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共同研究係だより【別冊2】

テピくんの指導報告書(in U.S.A.)


 共同研究係だよりの別冊1「自閉症児をつれてアメリカへ」では,日本からアメリカに渡った自閉症児テピくんのご両親が記録した,IEP資料の作成のプロセスやテピくんの学校生活の様子を紹介しました.今回の【別冊2】で紹介するのは,テピくんが1年間のアメリカ滞在を終了するにあたって,担任が書いた「指導報告書」です.この報告書には,これまでの指導内容とその根拠,指導の結果(評価)などが概括的に書かれています.この具体的で明解な報告書は,私たちが「評価」について検討する際に,とても参考になるものだと思います.なお,詳しい指導内容(IEP)とそれについての評価は,この「指導報告書」とは別にまた存在します.


【資料の出典について】

 この文章は,佐藤裕さんのホームページ「HAPPY TEPPY−自閉症のままで−」から,許可を得て転載したものです.


 帰国前、テピの担任の先生は、この1年間の学校での指導経過報告とIEPの評価、さらに詳しいアカデミックな学習内容の一覧を私に託した。特に経過報告の方は、今まで私が書いてきたテピの学校についてさらなるに理解の助けになると思ったので、そのままここに掲載する。

 なおこの報告内容は学校で行われてきた指導の一部分であることをご了承頂きたい。

 テピは日本の役所では、書類処理上必要なので、やむなく知能指数20程度の値を頂いている。太田のステージでいうとI-3からIIの始めぐらいの値だと思っている。著しい精神遅滞と自閉症を合わせ持つ子供だ。(12歳現在)

 この報告書を書いたのは20代後半の若い男性教師である。


マディソン教育区特殊教育サービス経過報告書

【プログラムの説明】

 テピはショウウッドヒルズ小学校に転入後、認知障害を持っている子供たちとのwide range classroom で学習してきた。テピのプログラムは自閉傾向を治療するための特別な活動(specificactivity)と結びつけられた学習スキル(acadimicskill)で構成されている。彼は自分が属する教室だけでなく、統合的な場面でも活動した。

 彼は朝のホームルーム、美術、音楽、体育、その他の行事の度に普通学級に参加する機会を与えられた。彼はまたレストランやスーパーなどで地域活動に視点をおいた指導も受けた。そこでコミュニケーションシステムやトーキング・コミュニケーターを使用して、注文する方法を学んできた。また、市バスに乗り、月2回プールに通い、バスの乗り方を学んだ。

【カリキュラム】

 テピの指導は次に挙げる領域を基本とした。

  1. 感覚統合
  2. 模倣スキル
  3. 目と手の協応スキル
  4. 視覚、聴覚の知覚スキル
  5. 認知スキル

 上に挙げたプログラム領域はすべて自閉症に関する研究と多様な幼児期早期への介入法から取り入れられた。エリコ(テピの母親)には毎日テピとおこなった特別な活動(specific activity )の概略を説明した。

1.感覚統合

 テピはここショウウッドヒルズ小学校で様々な感覚刺激を受けた。彼は感覚的なアプローチにとても良く応じたと思う。転入当初、テピは10分単位の学習しかできなかった。10分セッションが続けられている間、一日を通して彼の取り組みには、むらがかなり多かった。多くの感覚刺激を受けたあと、テピは課題に集中するようになったように思われる。彼が課題に向かっている間のattentionspanは平均3〜5秒から、9〜12秒へと長くなった。感覚刺激は一日に20分おこなわれた。彼は朝来ると、すぐに外へ出て、学校の周囲を一周、走った。それからもう一周は、運動能力へ関する課題として、スキップ、跳ねる、飛ぶ、すり足、あるいは直線の上を歩くなどの課題をおこなった。私たちの一日はこうして始まったが、これは心拍の増加とattentionspanには直接相関があるという研究に基づいている。テピの一日もそうして始まり、20分間活動した。5分から10分の休憩の間、手足を外科用の手洗いブラシで擦った。手足それぞれ2分ずつおこなわれた。その他休憩の間には、テピはトランポリンで飛び跳ねるか、据え付けの自転車に乗らなければならなかった。彼は一日中、長時間座ることは許されなかった。なぜならテピは長く座っているほど、不活発になり、反応性が落ちるように思われたからである。彼は、他に粘土、プレイ・ドウ、セラピー・バンド(therapy bands)、よく弾む大きなセラピー・ボール(therapyball)で遊ぶ機会も与えられた。上記のアイテムは、テピが周囲の状況との関係を維持するために、一日を通して有効的に使われた。テピは、ほったらかしにされたり、感覚的な働きかけ(sensory activity)で彼のエネルギーを集中させていないと、自己刺激的な行動に没頭してしまう。これは激しく手をひらひらさせたり、顔を叩いたり、自分の目で遊ぶようなこととして現れる。

2.模倣スキル

 テピの模倣スキルはかなり限られたものである。この能力はもっと伸ばしていかなければならない。模倣スキルは学習の基本である。子供たちは模倣ができないと、学習することができない。自閉症児は健常児のようにこれらの能力を身につけていくことがないので指導していく必要がある。こういう基本的な模倣スキルは、手拍子や色々な言語訓練のような、単純で直接的に行動を繰り返して真似ることである。模倣行動は動機付け、記憶、連結した筋肉の動き、筋肉と手の協応といった多くの要素の発達をももたらすものである。

3.目と手の協応

 自閉症者にとってスキルを統合していくことはとても難しい。テピにとってもこのタイプの課題はかなり困難だった。テピは微細運動スキルはよいものを持っているが、目と手の協応スキルはかなり低いものである。この領域を強くするために微細運動、目と手の協応、色々な知覚的課題がテピにおこなわれた。テピはクレヨンを握り、自由に殴り書きはできるので、私たちは彼に枠の中に色を塗らせてみた。また、彼の先生やアシスタントが書いた簡単な形を真似させてみた。紙と鉛筆の課題はテピにとってかなり難しいものであった。

4.視覚認知と聴覚認知

 テピは環境からの感覚的な情報を統合して、状況を正確にとらえることが難しい。テピのプログラムでは、聴覚と視覚面に重点をおいた。それはそれらが認知機能に密接な関係があるからである。テピは、何を視覚的な手がかりとしていくか学習する経験がもっと必要である。また聴覚的な情報で行動する経験もたくさん必要である。私たちとテピの間で行き着いた問題は言語の壁に関することであった。彼は英語での指示を学習しなければならなかった。ここでの学習は言語の壁がなければ、もっとうまくいったと思う。これらの治療的な関わりは日本語でおこなうとうまくいくかもしれない。

5.認知能力

 テピはこの領域では以下のことをおこなった。

 (1)コミュニケーションにおける symbolic units の理解

 (2)分類、マッチング、および配列課題

 コミュニケーションの壁を作らないように、言葉を基本としない働きかけを精一杯おこなった。認知課題は物のマッチングや組合せ、絵や物の機能別分類、日常的な活動の順序立てへの試み、学校や家でよく使うものの分類などに集中した。

 他にテピに対して、コミュニケーション・システムを発達させることに関して精一杯働きかけた。メイヤー・ジョンソンが書いた線画を使い、学習上の指示、量の概念、前置詞、日々のスケジュール、感情表現やものごとを選択することなどを教えようとした。このようなコミュニケーションにおいては重要なことに関して、まったくうまくいかなかった。彼が自発的に使用できるコミュニケーションシステムがあると有益であろうと思う。しかし、また言語の壁は高かったようである。テピは身体的なコミュニケーションとは違った方法を使って自己表現することを学ぶ必要がある。これは日本語でなら可能かも知れない。コミュニケーションというのは大変難しいものだった。

【まとめ】

 テピは12歳で、1995年11月にショウウッドヒルズ小学校へ入学してきた。非公式なアセスメントと観察によると、彼の認知発達は全体的に4歳レベルくらいである。彼の自己刺激的行動は新しい情報を得たり、日常的に行動することの妨げとなっている。テピの自己刺激的な行動の量と強さが、評価担当者の関心を引いた。昨年の2月から5月の間に、これらの行動が減少したことを報告した。その際に、彼に手でこすったり、握れるようなものを持たせることで、より方向付けしやすくなった。しかし、長い夏休みが明けて新年度を迎えると、自己刺激的行動の量や強さを制限することはほとんどうまくいかなくなっていた。これは私たちにはどうにもならないこと、すなわちスタッフの交代、教室の移動、日本への帰国が差し迫ってきたことなど、環境の影響によるものだと思われる。この影響のため、彼はまだ安定したレベルまで回復していないと思う。また、私たちの指導は、言語の壁との戦いをする必要がなければ、もっとうまくいっていたと思う。私たちのおこなったことを母国語でやったら、テピはどのように対応するか見てみたい。自閉症であり、英語が第二外国語であるということは、乗り越えることが大変難しい壁であった。

マット・トンプソン

認知障害専門の教員

ショウウッドヒルズ小学校

マディソン教育地区


 以上です.

 一読して,みなさんは次のような感想を持ったのではないでしょうか?

 次回の授業研のテーマは「評価」です.評価についての話し合いが,そろそろ各学部で活発になっていくと思います.その際,このテピくんの「指導報告書」を参考資料としていただけると幸いです.それに付け加えて,評価に関してこれから話題になっていくであろうことを,下記の補足の中で簡単に説明します.

【評価についての補足】


評価は親に公開されるべき資料である

 「評価」の文章は,今までは親に公開しないことを前提で作成してきましたが,今後は親に公開できるような書き方を検討する必要がありませんか?


 今まで,指導内容とその結果については,「光明のくらし」という文書を通じて行ってきました.これには,できたことを書くという了解事項がある上,書く欄がとても狭いので,具体的な「評価」は書けませんでした.どんなことを書いているかというと,典型的なパタンをあげると「○○の題材で,こんなことをしました.あんなことができるようになりました」という感じです.その学期に行なったいくつかの題材の中から一つを取り上げて,そこで見られた成長や行動の様子を書いているということです.つまり,「光明のくらし」は「評価」ではなく,「学習のようす」の断片を記録したものだったのです.

 ということは,私たちは親に対して,子どもの指導についての「評価」を伝えていないということになります.親は,自分の子どもが,学校でどういう目標を掲げてどんな勉強し,その目標にどの程度近づいているのか,ほとんど知らされていないということです(学校参観でかろうじてその断片を知ることができますが).

 今までは,目標の設定から評価に至るまで,すべて学校の内部だけで行なわれてきました.そのようなシステムの中に親の入る余地はありませんでしたから,親に指導の結果を伝えようという考えは浮かんでこなかったかもしれません(「子どもを見れば分かるでしょ」という考えもあった?).しかし,これからはそうはいかなくなるでしょう.最近では,年度当初の実態把握や目標の設定のときに,どんどん親の意見を聴くようになっています.その目的は,家庭と学校が協力して教育にあたり,歩調を合せた指導を通して効果をあげていこうということです.であれば,家庭と学校が協力して作成した指導目標について,年度末にその指導の結果を知っているのは学校だけで,親には何も知らされないというのはおかしいことですよね.せっかく協力してくれた親も,そういうことが続けば協力する意欲を失うのは目に見えています.家庭と学校は,子どもを育てていくチームの一員同士なのですから,指導の結果について情報交換することは,あたりまえのことなのです.

 一方,情報公開の波に乗って,親のほうから一方的に「自分の子どもの評価を開示してほしい」という要求が突きつけられる可能性もあります.その時,公開できないような書き方になっていたらどうしますか?


次につながるような評価

 公開を前提にすると,達成できなかったことが書けなくなるという問題に突き当たります.できなかったことが書かれていない評価は,評価ではありませんよね.このジレンマをどう回避すればよいのでしょう?


 できなかったことをどう書くか….それを考える前に,「次に活かせるような評価」をどう書くかということを考えてみましょう.例えば「1000円以内の品物の買い物ができる」という目標を達成できなかったHくんがいたとしましょう.その生徒を次年度受け持つことになったA先生は,前年度の記録を見ました.そこには,次のように書いてありました.

「1000円以内の品物の買い物はできなかった.」

もう一人,同じ目標が達成できなかったMさんの記録には,次のように書いてありました.

「100円玉を10個与えると,店員さんに正しい金額を渡すことができたが,500円玉が混じると正しい金額を渡すことができなかった.」

いかがでしょう.Mさんの記録のほうが,次の指導に役立つような気がしませんか?

 そして,これらの二つを公開した場合,親が喜ぶのはどちらでしょう.明らかに後者ですよね.できなかったことを,ただ「○○はできなかった」と表記するよりも,「△△まではできた」と表記したほうが,次へつながる資料にもなるし,親も喜ぶ評価にもなるということです.


目標設定の失敗をおそれない

 目標設定の失敗は,誰の責任でしょう?


 評価が公開されるということは,私たちが目標の設定に失敗した時に,それがストレートに親に伝わってしまうということです.でも,それを恐れないでください.これからは,指導目標を私たち教員だけで勝手に立てるのではなく,親と相談しながら決めることになるのですから,目標設定の失敗は教師と親の共同責任ということになります.また,学期末に評価をした結果,目標の設定を失敗したと思ったときには,次の学期から,より適切な目標に切り替えればよいということです(そういうことは,普段から意識しないでやっていることですが,それをもっと意識的に,明文化しながらやっていこうということなのです).


('97/1/10)

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