいの?自分の人生の時間を浪費していませんか?自分のもう一つの居場所(家庭,地域)を壊していませんか?
7月19日の朝日新聞朝刊に,『「学力低下」を考える』という対談が載りました。苅谷剛彦・東大助教授(教育社会学)と寺脇研・文部省政策課長の対談です。いろいろ興味深い話がされていますが,その中で次の発言が印象に残りました。()はSphinx注。
苅谷:今いる人(=教師)を残しながら(学校が)変わるのは大変ですね。すると,研修の時間が必要です。学校の先生が受け持ちの時間が減っているのに,忙しさは変わらないのは不思議な話ですよ。聞いてみると,会議が多くなって資料をつくんなきゃいけないとかね。
寺脇:会議がべらぼうに長いことをどう考えていくか。何でも合議制で決めようとする仕組みはどうか。これからそういう学校の「常識」を変えなきゃいけない。
私はこの文部省政策課長の寺脇氏の発言にエールを送ります。学校は責任の分担が不明瞭で,なんでもみんなで話し合えばいいというかんじ。まるで学級会のノリそのままです。教材の準備や授業の記録・反省よりも会議が優先される状況では,満足いく教育改革などできないでしょうね。問題はそういう会議が大好きな教師がたくさんいる中で,どうやってその合議制という学校の「常識」を変えていくかです。私は,手っ取り早いのは教頭と校長をきちんと教育して適任者を選ぶことだと思います。管理職にはもっとリーダーシップが必要です。それも,文部省が考えている改革の方向性をしっかり理解したリーダーシップです。う〜ん,道のりは長いな〜。
家の新築のために莫大な借金を抱え込むことになるSphinx家では,今までの便利さ優先の浪費型生活を改めて,必要なものを必要なだけという「シンプルライフ」に転換することになりました。まずはじめに手を着けたのは,本代と食費です。
本代の低減策は簡単!図書館を利用するのです。私は本を読むときに赤線をひく習慣があって,そのために読みたい本はすべて購入していました。この習慣は,私の脳の使い方(認知方法)と関係があります。私の頭はファジーな記憶が苦手なタイプなので,一度読んだ本でもその本のどこに何が書いてあったか全然覚えられないのです。それで,赤線をひいたところを拾い読みして,だいたい内容を思い出すようにするのです。その結果,書斎は本であふれ,物置も半分は書籍でしめられます。小説などは数年に一度古本屋に持っていって雀の涙ほどの現金にするのですが,それでもこの有様。しかし,Sphinxは決意しました。(^_^) 本は原則として買わない!
しかし,図書館から借りた本にまさか赤線をひくわけにはいきません。それで,パソコンに読書記録をつけることにしました(*)。読んでいて参考になりそうなところは,パソコンにどんどん打ち込んでいくのです。読みながら自分が考えたことも書き込んでいきます。赤線をひくよりずっと時間がかかるので,打ち込む量は線をひいていた量より激減しますが,それでもないよりはずっとましです。打ち込んだところ以外の内容を後で参考にしたくなったら,図書館に再度借りに行けばいいのです。こうなると,図書館は私の書庫みたいなものですね。それから,私はまだ未経験ですが,図書館では利用者の本のリクエストを受け付けてくれるそうですね。これを利用すれば,読みたい本が図書館になくても,買ってもらえるかもしれません。
図書館で借りた本の中で,何度も何度も借りなおすような本があったら,それは自分の手元に置いておく価値のある本です。そういう本に巡り会ったら,そのときは自分のお金で本を買おうと思います。私たちの税金で運営されている図書館ですから,積極的に利用させていただくことにします。
(*)私はマックユーザーです。読書記録は,『NewNOTEPAD II』というシェアウエアソフトを使っています。これは,一見アウトラインプロセッサと似ているソフトで,テキストを階層で管理できます。とても便利ですよ。送受信したメールの管理やシェアウエアソフトの登録番号の管理も,このソフトでしています。
次は食費について。Sphinx家の場合,食費の無駄を省くポイントは2点でした。一つ目は,外食にしていたAldoの昼食をお弁当にすること。これは,Aldoが毎朝がんばって作って持っていくようにしています。そして二つ目は,食品とメニューの管理です。
今まで,買い物は店に行ってからその日に作りたいメニューを考えて買っていました。それだと,同じものを買ってしまったり,古い食材を悪くして捨ててしまったりすることがありました。前の日に料理を作った人とその日に買い物する人が異なると,食材の在庫状況が分からないし,同一人物が買い物に行っても,どれくらい残っていたかなど細かい記憶がけっこう曖昧で間違うことが多かったのです。
そこで,Sphinx家では計画経済へと移行しました。冷蔵庫や野菜カゴ,保存食品の棚にある食材のリストと,それを期限内に活用する1週間のメニューを作って,冷蔵庫の扉に貼ることにしました。その結果,買ってくるべき食材の種類と量が明確になり,買い物の途中で目移りすることもなくなりましたし,1週間を見通しているので買い物の回数も毎日から週2回に減らすことができました。また賞味期限の近い食材は赤で表示してメニューに意図的に盛り込むことで,無駄に捨てることがなくなりました。食材リストの中で使い切ったものを線で消していくようにして,料理する人が変わっても現在の食材在庫状況をすぐに把握できるようになっています。
それに加えて,Sphinx家では買っていたものの一部を自分で作るようにもなりました。この1ヶ月で自分で作ったのは,マヨネーズ,ドレッシング,漬け物,餃子の皮,ホットケーキです。先日はAldoがパンにも挑戦していましたが,さすがに時間と手間がかかってたいへんそうでした。でも,ドレッシングやマヨネーズなどは数分〜十数分で作れますから,夕食の準備の最中に手軽にできるんですね。
必要に迫られて始めたシンプルライフですが,今は結構楽しんでやっています。これがこのまま続いていくのか,一瞬のブームで終わってしまうのか,見極めのポイントは半年後ぐらいでしょうか。(^_^)
「みんなが同じことをしたがる(する)」という状態は,もう依存の始まりですね。今回の学校研究を係として進めていてやりにくかったことの一つに,「小中高重複の各学部で足並みをそろえろ」という圧力がかなりあったということがあります。どうしてそんなにそろいたがるのかと,とても不思議だったんですが,要するに思考を停めたいからなんだなと分かりました。各学部で研究内容や研究結果が異なれば,そこに思考や議論の余地が生まれます。「どうして,○○学部はこうなんだろう?」って。時にはそこから新しいアイディアが生まれるかもしれないし,他の学部のやり方のほうがよくて,全面的に参考にできることがあるかもしれない。ところが,足並みをそろえるということは,そういう凸凹をなくすということですから,そこに思考の余地はなくなるわけです。そして,安心してその仕組みに依存できるんですね。思考停止は依存の始まりです。
こういうことは,何もうちの学校だけの話じゃないでしょう。例えば,学習指導要領だって,教科書だって,そういう体質を助長しているるわけです。それらに依存していれば,特に自分で「いったい教師って何者か?」なんて考える必要がないんですから。今の教師から,学習指導要領や教科書を取り上げたら,きっと右往左往してパニックになるんだろうなあ。ちょっと見てみたい気もします。(今日は毒舌?)
今回は,住宅の耐震について書きたいと思います。私たちは家を建てるときに,普通展示場を見に行きます。たいていの人は,そこで外観や間取りや調度品には目が行くのに,その建物の耐震について調べたり聴いたりする人はいないようです(展示場でもその会社の耐震に対する考え方がけっこう分かるんですよ)。そして間取りや金額が気に入ると,ポンと契約してしまう。数千万円の品物を,しかも自分の命を預けるものをそう簡単に買っちゃっていいのでしょうか?
住宅の耐震というと,その住宅の構造を思い浮かべる人が多いと思いますが,本当は地盤の問題がその前に来ます。ある住宅メーカーのパンフレットによると,住宅に関するトラブルの7割が地盤に関係しているのだそうです。そういうわけで,まずはじめに土地のことから書きましょう。
Sphinx家では,家を建てるにあたって仙台市内の某所に土地を購入しました。その土地の北隣ではまさに土地造成が行われていて,うちの土地も造成直後だと思われました。さらに南隣の土地と3m弱の高低差がありました(うちの方が高い)。これらの条件からどんな危険性を予想したかというと,「傾斜地に盛り土して作られたものではないか」ということと,「造成直後で地盤が軟らかくないか」ということです。傾斜地に盛り土をして造成された土地は,大きな地震の時に盛った土地がもとの地面との間ですべってしまい,谷の方にずれて壊れる可能性があります。宮城県沖地震の時の緑ヶ丘の土地の崩壊は有名です。阪神大震災の時も同じことが起こりました。また,造成直後の踏み固められていない柔らかい土地は,将来地盤沈下を引き起こす可能性があります。これらの心配はあったものの,この付近の地質全般については大学時代に自分で地質調査したことがあって,数m下には固い地盤があることは知っていました。それで,その地盤に期待して契約することにしたのです。
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契約後に家の建築をお願いする会社に地盤調査をしてもらいました。家の角になるところを4点,地中に棒をさして地盤の硬さや岩石の種類を調べます。その結果,うちの土地は地表面から1m〜2mのところがほとんど固まっていない盛っただけの層で,盛った厚さが南に向かって厚くなっていく(最大3m)ということが分かりました。つまり傾斜地に2〜3m盛り土しているということです。この結果を見たときはウ〜ンと考え込んでしまいました。しかし,地盤調査の結果から予想される傾斜の角度が15度ぐらいでわりと緩やかな傾斜だったことと,4m下に予想通り岩盤が確認されたので,地盤改良をすれば何とかなるかなあと思いました。
この地盤調査の結果,会社が提案してくれた地盤改良の方法は,『ソイルセメント工法+ベタ基礎』というものです。地下の岩盤までセメントの支柱(ソイルセメント)を立てて,その上にベタ基礎を敷きます。ソイルセメントは,周囲の軟らかい岩石を巻き込みながら固まってくれるので,軟らかい表層部分をがっちりガードします。また,普通の基礎は「布基礎」といって柱などの構造材がある壁の下だけに線上に作るのですが,家の下全部を鉄筋コンクリートで板状(面的)に補強して,その上に布基礎を立ち上げるのをベタ基礎といいます。地下4mの岩盤に乗ったセメントの支柱の上に,板状の基礎を敷いてその上に家を建てるのです。ソイルセメントは家の下に25本(ほぼ1坪当たり1.4本),一つの柱の直径が60cmです。ベタ基礎と合わせた追加料金は100万円。この金額をどうみるか?私は「安すぎる」と思いました。
うちの土地は,地下4mに新第三紀層の古い地層(いわゆる岩盤)がありますが,地域によっては10m以上軟らかい地盤が続いて,棒を打ち込んで検査をすると泥水がじゃんじゃん出てくるところもあるそうです(主に海沿い)。そういうところでも,地盤改良は義務付けられてはいませんから,普通の住宅メーカーでは,客が「地盤改良はいらない」と言えば布基礎での工事をします。そうやって建てた住宅は,やがて不等沈下(場所によって沈下量が違う地盤沈下)を起こして,基礎が割れ,地震に非常に弱い住宅になる危険があるのです。地震の時の液状化現象によってそういうことが一瞬でおこる場合もあるでしょう。
基礎が壊れた家は,基本的には建て替えるしかありません。そうなると再び数千万の借金をしなければいけません。その土地の地盤の状態をしっかり調べて,必要な対策をお金をかけて行うことが,地震に対して安全な家を造る最初の一歩です。
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次は構造について。家の構造は,使われる材料の別(木造,鉄骨,コンクリート)や工法(軸組,ツーバイフォー,プレハブ)によって多種多様になります。それぞれ一長一短があって,どれが最善というものではありません。家を建てる人が,その家に何を求めるかによって答が決まります。うちは木造で建てますので,以下の話は木造のことに限定します。
木造建築における工法は,木造軸組工法(いわゆる木造在来)と壁工法(ツーバイフォー,プレハブ)に分かれます。軸組工法というのは,柱と梁を組み合わせて骨組みを作る,日本の(明治以来の)伝統的な工法です。それに対して壁工法は,壁全体を構造材として,立方体の展開図を折り上げていくようなイメージで作っていく工法です。軸組の特徴は,設計に自由が利き,後で建て増しをするのも容易だということです。一方の壁工法の特徴は,耐震性・断熱・気密性が高く,柱が無くていいから大きな空間を作りやすいということです。
一般的に,地震に強いのは壁工法だと言われています。しかし,私はアレルギー体質なので,壁工法は選択肢に入れませんでした。壁工法では合板が多く使用されるため,その中に使われる接着剤から有毒物質(ホルムアルデヒド)が出てくるという心配があったからです(現在は,ホルムアルデヒドのでない接着剤を使用しているところも多いようです)。気密性が高くて接着剤が多用される壁工法では,アレルギーが悪化する不安がありました。
そのため,木造軸組工法のメーカーの中から,地震に強いと思われるところを探すことになりました。木造軸組が壁工法に比べて地震に弱いといっても,例えば阪神大震災で軸組の家がすべて壊れてしまったわけではありません。倒れた家もあれば,生き残った家もある。その違いは,次の2点だと思います。一つは,設計の自由度に流されて,必要な構造材(特に筋交い)を入れない欠陥住宅があるということと,長い年月の間に土台と柱の接合部分がシロアリでやられたり,水分によって腐ったりしていて骨組みがボロボロの家があるということです。面でくんでいく壁工法と違って,軸組では線(柱と梁)で骨組みをくんでいくので,線と線の接点がやられると全体の強度が著しく低下してしまうんですね。したがって,設計をきちんとしてもらうということと,シロアリ・防腐対策を万全に行うということが,地震に強い木造在来住宅をつくるポイントだと思います。ところが,このシロアリ対策に,また私のアレルギーが関係してくるのです。
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ところで最近,シロアリ駆除の業者のチラシをよく目にします。シロアリの駆除は床下の材木や土の部分に農薬に似た成分の薬剤を散布して行います。最近は,それほど強い薬剤を使わなくなっているのですが,それでも5年程度薬効が続き,薬剤散布後にその家に住んでいる人が頭痛を訴えたりすることがあります。薬剤が徐々に揮発して人体に影響を及ぼすんですね。
新築の木造住宅の場合はどうでしょう。ほとんどの業者では,防蟻対策としてコンクリートの基礎からほぼ1mの高さまで薬剤を表面塗布しています。土台だけは,それに加えて薬剤を加圧注入しています。加圧注入された薬剤は,処理後に成分が揮発することはありません(薬剤の種類にもよりますが)。それに対して,表面塗布されただけの薬剤は,揮発して住む人に害を及ぼす可能性が高いのです。私はもともとアレルギー体質である上に,シックハウスにも弱いので,表面塗布による防蟻処理はできればさけたかったのです。
Sphinx家が契約した住宅メーカーでは,薬剤の表面塗布をしません。その代わり,土台に加えて1階の木材すべてに加圧注入処理を行います。そうすれば,薬剤の揮発による有害成分に悩まされなくて済みます。さらに,加圧注入処理材は年月を経ても効果がなくなることはありません。5年で薬効がなくなってしまう表面塗布よりずっと防蟻効果が高く,さらに防腐の効果もあるのです。
このように,シロアリや水分による腐りを木材の加圧注入処理によって安全に防止することによって,土台と柱やそのほかの構造材が年月を経てもしっかり結びつきあって,地震に強い木造家屋になります。それに加えて,しっかりした設計をしてもらって,必要な構造材(筋交い,耐力壁)をバランスよくしっかり入れてもらえば,きっと地震に強く,人体にも安全な住宅ができあがってくるはずです。
今回,自分の家を新築するにあたって,安全面でいろいろ勉強してみました。カタログや展示場の飾られたモデルハウスだけを見ていると,どこのメーカーに頼んでも似たり寄ったりのように見えますが,実は,見えないところで大きな違いがあることが分かりました(ここに書いた防蟻対策はその一例)。そういう視点で,私の住んでいる町の周辺で建てられている新築中の家をのぞくと,構造上の弱点を抱えた家がけっこうあることに気づきます。たくさんのお金を払って建てる,しかも自分の命を預ける家ですから,これから建てる皆さんは自分の納得のいくまでとことん調べて,いい家と出会っていただきたいと思います。
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「長期的な地震発生確率の評価手法について」
Sphinxの掲示板の方でもちらっと話題になりましたが,政府の地震調査委員会が「長期的な地震発生確率の評価手法について」という報告書(試案)を発表しました。「数式が多く,理解が困難」との指摘が多かったそうで,解説付きになっています。この評価手法によると,今後30年以内に東海地震が起こる確率は37%,宮城県沖地震は68%になるそうです。
Sphinxの掲示板に書き込みをしてくれているNorikoさんに,解説のURLなどを教えてもらいました。【改訂試案の解説】【報告書の全文】解説を読んでみたら,けっこう分かりやすかったです。報告書そのものは読んでいませんが,理解が困難なほど難しい議論ではなさそうです。解説の方は,確率の学習後なら高校生でも理解できるかもしれません。
解説で書かれていることは,私には一つ一つ納得するものでした。こういうことは地震について基本的なことを勉強した人にはそれほど目新しいことではありません。しかし,それが具体的な観測結果に基づく数字として出てくると,やはりインパクトが違いますね。宮城県沖地震だって,過去の地震間隔(30〜40年)と前回の地震(1978)からの経過時間(20年)を考えると,この先10〜20年が危ないなとは思うわけですが,68%の確率と言われると気持ちが引き締まるような気分になります。
また,地震についてあまり知識がない人でも,この数字を,地震への対策をたてるための根拠とすることができます。「過去の地震間隔と経過時間が…」などと長々と考えなくても,「○%」という数字一つですみますから分かりやすいですね。解説の中には地震に被災する確率を火災や交通事故との遭遇率と比較したところがあって,こういうセンスがもっと一般に広がるといいなあと思いました。
前の高校で担任したり授業を受け持った「元生徒」を町中で見かけたとき,名前を思い出せなくて呼びかけられず,残念な思いをすることがよくあります。また,つい最近まで交流があった(=会話したことがある程度の)人に道ばたで会って,顔は覚えているんだけどどこでお会いした何という方だったか思い出せずに「えーと,どこかでお会いしましたよね?」なんて聞いて相手にビックリされることもあります。
どうも私は,人の顔からその人の名前やその人と自分の関わりの情報を連想する能力が弱いらしいのです。その情報が脳から完全に消去されている場合もあるし,消されてはいないけど,脳のどの引き出しにしまったか思い出せないという場合もあります。実は忘れるのは人の名前や関わりの情報にとどまらず,予定や言われたことも,すぐに書き留めておかないと見事に忘れます。初任の時に,職場(生徒指導部会)の歓迎の飲み会を忘れて電話で呼び出されたときには自分でも驚いてしまいました。
そういう,ある意味では自分の欠点を,しょうがないことだと受容できたのは最近のことです。それまでは例えば生徒の顔と名前が一致しないのは生徒のことを一生懸命考えていないからだと思っていましたし,物忘れが激しいのも自分の注意力不足だと思っていました。一言で言うと「努力が足りない!」と自分を責めていたのです。でも,今の養護学校に転勤してきて,自閉症やLD(学習障害)について勉強していくと,世の中には本当にいろんな特徴を持った人がいるんだなあと思えるようになったのです。また,いろんな人の中には自分と同じような脳の情報処理の欠点を持った仲間がたくさんいるということも知りました。
ある先生に,私は非常にLD(学習障害)的だと言われています。LDとは,おおざっぱに言えば脳の情報処理能力のアンバランスに起因する能力的偏りがあることです。LDの状態像は,情報処理能力のどこがバランスが悪いかによって様々で,読み書きが苦手だったり,話を聞くのが苦手だったり,運動が苦手だったり,あるいは他人の気持ちの理解が苦手だったりします。それらの状態は,もとをただせば脳の情報処理のどこかに問題があるということです。例えば,情報の入力に問題がある場合は,見たものを正しく認識できずに「E」と「3」を混同したり,「W」と「M」の区別が付かなかったりします。
そういう観点から自分を観察すると,私の場合は情報を総合的に処理する過程に問題があるようです。一つ一つのことを順番にやっていくことは得意ですが,例えば,やるべきことが重なってきたりするとどれを先にやればいいか分からなくてパニックになったり,一つのことをしているときに別なことを言われてもすぐに忘れてしまったりします。人の顔から名前という情報を引き出す作業も総合的な頭の使い方をしますよね。顔の映像が,その人にまつわるいろんな記憶を呼び起こして,その中に名前の情報も入っているのです。しかし,私の場合は,その人の顔の映像から,いろんな記憶を思い出すのは,なかなかたいへんな作業なのです。どうりで社会科が苦手だったわけです。年号を見ても,頭の中には何も浮かびませんでしたから…。また,理科や数学が好きだったのも,論理を一つ一つ追っていく方法論が自分に合っていたからなんですね。
自分の脳の情報処理の傾向を理解することによって,それまで「努力不足」と思っていた自分の欠点が,そもそもの脳力(?)の問題であるとあきらめがつき,自分を責める必要がなくなりました。できないのは仕方がない。じゃあ,それを補うように工夫しようというわけです。仕事がたくさんあってもパニックにならないように,私のパソコンと机の上には必ず To Do List があります。言われたことは,些細なことでも必ずメモするようになりました。
目が悪い人が眼鏡をかけるように,脳の情報処理に欠点がある人は,自分に合った補助手段でそれを乗り越えればいいのです。障害をもつ生徒と過ごしていると,障害というのが自分ももっている欠点をデフォルメ(強調)したもののように感じることがあります。多様な障害から逆に健常な人たちを見ると,どの人もそれぞれ得意不得意があって,脳が少しずつ違っているということがよく分かります。今の一般の学校では,そういう一人一人の違いに目がいかずに,すべて「努力」とか「やる気の不足」,あるいは「わがまま」などという見方をしてしまいがちです。周りがみんなそうだから,本人まで自分の傾向をありのままに受け止めて理解することができないでいるようです。それができれば,みんなもっと楽になるのに…。アメリカのある学校の教室には,次のような言葉が掲げられているそうです。
"We celebrate the difference."
"Everything on earth is different."
日本の子どもや教員の一人でも多くが,このことに気づいてくれたらと思います。
(おまけ)自分の脳の傾向に合わせて工夫すると言っても,突然の再会で名前を思い出せないという欠点への対処法はなかなか思いつきません。生徒名簿をいつでも持ち歩くというわけには行かないですから…。でも担任したクラスの生徒分ぐらいは持ち歩こうかな。
このごろ「市民」という言葉を考えていました。一人の人間を語るときに,特に日本では職業から入ることが非常に多いわけですが,それは先日もこの欄で書いた「組織に依存する精神性」と密接に関連しているように思います。そういう「組織」から離れた自分でありたいときに,自分をなんと語ればよいか?そう考えたときに頭に浮かんだのは「市民」という言葉です。
思考はこのあたりで止まってしまったのですが,今日の新聞(1999年2月11日朝日新聞朝刊)でいいものを見つけました。「久野収氏を悼む」という記事の中の佐高信氏の文章です。「徹底していた市民の精神」という題で,久野収氏を紹介しています。ちょっと抜粋しますと…
先生は代表的論文の一つである「市民主義の成立」で,市民を「”職業”を通じて生活を立てている”人間”」と定義する。そして,職業と生活は分離していることが必要であり,どこからどこまでが自分の職業で,どこからどこまでが自分の生活かがはっきりしているのが市民的人間だ,と説く。
多くの日本人は家や社会,さらには国家にからめ取られ,自閉症ならぬ「家閉症」や「社閉症」,そして「国閉症」を患っている。そうした傾向から自由な人間が市民なのだが,閉じた状況をどう開くか,それが先生にとっての生涯の課題だった。(中略)
対話を好んだということはナルシズムからは遠いということである。思想は事実によって検証されなければならないとし,観念の遊技を自らに禁じた。
佐高氏は自閉症を明らかに誤解していますが,それはひとまず置いておき,この文章を読んで「そうだ!」と強く思ったわけです。職業と生活が分離していて,考えや行動が職業やほかの組織から独立している人間−−−それが「市民」なんですよね。漠然と考えていたことがクリアになって,あースッキリした。それとともに,「市民」のありかたを追求し「対話」を重んじたという久野収氏にとても興味を持ちました。今度図書館に行ったときに,著作を探してみようと思います。(99/02/11 8:06)
横浜市立大学付属病院の患者取り違え手術事件について,1999年1月31日の朝日新聞朝刊が検証記事を載せています。それによると,これまでも全国の病院で患者を取り違えるというミスは何度も起きていて,ミスが起きた病院では対応策がきちんと作られているのだそうです。例えば,1992年に患者取り違えミスを起こした病院では,手術患者に識別用のネームバンド(血液型・ID・氏名・年齢・手術部位)を付けてもらうようにして,現在でも抜き打ちで現場を調べ,規定通りに付けてもらっているか確認しています。そのような前例が少なからずあるのに,別の病院では同じようなミスが起こってしまうんですね。よその病院で起きたことが,自分の病院でも起こりうるという発想がないのか,あるいは意識的に考えないようにしているのか。
柳田邦男氏は自著「この国の失敗の本質」の中で,失敗をいかせないという学習機能の欠落を日本の組織が持つ重大な欠陥だと指摘しています。その要因として柳田氏は精神主義をあげています。「失敗したのは集中力が足りなかったからだ」というようなやつです。精神主義を振りかざすことによって合理的な思考を駆逐してしまうというやり方は,確かに今の世の中でもよく目にします。だけど,私はこれも要因というよりは結果の一つかなあと思います。
私が思う「失敗に学ばない」わけは「過剰な組織防衛」です。組織が失敗に学ぶということは,組織の作り直しまたは解体を意味します。日本人は自分が所属する組織が変わったりなくなったりすることををとても恐れるんですね。問題が表面化したときの組織の振る舞いを見ると,それがよく現れていると思います。
1999年2月3日朝日新聞朝刊の「モノわかりのいい話」は,十年ほど前に話題になった駅や電車内での「過剰放送」についての現状リポートでした。駅での放送は,現在でも相変わらず多いですよね。「車内では携帯電話のご使用はご遠慮ください」「お忘れ物ございませんようご注意ください」「電車が到着します。白線までお下がりください」などはすぐに思い出せます。記事では過剰放送がなくならない理由について「放送強化を求めるお客様の声が多い」というJRの担当のコメントを紹介しています。それについて中島義道・電気通信大学教授(哲学)は「多くの乗客が過剰放送を望んでいるんです。配慮されることに快感を感じている。そしてこうした放送が『自分に責任を持たない社会』を助長しています」と指摘しています。
配慮の放送を求める人と過剰放送と感じてやめさせたい人と…。ここにも「依存する人」とそうでない人という視点が有効なようです。自分で考えれば済むことまで他人に指摘されることを望むというのは,やはり依存者でなければ理解できない感覚です。そういう人は,例えば忘れ物をしたときに「放送しないのが悪い」などと自分のミスを棚に上げて,自分が依存した相手を責め立てるんでしょうね。そういう人が多ければ,企業防衛として強制的にその場の全員に聞かせようとする放送が増えるのはしかたないでしょうね。まさに「依存文化」!(99/02/05 6:17)
余談ですが,自分のミスを棚に上げて依存相手を責めるというのは,私にも経験があります。例えば,学校に着いてからビデオの予約を忘れたことに気づいて母親に頼んだのに,家に帰ってから見ようとしたらうまく録画されていなかったときとか,母親に朝3時に起こしてと頼んだのに起こされなかったときなど。朝3時に起こしてと頼んでおいて,その時間に起こされたのに「なんで起こすの」と怒ったときもあります。ひどい子どもだ!母親にはずいぶん依存してたんだなあと改めて思ってしまいます。
昨日(1999年1月30日)の朝日新聞に,マウナケアの山頂に完成した望遠鏡「すばる」のファーストライトの画像が載っていました。国立天文台のホームページに行ってみたら,記者発表の資料がありました。ニュースや新聞で紹介された画像もあります【画像】。やはりTVや新聞で見るよりもずっときれいです。
ハッブル望遠鏡の時もまるで探査機から届いたような鮮明な画像に衝撃を覚えましたが,今回の「すばる」の完成によって地上から同じような鮮明な画像が得られるようになりました。20年前はバリバリの天文少年だった私ですが,当時はパロマ天文台の5m望遠鏡の画像が最新鋭でしたから,その後の探査機や新しい望遠鏡によって得られた鮮明な画像の数々には本当に感動してしまいます。宇宙への目はどんどん開かれていくんですね!
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昨年,流星雨の出現が予想されたしし座流星群の全天写真がここにあります。【しし座流星群の全天写真】4時間露光して撮ったとのことで,たくさんの流星が写ってきて見事です。ぜひご覧ください。
「甘やかす」という言葉と「甘えさせる」という言葉。この二つは似ているようで,実は全然違うものじゃないかと思います。不登校の生徒の親に,専門家という人が「甘やかしすぎだ」という指摘をしますよね。でも,その言葉は親に正しく伝わるのかなー。親は「甘えさせてはいけない」という意味でとらえてしまうような気がします。それでは,子どもの状態はかえって悪くなるんですよね。これら二つの言葉の意味の違いを私なりに解釈してみたいと思います。
新明解国語辞典(第5版)には「甘やかす」の意味として「度を越して甘えさせる」と書いてあります。そうすると「甘やかす」と「甘えさせる」は程度の違いということになります。しかし同時に「(狭義では,きびしくしつけず,わがままに育てることを指す)」という注釈も付いています。私の思う「甘やかす」は,こちらに近いです。ちなみに「わがまま」をひいてみますと「自分の思い通りにならなければ気が済まず,はた迷惑な行動をする様子」と書いてあります。
私が想定している「甘やかす」と「甘えさせる」のそれぞれの事例をあげてみます。
■甘やかす
■甘えさせる
こんなかんじです。
事例を考えていくと違いが明確に理解できます。私が「甘やかす」に抱いているイメージは,子どもの言いなりになっている状態,あるいは子どものご機嫌をとっている状態なんですね。それに対して「甘えさせる」のほうは,親の愛で子どもを包み込むというイメージです。
少し言い方を変えると,「甘やかす」=子どもの言いなりになる=というのは,子どもにコントロールされているということです。親の態度や行動を子どもが決めているということですね。逆に「甘えさせる」場合は主体は親にあります。子どもを受け入れるかどうかの決定権は親が握っているのです。
自分の行動を他人に決めてもらうというのは,もちろん「依存」の一つの形ですよね。不登校の原因の一つに家族内の共依存が関わっている場合がかなり多いです。そういう家族に専門家は「甘やかしてはいけない」と指摘するのです。それが「子どもにコントロールされてはいけない」という意味として理解されればいいのですが,そういう認識を持っていない人にそれを望むのは無理というものです。多くの人は専門家にそう言われて「甘えさせてはいけないんだ」と解釈するのではないでしょうか。
アドバイスの結果その親は,子どもにコントロールされている部分はそのままで,「甘えさせる」という大切なスキンシップを放棄してしまう。これでは専門家のアドバイスは逆効果です。自分の行動を誰が決めているのか,そういう考え方をしっかり身につけてもらうことからアドバイスをしなければいけないのだと思います。そこを端折ってダイレクトに「甘やかしてはいけない」と言うのは,専門家としてはちょっと認識が足りないかなと思うわけです。
大学院(修士)の卒業式には寝坊して行かなかった私も,成人式には出席しました。会場が寮から歩いて30分ほどのところだったので,いい天気の中を寮の仲間と歩いていったことを思い出します。もう10年以上前のことですが,仙台フィルハーモニーオーケストラの演奏を聴いて楽しかったのを覚えています。だけど,記念講演については誰がどんな話をしたのか,全く覚えていません。
今年(1999年)の仙台市の成人式では,遺跡の発掘で有名な吉村作治・早大教授が記念講演をしたそうです。しかし,新成人の聴く態度があまりにも悪かったので公演中に怒りだしました。話を聞かずに友達同士でおしゃべりしたり,携帯電話を使ったり,会場を出たり入ったり…。講演している吉村教授のことは,TVに映っているものか何かだと思ったんでしょうかね?「講演を聴きに来ているわけじゃない。友達に会いに来ているだけ。」という新成人の声が新聞に載っていました。それはまったくその通りで,そういう気持ちは分かるけれども,だったらなんで会場にいるんだい。聞く気がないなら外にいればいいでしょ?(寒いか…)
ところで,そういう態度の悪さってなにも新成人だけのことじゃないですよね。人の話を聞かないのは大人も同じだと思います。少なくとも私の経験上はそうです。自分に関係ないと思ったら,もう無駄話を止められなくなる大人の多いこと…。そういう人は,自分が話しかけた人が講演を聞いているということに気づかないんですね。もしかしたら,講演をしている人が今そこにいるんだということにも気づいていないのかな。
想像力の欠如,はたまた思考の欠如?一人対一人の時は周りへの気遣いを忘れない日本人が,どうして集団に埋没すると気遣いを忘れるんでしょう。私は,日本人がもともとは気遣いをしない国民なんじゃないかと疑っています。一人対一人の時の気遣いは,相手を思いやるというよりは自己保身のための戦略ではないかと思うのです。日本人は同質集団の中で自他の区別が付かないような状況を好みます。そういう価値観の中で生きていると相手に嫌われることを必要以上に恐れるようになります。はみ出したくないんです。だから,一人という弱い状況に置かれているときは,その保身のための行動パターンを選択する。一方,集団に属している安心感があるときには,外部の人間にはどんな仕打ちをしようが一向にかまわないのです。
「幸せ」って,なんでしょう?
そういう話をしているときによく聞く意見の一つとして「普通の生活を送ることが一番の幸せ」というものがあります。しかし,その一方で「毎日,同じ事を繰り返すだけの生活で一生を終えてしまっていいのか」という不安を抱えている人も少なくないようです。この二つはどう違うんでしょうね。「普通の生活」というときの「普通」ってなんでしょう。今回は幸せについて考えてみます。
もちろん,幸せについては人それぞれ思うものがあって,どれが正しいとか間違っているとかそういうものではありません。内容も,日常にあるささやかなものから何年もかけてつかみ取る大げさな?ものまでいろいろあります。対象だって,お金や物などの物質だったり,地位・名声などの他者からの評価だったり,あるいは山や海という場所やそこにいる時間だったり。
でも,もっと基本的な「幸せ」…というか私たち人間が産まれながらにして持っている「幸せ感」て何かなと思うわけです。たとえば身近な人を亡くした時などに,自分なりに納得したつもりになっていた「幸せ感」が揺さぶられてしまうことがあります。お金や物や地位,名声はあの世へ持っていけないんですよね。あの世にいかなくても,富や名声がある日突然失われてしまうことだってある。そういうことに気づかされるのです。自分の周りにあるものがすべてなくなってしまったときにも,自分にはこれがあれば幸せだと思える事ってなんでしょう?
自分の周りにあるものがすべてなくなってしまったときにも,これさえあれば幸せと思える事。それは他者との心の交流−−−コミュニケーション−−−じゃないかと思うのです。身近な人とのコミュニケーションがうまくいっていると,その人はその社会(集団)に所属している実感を持ちます。その一方で,コミュニケーションがうまくいかない人は,集団の中にいても気持ちが孤立してしまいます。みんなと一緒に生きているという感覚が,最も基本的な「幸せ感」であるような気がします。
はじめに書いた「日常を幸せと思える人と何か足りないと思う人の違い」というのも,このへんにあるのでしょう。毎日の日常が幸せって思える人は,家族や身近な人と十分に対話して,喜びや悲しみを分かち合っている人。そしてその人と一見同じような生活を送っていても「このままでいいのかな」と思う人は,身近な人と十分にコミュニケーションがとれていない人。
最近のニュースを聞いていると,コミュニケーションと生(死)とはやはり密接に関わっているように思います。先日話題になった自殺志願者たちのためのホームページもそうです。そのホームページの参加者たちの意見を聞くと,そこに参加している人の多くは他者と交流する唯一の場所としてそのホームページを活用しているようです。残念ながらホームページで交流しながらも死を選んでしまう人もいるようですが,その人だってホームページがなければもっと早い段階でこの世に見切りをつけていたかもしれません。マスコミは「インターネットによって自殺に導かれた」と言っていますが,その考えはやや特殊な断面から判断した偏った考えだと思います。それから,今日は阪神大震災が起こってから4年目の日ですが,相変わらず仮設住宅での老人の孤独死がなくなっていないとか。ここにもコミュニケーションと生(死)の問題がありそうです。
こんなにたくさんの人が住んでいる日本で,他者との交流がない人がいるなんて寂しいですね。でも,ニュースに出てくる孤独はそれこそ実態の一部を切り取った特殊な断面なんでしょう。孤独な人は,周りをみわたせばいくらでもいるんじゃないでしょうか。コミュニケーションが不足している人って,そんなに少数派じゃないような気がします。孤立している人同士を結びつける何かが,今の日本に欠けているのでしょうか。あるいは,孤立していながら,それに気づかない人が多いのでしょうか?
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究極の幸せは「コミュニケーション」という話の続きというか番外編というか…。日頃不思議に思うのは,メールや掲示板(パソコン通信で言えば会議室)でのコミュニケーションの親密性です。
会ったこともない人と,文字だけでいろいろなやりとりをします。そして時にはオフライン・ミーティングをやるから実際に会おうかという話になります。実際に会って話をしてみると,初めてあったはずなのにものの数分で旧知の親しい友人と話しているような安心感を感じるのです。オフに参加する人は必ずそのことに感動してオフの魅力にはまるんですけど,これってなぜでしょうね。
参加者が共通の話題や好みを持っているというのも重要な原因の一つだと思いますが,もっと大事なことはメールや掲示板でのやりとりの中で知らず知らずのうちに気持ちのやりとりをしていることだと思うのです。文字だけのやりとりですから,思ったことや感情は必ず文字にします。面と向かって話すときは雰囲気や表情でいろいろな気持ちを表現しようとしますが,そういうことをいちいち文字にしないと伝わらないわけです。文字になってはっきりと相手に伝わるから,かえって面と向かって話しているときより感情が伝わりやすいんじゃないでしょうか。
もちろん面と向かって話しているときにも,自分の感情を相手に伝えることはできます。でも,それを雰囲気や表情でやると曖昧だし,かといって言葉にして伝えることはなかなか難しいですよね。ところが,メールだと恥ずかしいという気も起こさずに素直に感情が表現できるわけです。私とAldoは時々メールを交換します。毎日同じ屋根の下で暮らしているのですが,メールで会話するとやはり素直にいろんなことが書けます。また,実家の母親ともメールでやりとりするようになって,親密度が増したように感じています。
文字で伝えるという意味では,はがきや手紙と一緒なんですけど,メールはスピーディーで手軽。おまけにコスト的にも安心です。電子ネットワークのコミュニケーションは,孤独な日本人を救う強力なツールになりうると思います。
うー,寒いですね。仙台でも昨晩から細かい雪が舞っています。道路も白くなりましたが,凍結はしていないみたいです。みなさんのところは,いかがですか?
高校卒業までは山形県鶴岡市に住んでいましたが,数年に一度ぐらい豪雪になる年がありました。たくさん雪が降ると,玄関の前に高い雪の壁ができます。除雪車が積み上げていった路肩の雪のせいなんですが,2階にあがるぐらいの高さの雪の階段を乗り越えないと道路に出られないのです。車もその雪に埋まってしまうので,毎日除雪が大変。また,高校時代,学校にはバスで通っていましたが,車が何台も吹き溜まりにつっこんで動けなくなって渋滞になり,いつもなら20分で帰れるところを2時間以上バスの中で過ごしたこともありました。バスのエンジンはかかっていて暖房は入るのでそれほど寒くはないのですが,それでも何人もの人がトイレに行きたくなって,付近の民家のトイレを借りたりしていました。
それから,小学校時代の通学も忘れられません。小学校の時もやはり路線バスで通っていたのですが,その路線は途中から(距離的には学校と家の真ん中ぐらいで)消雪道路ではなくなってしまうのです。みなさんは消雪道路をご存じでしょうか。道路のセンターラインから温かい水が小さな噴水のように出てきて,それで路上の雪を溶かす装置です。このおかげで道路の雪は解けるのですが,道路はいつも大雨が降ったようにビシャビシャになります。私たちはその小さな噴水に雪の固まりを乗せて,雪を貫いて噴水が復活する様子を見て楽しんだりしていました。その消雪道路が途中で終わってしまうために,そこから先の道路は圧雪でしかもすごい凸凹になっていて,バスがまるで暴れ馬に乗っているかのように揺れるんです。それでも普段の日ならそのまま乗せていってくれるのですが,吹雪の日は危険だからといってそこでバスは終点。私たち小学生は途中で降ろされてしまうのでした。
吹雪がまた,半端なものではありません。数m先が真っ白で何も見えません。降ろされるところは盲学校前という停留所でしたが,そこから目の前にある盲学校の校舎がほとんど見えないんです。小学生たちはお互い迷子にならないように,6年生を先頭と後尾にして,真ん中に低学年の児童を歩かせ,徒歩で40分程度かかる道のりを歩いて帰ります。風は主に西から吹いてきます。風に押されて道路の真ん中のほうに行かないように踏ん張って,時々正面から吹いてくる風で前に進めなくなったりしながら,励まし合って帰ったものです。家に帰ると笑われます。だって,体の半分だけ頭から足の先まで真っ白なんですよ(それほど風が強い)。手や顔の感覚はすでに麻痺していて,髪やまつげも雪で固まっています。ストーブにあたって手や足を暖めると,収縮した血管に突然大量の血液が流れ出すからでしょうか,手が破裂するような感覚になりジンジンとしびれてきました。
最近は,鶴岡でもめっきり雪が少なくなりました。仙台でももちろん吹雪の中を歩くという体験はできませんので,豪雪体験は懐かしい思い出です。
絶対に譲れないところと,譲ってもいいところを正しく線引きするのは難しいのかもしれません。イラクの人道援助に携わる英・米国人を交代させてほしいというイラク政府の要請を,国連が拒否したというニュースを聞いて思いました。せっかくイラクが態度をやや軟化したのに,それを突っぱねるんですねー。今,私たちがイラクに対して望むことは,査察の受け入れにつきるんだと思いますが,国連の決定は,査察と直接関係ないところでもイラクの思い通りにはさせないぞという強硬路線ですね。少しでも相手を喜ばせたくない。体面重視の感情的選択だと思います。でも,そうやって何でもかんでもやっつけていって,相手が主張を翻すなんて事になるんでしょうか。ますます深みにはまっていくような気がするんですけど。むしろイラクの言い分を少しずつ認めていきながら,同時に交換条件としてイラクにも責任を負ってもらうというやり方のほうが解決は早いんじゃないでしょうか。最も重要なことは何か?と考えるとき,譲歩できるものとできないものが,分かれて見えてくるのだと思います。いろんな事をいっぺんに望んではだめです。二兎を追うものは一兎をも得ずと言うではないですか。
ところで,こういう問題は教師もよく直面します。問題行動を小出しにしながら,生徒はいろんな要求を教師に突きつけてきます。ややもすると,教師はそのすべてを「却下」してしまいます。しかし,その時に最も大事なことは何かと考えてみると,結構不必要なところまで禁止しているんじゃないかと思います。すべての要求を突っぱねることで互いに得るものは,不快な感情だけじゃないかと思うんですよ。
生徒が何かにへこたれているときの,教師の声がけってどんなでしょう。
まあ,いろいろありますね。で,私が思うのは,その前にひとこといるんでないの?ということです。教師には「そうだね,たいへんだね」という言葉を最初に言ってほしいです。へこたれている生徒がグチを言いにくるのは,自分のめげそうな気持ちに共感してほしいのであって,アドバイスは二の次でいいのです。
まあ,そう言うのは簡単ですが,教師にとって「アドバイスしない」という態度を貫くのは至難の業です。生徒の話を聞いていると,どうしてもアドバイスしたくなります。これは職業病かもしれませんね。上に書いたように,アドバイスにもいろんなバリエーションがあります。下の二つは問題外としても,上の二つは使うことが多いんじゃないでしょうか?でも,共感的な雰囲気の中でのそういうアドバイスならまだしも,教師対生徒という対立関係(=学校内でのごく普通の両者の関係)の中で「気にするな」とか「がんばれ!」と言われても,へこたれている生徒の勇気を喚起するのは難しそうです。
ところで,アドバイスはうまくやらないと,相手を操作することにつながります。自分の理想とする型,あるいは自分の考えるやり方に,生徒をはめ込んでしまう可能性があります。それは「コントロール」ですね。コントロールされることを嫌がる生徒は自分から離れていきます。これは問題なし。しかし,生徒の中にはコントロールされたがる生徒がいます。そういう生徒は教師にコントロールされることで依存的性癖をさらに強めていき,やがて共依存的社会の立派な一員になります。これではいけません。
私は生徒を操作(コントロール)したくありません。だから,共感することに専念しようといつも思います。思っていてもそうできないときも,あるんですけど…。
スポーツ新聞はめったに見ないのですが,たまたま見たスポニチ(平成10年12月31日)を読んで「やっぱりね」と思ったことがあるので紹介します。
その記事は「スポニチ徹底追跡」というシリーズ記事で,その日は能代工のバスケットボール部についてでした。題して「人口5万5千人の篭球王国能代」です。記事の中で前監督の加藤廣志氏は,能代工の強さの秘密の一つとして卒業式直前まで練習に参加する3年生の存在をあげています。個人のレベルアップと同時に後輩の指導をするのが最大の目的で「人間は教える立場になったときに最も成長する。新チームの成績ではじめて3年生は評価されるんです」とのこと。
先日AAの12のステップを紹介したとき,「教えるということが相手のためだけではなく自分に返ってくるものだということを,私は再認識しました」と書きましたが,まさに同じ事を加藤氏は感じ,そのように生徒を指導したんですね。その結果が,全国制覇50回という常勝能代工の誕生となるわけですから,自分の考えが裏付けられたようでうれしいです。「人間は教える立場になったときに最も成長する」というこの言葉を忘れないようにしようと思います。しかし,学校での授業の場面で,この事実をどのように活かしていくことができるでしょう。生徒が互いに教えあえるような場面設定…いいアイディアないかな。
1999年が始まりました。仙台は雪景色のお正月です。
Sphinx家にとって,この1年は二つの大きな行事があります。一つ目は7月に予定されている赤ちゃんの誕生,もう一つは家の新築です。どちらもその後の人生に大きな影響のある出会いですから,今年1年は変化の年といっていいでしょう。
Sphinx個人では,二つのことに取り組んでいくつもりです。一つ目は家事と仕事の両立,もう一つは自分の勉強をがんばることです。
家事と仕事の両立というのは,要するに仕事をしすぎないということです。昨年は,学校の自主公開研究会の係をしていたこともあって,プライベートの生活リズムをかなり崩して仕事をしてしまいました。今年は仕事は勤務時間内で済むように努力したいです。そして,その余裕ができたプライベートの時間で,効率よく家事を済ませて,自分のやりたい勉強をたくさんしたいです。いまの私の興味は,
(1)共依存という視点から日本社会のありようや子どもの行動について考えること。
(2)「対話」という視点から教育のあり方について考え,行動すること。
(3)行動分析学の基礎をしっかり学び,日々の指導にいかすこと。
この3つです。勉強の過程をこのホームページで紹介しながらやっていきたいと思います。