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 防災教育の日常化(5)

■ 研 修 会:第3回東金地域防災教育ネットワーク会議
■ 日   時:2013年 8月22日(木) 15:00〜17:00
■ 内   容:防災教育の日常化
■ 講   師:山口裕之(宮城県立光明支援学校・教諭)

家庭の日常防災

家庭の日常防災

東日本大震災はレアケースです。ギリギリ学校管理下の時間に起こったために多くの子どもたちの命が救われました(たいへん残念ながら救えなかった命もありました)。最悪は午前2時ごろでしょうか。もし,東日本大震災が真夜中に起こっていたら,犠牲は2万人ではなかったはずです。地震の発生時間で生死が分かれるのです。

いずれにしても,学校よりは家庭で地震にあう可能性がかなり高いので,家庭も防災意識を高めていくことが必要です。家庭でも「日常性」という切り口で防災を考えるとどうなるでしょう。

わが家の耐震性

でもその前に,地震で家が倒壊しないことが一番大事です。こちらの映像をご覧ください。

【Youtube】Shaking Table Test on Conventional Wooden House (1)

これは同じ間取りの古い住宅をもってきて,片方には耐震補強をして,もう片方はそのままで,同時に阪神大震災と同じ揺れを与えたときの映像です。耐震補強をしていない住宅は,あっと言う間に倒壊してしまいましたね。

昭和56年6月より以前に建てられた建物は,今の耐震基準を満たしていません。もし,皆さんのお住まいの住宅が,それ以前のものだったら,すぐに耐震診断をしてください。災害で一番先にやることは,揺れている数十秒間を生き抜くことです。家が倒れてしまうと,それがとても難しくなります。耐震診断と耐震補強によって,古い家でも倒れない家にすることができます。

家庭の日常防災

トイレにて

背浮きの図わが家のトイレには,背浮きのやり方の図が貼ってあります。松島の小学生が,一度津波に飲まれてから背浮きをして生還したという記事を読んで,うちの子どもたちにも伝えたいと思いました。どこがいいかなとしばらく考えて,出てきた答えはトイレです。ここなら毎日何度も見ますからね。

キャンプ

被災生活これは震災から三日目の写真です。ランタンやランタンスタンドは,物置から持ってきたキャンプ道具です。この他にも,寝袋やキャンプ用のストーブなど,被災生活ではキャンプ用品が大活躍しました。

キャンプ生活では,ライフラインはいりませんね。被災生活そのものです。キャンプによくいく家族は,被災生活も慣れたものです。

身に付ける防災グッズ

身に付ける防災グッズこれは私が日常,常に持ち歩いている防災グッズです(二袋のうちのひとつ)。防災の備蓄は3つに分けて考えるのがいいんですね。

  1. 家庭での備蓄:一週間,持ちこたえること。
  2. 職場や学校での備蓄:数日間持ちこたえるための水食料と衣類,徒歩で自宅に帰るための装備。
  3. 身に付ける防災グッズ:外出先から徒歩で帰宅するための最低限のグッズ。

私はこの「身に付ける防災グッズ」を学校で仕事してる間も持っています。寝るときは枕元に置いてあります。

地域の行事への参加

被災生活で,一番頼りになったのは地域の人でした。地域の人と仲よくなっておくのはとても大事な防災活動です。特に,災害時要援護者を抱えた家族は意識しましょう。

食品のローリングストック

被災生活のような非日常で一番安心できるのは,「日常」を感じられるときです。食事で言えば,特殊な非常食より,食べ慣れた保存食を食べたほうが,ずっと心が落ち着きます。自家発電装置が,出してみたら故障という出来事がありました。非常食を出してみたら消費期限切れ…ということもありますね。ローリングすることで,期限切れにもなりにくいし,日常食べ慣れている食事ができます。

結論より議論が大切

結論より議論が大切最後の話は,話しいで大切なことは,結論ではなくて議論(話し合い)そのものなのだという話です。私はずっと結論に意味があると思っていたので,震災後に何人かの校長先生や園長先生に体験を聞いて学んだときに,すごい衝撃を受けました。

南三陸町立戸倉小学校

戸倉小学校の例戸倉小学校は,津波の危険区域に建っています。校長先生は,転勤してすぐに,津波が来たときにどうするかと考えました。もし宮城県沖地震が起こった場合,専門家によると3分で津波が来る可能性があるということでした。一方,子どもの足で近くの高台に行くには10分かかることが分かっていて,高台までの道の途中で津波に襲われてしまう危険があります。また,チリ地震津波の時は,校舎の1階が津波に浸かりましたが,2階以上は無事でした。

この状況で,校長先生は,屋上避難にするべきと職員会議で提案しましたが,先生方は「津波は昔から高台避難」と言って譲らなかったそうです。屋上ではそれ以上逃げられない。高台ならもっと上に逃げられる。先生たちはそう主張しました。2年間にわたって何度もその件で話し合いを続けましたが,結論を得ないまま3・11を迎えます。大きな地震の後,校長先生は,それまでの自分の考えをくつがえして高台避難を指示しました。高台から見ていた学校の校舎は,屋上まで完全に水没したそうです。

このように,選択肢が2つあって,どちらをとっても危険はゼロにならないというケース。災害時はそういう場面の連続でした。でも,どの校長先生も,ちゃんと正しい判断をしているんですね。戸倉小学校や他の学校の校長先生の話をうかがった時,災害のただ中で正しい判断ができるかどうかは,それまでの議論や準備の積み重ねにあるんだなと強く感じました。結論は出なくても,教職員でいろんなケースをイメージしながら議論しておくことが,瞬間の判断の下地になるのです。

また,話し合いの中で,津波から逃げる際に持っていく物が決まっていきました。具体的なイメージを共有して話し合うことで本番に向けての準備が整っていく。そういう状況のなかで,3・11を迎え,ギリギリのところで子どもたちは,全員生きのびることができました。

気仙沼市立一景島保育所

気仙沼市立一景島保育所同じようなことを,気仙沼市立一景島保育所の所長さんの話をうかがったときにも感じました。

保育園は海から300m,津波で園舎は全壊,流失してしまいます。園児71名と先生たちは,揺れが収まって近くの気仙沼中央公民館に避難。津波は公民館2階の天井まで押し寄せ,震災の夜は周りが火の海になりました。子どもたちは屋根にのぼって火責め水責めを耐え,わずかな備蓄食料で二晩しのいだすえに無事救出されました。

この保育園も,いつ津波が来ても対応できるよう,さまざまな場面を想定して職員で何度も話し合いをしていたそうです。散歩中だったらどうする? 午睡中なら?(3・11はまさにこの午睡中の時間でした) プールに入れているときだったら? などなど。

その話し合いの中で,「保護者がこの保育所に迎えに来たら危ないよね」という声があがったそうです。そして「保護者は地震後に迎えにこない」という約束を震災前に作ったんです。震災後にそういう話はよく聞きました。でもこの保育所では震災前からそういうルールにしていたんですね。すごい,と思います。真剣に話し合うと,そういうことが見えてくるんですね。

それは防災教育にも言えるはずです。職員同士は防災管理について話し合い,子どもたちは,防災教育の中で話し合う。知識を吸収するだけでなく,あーでもない,こーでもない,と話し合う防災教育に意味があるんじゃないかと思っています。

おわりに

防災主任の学習室最後に,防災主任の学習室というホームページを紹介します。私が日々,防災について学んでいることの一部を,チマチマと紹介しているページです。忙しくてあまり更新できてはいませんが…。今日の講演資料も載せますので,あとでどうぞ見に来てください。

おしまいこれで,今日のお話はおしまいです。ありがとうございました。

 

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