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 防災教育の日常化(全知P連連絡協議会)2/7

■ 研 修 会:第15回全国都道府県PTA連合会代表者連絡協議会
■ 日   時:2014年11月30日(日) 9:20〜11:50
■ 内   容:防災教育の日常化
■ 講   師:山口裕之(宮城県立光明支援学校・教諭)

防災教育は「生きる力」の教育

【1】から続く

2 防災教育は「生きる力」の教育

ここからが本題です。東日本大震災の体験から気づかされたことは,防災教育が「生きる力」の教育だということです。

しわ寄せは弱いところに 障害者の死亡率は2倍

災害時には,しわ寄せがどうしても弱いところにいきます。障害者の死亡率は2倍。過疎・高齢化・貧困化…東北の沿岸部では震災前からこういう問題がありましたが,震災でさらに加速しています。障害者・高齢者・低所得者…いわゆる災害弱者と,そうでない人たちの格差が拡大しています。それは「生きる力」の違いが拡大されていると言い換えることもできます。

防災能力を高めるのに一番なのは防災教育?

ところで,皆さんにひとつ質問を。「児童生徒の防災力を高めるために一番大切なのは防災教育か?」,イエス/ノー,いかがですか? 敢えてこう聞くと言うことは…そうです。私はこの問いにノーと答えたいのです。防災教育の話をしているのに,防災教育が大事ではないとはどういうことか。それは自分の被災体験から出てきた気づきです。

震災時の体験からの気づき

被災してみて感じたこと

私は3月11日の2時46分,体育館で卒業式の後片付けをしていました。そこに緊急地震速報,そして大きな揺れ。すぐに安全なところに避難して揺れが収まるのを待ちました。最初はまだ判断力があったと思います。しかし,いつまで経っても揺れは収まらず,次第に頭がボーッとしてきました。そして,長い揺れが収まったときにはもう思考力はなくなっていました。

とりあえず揺れは収まったけどこの後どうしたらいいかまったく分からなくて,みんなでトボトボ職員室に戻り,ぐちゃぐちゃになった机の周りを片付けはじめました。そして「余震があるから校庭に避難」と指示されて初めて「あ〜そうか…避難しなくちゃ」と。

災害が起こったら頭を緊急モードに切り換えなくてはいけないのに,思考力や判断力が奪われて日常のままボーッといつもやってることをしてしまうものだと痛感しました。

逆にいつもやっていたからできたこともあったんです。地震が来たら机の下にもぐるということ,これは文科省の調査でほとんどの子が東日本大震災でできたということが分かっています。いつもやっている避難訓練の成果が出たわけですね。

思考力はゼロでも日常生活の中で繰り返しやって体が覚えていることはできる。逆に緊急時にやろうと思っても,やってなかったことはできない。緊急時にできることは日頃いつもしていることだけだ。これが一つの気づきでした。

もう一つは,災害時に求められるのが「生きる力」だったということ。学校教育の文脈で「生きる力」と言った場合,それはある特定の意味を持ちます。文部科学省が学校教育の目指すところとして,この「生きる力」という言葉を使っています。皆さんのお子さんが通っている学校でも,この「生きる力」を育むために毎日の授業を行っています。

生きる力

「生きる力」とは具体的には

の3つの要素から成り立っています。それぞれの要素について,詳しくはこの辺りを参考にしてください。

地震の瞬間からその後の被災生活までを振り返ってみると,一寸先は闇,明日何がどうなっているかわからない。そういう状況でした。津波や余震はもちろんのこと,ライフラインが途絶して食料はないガソリンもない,原発事故で放射性物質が降ってくる。事態が日々刻々と変わっていきました。そのような状況に対応するためには、

つまり,ここにある「生きる力」の3つの要素がすべて大事だったのです。災害のときは,災害に対する知識だけではなく,体力や人間性も含めて人間としてのすべての能力が試されるんだなと分かりました。つまりそれは防災教育という時間の指導で育てるものではなく学校教育すべてなんです。私が先ほど「防災教育が一番大事なのではない」と言ったのは,そういうことです。

防災教育の氷山モデル

防災教育の氷山モデル

それを図にしてみたのが,この防災教育の氷山モデルです。 氷山というのは,浮いている部分が全体の1/7で,ほとんどは海面下に沈んで見えないんですね。防災教育にも,見えやすい部分(海の上に出ている部分)と見えにくい部分があるというわけです。見えやすい部分は,災害についての知識や災害時の行動について学ぶもので,避難訓練も含めて私たちが普段「防災教育」と言っているものです。

見えにくい部分に何があるか。普段は防災教育と意識してやってはいないけれども,災害時にはそれが自分の命を守るための力となるものです。この部分は特段授業として時間を取って学んではいないわけですが,毎日の学校生活や家庭生活の中で知らず知らず学んでいる部分です。

この氷山モデルに「生きる力」の3つの要素を大ざっぱに当てはめれば,水面から上が「確かな学力」,水面下が「豊かな人間性」と「健康体力」にあたります。防災教育を広くとらえていけば,それはすなわち「生きる力」の教育であり,学校教育全体で行われているものだということです。

さあそうすると,この問いへの答えはどうなりますか?

東日本大震災の前,学校では防災教育をしていなかったのか?

防災教育を広く「生きる力」の育成ととらえると,これはNO(=していた)です。「防災教育」という時間での授業はあまりしていなかったとしても,災害の時に必要な力の育成は毎日の学校生活の中である程度育まれていたのです。

普段の学習の中にある防災教育

今まで防災と思ってやっていなかったけど,考えてみるとこれも防災教育という例をいくつかあげてみます。

普段の学習の中の防災教育

朝のランニングは生き延びるための体力を育むもの。岐阜県立可茂特別支援学校では,小学部の子どもたちが 毎朝「命を守るリズムランニング」(←YouTube)という活動に取り組んでいます。ランニングの中にいろんな体の動きを取り入れて,その中に地震が起こったときに身を守るダンゴムシのポーズや,先生のうしろに一列に並んで歩く動きも入っています。日常の学習の中にさりげなく災害時の準備がされている例です。

給食でいろんな食べ物を食べられるようになっていると,配給をもらったけど食べられなかったということを減らすことができるかもしれません。着替えを早くできると,素早い避難や行動ができます。例えば防寒着をさっと着られると,寒い外にもすぐに避難できます。

野田村保育所の早足散歩は,日常の中の防災教育として一番いい例だと思います。海岸から400mの場所にあったこの保育所では,震災前から高台の避難場所まで避難経路をお散歩コースにして,早足で歩く散歩をしていました。高台の避難場所まで行くので,坂道を登ることになります。これは,子どもたちにとっては体力をつけることと,避難経路に親しむという意味がありました。先生にとっては,災害時にどれくらいの時間で子どもたちが避難できるかを知っておくという意味がありました。時々経路を変えて最短のコースを探していたそうです。

東日本大震災の当日,この保育所では午後3時から避難訓練をすることになっていました。いつもより早めに昼寝から起こして着替えをさせていたところ,2時46分に地震発生。海岸から400mの園舎は津波で全壊しましたが,100人以上の園児と保母さんはいつものように早足で避難し,津波から逃げ切って全員助かりました。

まとめ

防災教育は防災の授業だけでおこなうのではなくて,学校の教育全体で行っていくものだということをお話しました。

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3 日常化とは習慣化


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