トップページへのリンク MAPミーティング2012(11月)【1/2】

MAP研究会は,宮城県教育公務員弘済会の支援によって活動しています。

高台から南三陸町立戸倉小学校方面を望む

タイトル

■ 期   日:2012年11月10日(土)〜11日(日)
■ 場   所:宮城県志津川自然の家
■ 内   容:MAPミーティング2012 〜震災復興の中のMAP〜
■ 担   当:運営・企画・研究・事務局
■ 報   告:Sphinx
■ 参 加 者:31名

ゲストにPAJ代表の林さん,西多摩PACEのKAIさんとけんじくん,そして東北青年塾のあべたかさんをお招きし,震災後はじめてとなるMAPミーティングを,津波の被災地である宮城県志津川自然の家で開催しました。

【1日目午後】被災地視察ツアー

南三陸さんさん商店街でお昼ごはん

南三陸キラキラ丼

11時に宮城県志津川自然の家に集合して簡単な自己紹介をした後,一行は車に分乗して一路,南三陸さんさん商店街に向かいました。この商店街は,南三陸町志津川地区の復興仮設商店街で,飲食店や海苔やさん,蒲鉾店,電気屋さん,床屋さんなど約30店舗が軒を連ねています。

参加者の皆さんは,めいめいお好みの店に入って,美味しい海の幸に舌鼓を打ちました。写真は私が食べた松原食堂のキラキラいくら丼です。これで1800円。とっても美味しかったです。また食べたい!

被災地視察ツアー

お腹も満たされ,被災地にお金を落としたところで,私たちの仲間である親方と合流して,親方の案内で被災地視察ツアーに出発です。親方は震災当時,南三陸町立戸倉小学校の教頭先生でした。

南三陸町の防災庁舎

防災庁舎 防災庁舎 防災庁舎

南三陸さんさん商店街から戸倉小学校に行く途中に防災庁舎に寄りました。私は震災後に何度もここを通りましたが,車を止めて降りたのは初めてです。なにか近寄りがたいものがありました。防災庁舎は近くに建物が何もなくなってしまったので,少し小さく見えましたが,そばに立ってみるとやはり大きいです。この大きな建物より高い津波が来たんだな〜と思うと,改めて自然の力の大きさと人間の無力さをを感じさせられました。近くによると,千羽鶴などがたくさん飾られていて,全国各地の学校などから贈られてきていることが分かりました。

南三陸町立戸倉小学校

戸倉小学校は津波で屋上まで水没しました。児童たちは,地震の直後,訓練していた通りに近くの高台に避難します。しかし,高台にも津波が迫り,慌ててさらに高いところにある五十鈴神社に駆け上がりました。周りがすべて水没し,絶海の孤島になってしまった神社の境内で,100人以上の子どもたちと大人が一夜を明かします。

宇津野高台に続く坂道 高台で親方の話を聞く 海の方に目をやる

【写真左】宇津野高台に続く坂道(画面中央が高台,右奥に神社)
【写真中】高台で親方の話を聞く(画面右奥に海,左に神社への入り口)
【写真右】海の方に目をやると立っていた家は全て流され,小学校も取り壊されて何もない

【写真左】児童が一夜を明かした五十鈴神社の境内にて

決して広くはない,というよりむしろ狭い境内で,親方の話を伺いました。この日も手がかじかむような寒さでしたが,311の日は雪も降って,もっともっと寒かったでしょう。子どもたちや先生たちはとてもがんばったな〜と目頭が熱くなりました。

戸倉小学校では,震災前に,地震のあと高台に逃げるべきか,屋上に逃げるべきかという話し合いが2年に渡って続けられていました。津波は早ければ3分で到達する可能性があり,一方,子どもたちが高台に逃げるのには10分程度の時間が必要でした。そうなると避難途中に津波が来てしまうことも考えられます。チリ地震津波では校舎の1階までしか水没していないこともあり,屋上避難をするべきという意見と,昔から津波が来れば高台に逃げることに決まっていると,高台避難をするべきという意見がぶつかり合っていました。話し合いの決着がつかないまま震災を迎えます。校長先生と教頭先生(親方)は,大きな揺れの後,迷うことなく高台への避難を指示しました。学校はその後,屋上の高架水槽まで完全に津波で水没してしまったので,このときもし屋上避難を指示していたら,全員の命が失われたことは明らかです。結論は出なくても,事前にいろんな想定をしながら議論しておくことが,その時のとっさの判断に大きな影響を与えるんだと思いました。

戸倉小学校の311については,こちらにより詳しい資料があります。ぜひ合わせてお読みください。

【1日目午後】話題提供「3・11とMAP」

志津川自然の家に戻り,研修室に集まりました。ここからは,MAP研究会のメンバーや,東京都の被災地支援教員として南三陸町の小学校に3ヶ月間派遣されていたKAI(甲斐崎博史さん)から,震災当時の状況や,震災にMAPがどう生かされたかについて話を伺いました。

震災時に効果的だったMAP(いっきゅうさん)

震災時の状況

いっきゅうさんの発表学校は海岸からわずか300mのところにあります。大きな揺れに襲われた時,3年生から6年生は授業中,低学年児は上級生と一緒に下校するために校庭で遊んでいました。幸いにも本校は停電にならず,すぐに津波警報が出たことを確認しました。津波の到達予想時刻から,校長は屋上への避難を指示。児童と迎えに来た保護者や地域の方々を,屋上の倉庫に避難させました。

大きな津波が4回来ました。校舎の2階天井まで津波で水没しましたが,屋上はかろうじて助かりました。子どもも大人も寒さに震えながら一夜を明かし,翌朝,運良く自衛隊のヘリコプターが見つけてくれて,水の引いた校庭から順次内陸部に避難させることができました。在籍児童59名は全員無事。しかし,学校の周辺の町並みは壊滅し,保護者やお世話になった方々を多数失うことになりました。

震災後2週間

避難所となった地域の中学校に,小学校の職員室と学習場所を開設しました。大きな混乱の中,学校を再開できるような状況ではありませんでしたが,子どもたちに生活のリズムがあったほうがいいと考え,震災から3日後の3月14日から午前中のみ授業を始めました。授業と言っても教科書もノートも筆入れもすべて流されて何もありませんので,朝の会,ストレッチ体操,音楽(歌),カルタなどの遊びが中心でした。(支援物資をいただいて,だんだん国語などもできるようになりました)

避難所にはいろんな人が集まりますが,その中のひとりがガムテープに自分の名前を書いて腕に貼り付けていました。私たちはMAPの活動の中で名前を呼ぶことをとても大切にしますね。私もすぐそれを真似して学校名と名前を書いたら,たくさんの方から声をかけてもらえるようになりました。

ビーイングを中心とした生活指導

そんな中,だんだん避難所の大人たちから,子どもたちを何とかしてくれという声がチラホラと聞こえて来ました。

震災から5日。子どもたちに,避難所生活を振り返って自分たちでルールを作ってもらおうということで,ビーイングを作りました。1年生から6年生を3つのグループに分けて,「へやでは」「ろうかでは」「その他の約束」と3枚の模造紙に書いて,ローテーションをしながらみんなでルールを作りました。真ん中に縦線を引いて左右に分け,左半分は「こうしよう」ということ,右半分には「これはダメ」ということを書きました。

このビーイングは,その後の活動の中で何度も確認しました。例えば,学級活動の中で,MAPのアクティビティでちょっと楽しんだ後,このビーイングを見ながら自分たちの生活について振り返るといった使い方をしました。

MAPは非常時に強い

津波からの生還,避難先での学校運営など,震災後数週間はたいへん厳しい状況でしたが,その中で自分自身がMAPを学んでいて,MAPの中で大切にしているいくつかのことが,震災時にとても重要であることに気づきました。最後にそれをまとめます。

そして,一番大きいことは,それらのことを実践するための手段(アクティビティやシークエンス)を現場の人が知っているということです。MAPを知っていること,実践できることが,非常時にたいへん大きな強みになることを実感した数週間でした。

東京から見た震災と現地で見た震災の落差(KAI)

現地の状況

震災後2ヶ月に被災地支援教員の募集があり,5月9日から8月8日までの3ヶ月,南三陸町の小学校に勤務しました(主に理科専科5・6年)。赴任して分かったのは,想像と全く違う,予想だにしなかった現実です。東京から見ていたら,現地の学校で何が起こっているか,子どもたちや教員がどんな状況に置かれているか,全くわからない,知らないんだということを痛感しました。

赴任先の学校は直接津波の被害は受けていませんが,職員14名中9名が被災。自分の生活を立て直すだけも大変な毎日でした。校庭は半分以上が仮設住宅,校舎の1階は教室・体育館がすべて避難所で始業式時点での避難者が100名ほど,ライフライン(電気・ガス・水道・ネット)はすべてダメ。給食はパンと牛乳だけ。子どもたちは,学校が始まるまでの2ヶ月間,学校はある,自分の家もある,だけど学校に行けないという生活を強いられました。さらに,親の失職や余震の恐怖,生活基盤の喪失など,生活が激変し,学校が始まったら,今度は沿岸部から転入してくる被災児童も受け入れて一緒に生活していくというストレスもありました。

なかなかうまく行かなかったPA

そのような状況の中で,学校の楽しさを思い出してほしい。みんなと学ぶ楽しさ,学びそのものが楽しいことを思い出してほしいと思って子どもたちに接していました。たのも~!,パイプライン,ヘリウムフラフープなどなど,アクティビティをたくさんやりました。6年生はジャーナルにも取り組みました。リーディングワークショップ,作家の時間(特別支援の子どもにも),ホワイトボードミーティングなど,ひたすら楽しい have fun を目指してやっていました。

しかし,振り返ると,なかなか難しかったというのが正直なところです。子どもたちの心にもう一つ届かなかった。

あの状況で,職員全員で当たっていくことの難しさを感じました。教職員は自分も被災しているから,5時で帰って自分の生活を立て直す。目の前のことで精一杯。その中で,「お返事をください」みたいなおせっかいな支援がたくさんやってきて,それにも対応しなければならない。夏休みにあった歓送迎会で(派遣が終わるにあたって),やっと先生方とゆっくり話しができました。

東北の子どもたちは我慢するんですね。こどもたちは何も言いません,不平も言わない。でも,アクティビティをやっているこどもたちのうれしそうな笑顔が印象に残っています。宮城にはMAPを実践できる仲間がこれだけいるし,これまでの10年以上にわたる活動の蓄積もあります。こどもたちは待っています。MAPの力を生かして,これから継続的に取り組んで行かれることを期待します。

津波被災地の中学校の現状(ミッキー)

学校の現状

学校が津波被災地にあり,仮設住宅から通ってくる生徒が全体の65%です。登米の仮設住宅からはるばる通ってくる生徒もいます。通学のために仮設住宅を回るバスを6コース走らせています。生徒の中には,昨年度KAIに指導していただいた小6の卒業生も,1年生として在籍しています。

うちの学校の校舎にもう一つ別な中学校が併設されていて,2階と3階をうちの学校,1階を併設校が使用しています。特別教室と体育館,校庭は共有なので,調整が大変です。合同行事はありません。

多くの支援を力に!

兵庫県のカウンセラーチームが入って,心のケアを行なっています。長期で入り,引継ぎもしっかりしているので,生徒だけではなく教師の変化にもよく気付いて対応してくれています。緑のベストを着ているので「緑チーム」なんて呼んでいます。生徒たちにとって,深刻な悩みは,私達近くの教師より遠くから来てくれる人のほうが話やすいかもしれません。神戸の震災を経験している人が多く,教師も相談に乗ってもらえるのでとても心強いです。

その他に,学習支援では東京学芸大や宮教大の学生さんや,兵庫県と岐阜県の現役の教員も来てくれました。岐阜県の音楽の先生方は,各学級に入って合唱コンクールに向けて合唱指導をしてくれました。部活動支援はいろんな大学の学生さんが活躍してくれます。ラケット,ジャージ,ユニフォームなど,ほとんどすべて流されているので,支援物資でまかなっています。

家庭も当然収入が厳しいので,就学援助を受けている生徒がたくさんいます。義援金の一部を修学旅行のバス代に当てさせていただいたり,海外研修にも多くの生徒たちが支援を受けて参加しました(オーストラリア,ハワイ,シアトル,ロンドンなど)。

MAPの効果は少しあとに

MAPのアクティビティは混乱した非日常の中でなかなか取り組むことができませんでしたが,MAPの考え方をベースにした指導を積み重ねて来ました。「今年は復興元年だ!」と,生徒にも教師にもちょっと気負いがあります。その力が抜けた頃に,こどもたちがふっと伝えたことに気付くといいかなと思っています。

今後は支援からの自立を…

今,生徒はいろんなことを支援に頼っています。今はまだ非日常ですが,これを日常に戻していく必要があります。やってもらって当たり前な状況から少しずつ脱却して,MAP・ESD・志教育を軸にしながら,当たり前の規範意識をもたせるとともに,学力もしっかり高めていきたいと思っています。

鳴瀬復興太鼓の取り組み(うに)

学校の現状

東松島市の沿岸部の小学校で教務主任をしています。248名の在籍児童の8割が家をなくし,死亡した児童も9名いました。市役所分庁舎の会議室を教室に見立てて新学期が始まりましたが,学校として建てられた施設ではないため,水飲み場がなくトイレも足りません。教室も狭く黒板もありません。歩いて5分のところに空き地があり,それが校庭です。目の前に体育館がありますが,しばらくは遺体安置所になっていて使えませんでした。そのような劣悪な教育環境の中ですが,廊下を走り回る子はゼロ,生徒指導案件は震災前より少なくなり,不登校の子もいません。大人の大変さを近くで見て知っているからです。

児童の様子

学校に見学に来る方々には,被災児童に対する先入観があるようです。笑わない,元気がない,心の傷を負って前向きになれない,悲壮感が漂っている,というような。実際には,子どもたちは当たり前のことですが笑います。特に心配な言動も思ったほどではありません。しかしそれは,心の傷がないということではなく,潜在しているということです。阪神大震災では,5年後が一番大変だったと言われています。それにどう備えるか。

心のケアの時間

癒し・協働・発信を3本柱にして,心のケアの時間を持っています。「癒し」とは楽しい時間を過ごすことで,お花見遠足,全校レク大会,縦割りドッチビー大会など様々な行事を行いました。「協働」では誰かと一緒に何かをします。野蒜小元気まつりや各種縦割り活動などPTAも巻き込んで行いました。そして「発信」は,和太鼓演奏で地域を元気にする活動です。自分の演奏で地域が元気になるのを感じることによって,「自分は人を元気づけることができる存在だ!」と気づいてほしいのです。

野蒜復興大鼓

発表の様子 野蒜復興大鼓の演奏

なんとか必要な太鼓をそろえ,低学年は豊年太鼓,中学年はぶちあわせ太鼓,そして高学年は「野蒜(のびる)復興大鼓」というオリジナルの太鼓にチャレンジしました。野蒜復興大鼓は,平成23年度は学芸会と「はまなすの里」という老人福祉施設での公演を行いました。保護者と施設のおじいちゃんおばあちゃんが相手でした。それが評判を呼び,今年度は各種の地域イベントに呼ばれて演奏するようになっています。6年生は「元気とどけ隊」を結成して,仮設住宅に出向いて演奏会を開くまでになりました。

こだわったことは,「大人並みの演奏」ではダメだということ。見た人が「なにこれ,小学生がこんなことをするの?」と驚かれるレベルであることを子どもたちには要求しました。子どもたちは地域の復興に貢献できているという自信を持ってがんばっています。

子どもたちは傷ついているんだけれど,それは押しつぶされているということではありません。周囲に助けられ,やってもらうことに慣れてしまうのではいけない。高い目標を設定することで,子どもたちは目をギラつかせてやる気を出します。子どもたちは強さを持っています。私達が支援するべきことはそこなんです。将来…おとなになった時,または老人になった時に「俺たち被災したけど,こどもなりに野蒜の復興に貢献したよな」と懐かしく振り返ることができるようになってほしいと思います。

フリーディスカッション

ミッキーを囲んで 親方を囲んで うにを囲んで

4人の話題提供者と戸倉小学校を案内してくれた親方に,分かれてテーブルについてもらい,フリーディスカッションの時間を持ちました。参加者はそれぞれ自分が話を聞きたいテーブルに移動して,ディスカッションに参加します。途中何度か席替えをして,いろんな話ができるようにしました。

【1日目夜】PAプログラムの効果(PAJ代表・林さん)

これは私たちがプロジェクトアドベンチャーについて説明するための図です。体験学習サイクルというと,もともとコルグさんの体験学習サイクルはとても有名で,私たちはそのサイクルを基本にしています。でも,それだけでは説明しきれない部分があるぞということで,このような図を作ってみました。

スライド拡大

アドベンチャー→本能が動き出す→助け合う→信頼関係が高まるというサイクル

スライドの上の部分(アドベンチャー→本能が動き出す→助け合う→信頼関係)はアドベンチャーのサイクルです。私たち人間のDNAには,互いに協力し合うという回路が組み込まれているはずです。大昔,野山を駆け回っていた頃はどこから敵が攻めてくるか分からない,そんな中で,何かあったら互いに協力して危機を乗り切ってきたはずなんですね。ところが現代は,社会的なインフラに守られて,その本能を使わないで生活しているうちに,協力しあうという回路まで錆び付いて動きにくくなっていると考えられます。

その錆びついた回路が,例えば震災のように切羽詰まったぎりぎりの世界に行くと,自然に働き出します。とすれば,アドベンチャーの場面を設定してそういう状況に追い込んでいくことによって,錆びついた回路(互いに協力する本能)が自然に動き出すに違いないと考えるのです。アドベンチャーの中で助け合う回路が動き出す。そうすると,自然に信頼関係が生まれてくる。そうすると,今まで怖いなと思っていたアドベンチャーにもっと積極的に挑戦してみようという気になる。そういうことが連鎖的に続くのです。

フルバリューは心の壁を下げる道具

アドベンチャーだけでも信頼関係は少しは良くなるのですが,プロジェクトアドベンチャーではさらに「フルバリュー」という考え方を持ち込みました。人間は自分が傷つけられたり変化させられることを恐れ,自分を守るために心のなかにバリアを張ります。自分がそのバリアの中にいる限り,安心していられるのですが,変化,つまり成長することもありません。成長するためには外からの刺激を受け入れることが必要で,人と人との関係の中で人間は成長していくわけですが,心の壁があることによってそれが阻害されてしまいます。

フルバリューというのは,心の壁を下げるための道具です。成長のためには心の壁を下げたい。ところが,人間は自分で自分の心の壁を下げるのは難しいのです。でも,相手の心の壁を下げることならできるかもしれない。自分はあなたの敵ではない,安心して大丈夫ですよということを言葉や態度で伝えていく。そういうことを意識してやっていくと,だんだん相手の心の壁は下がります。それをグループでお互いにやっていこうというのがプロジェクトアドベンチャーの特徴です。

振り返り→気づき(今までの知識・経験との関連付け)

心の壁が下がると,信頼関係がまた高まります。と同時に,大脳の働きが活発になります。心の壁が下がって,脳がリラックスした状態になると,今まで持っていた知識・経験と,今起こった出来事が関連付けしやすくなります(→気づきや新しいアイディアが生まれる)。脳内で多くの関連付けが行なわれると,それは言わば検索タグがたくさんついたような状況になるので,次にその気づきが必要になった時に検索されやすい,つまりより使える知識として脳に収納されるのです。

私たちが仕掛けていくことが緑の点線で囲まれた3つのこと

スライドで緑の点線で囲まれた3つのことは,私たちから仕掛けていくことです。

具体的に,フルバリューの環境づくりをビーイングという活動で行なっていきます。フルバリューとは具体的にはどういうことかということを先生が一方的に決めるのではなくて,子どもたち自身が,自分たちがそのクラスに安心していられるような場にするにはどんなことができるのか,他の人にどんなことをされるといやなのかを書きだしてみましょうというのがビーイングです。子どもたちが自分たちで自分たちの安心できる状況を作っていくというのが一番のポイントなので,自分たちはこういうふうにすれば安心していられるんですということを,子どもたちの言葉で出してもらう。それが,本当に自分たちでつくる自分たちのための自分たちのルールです。民主主義そのものです。

ビーイングのサイクル

ビーイングのサイクル図コミュニケーション活動→ビーイングで振り返り→課題の発見→信頼関係…これはビーイングのサイクル図です。ビーイングにはコミュニケーション活動が絶対に必要です。ところが今の学校教育の中では,これに十分な時間を取れません。それなら,授業の中でコミュニケーションが生まれる授業をすればいい。全部は無理だとしたら幾つかでもいい。教科教育の中でもコミュニケーション活動が行なわれれば,ビーイングで振り返りができます。授業の最後の3分だけでいいから振り返りを入れていくと,振り返りから何か課題が見つかります。様々な課題を発見しながら,コミュニケーション活動で信頼関係が育まれます。

時代の変化と子どもたちの変化

昔に比べて子どもたち同士が遊んでいる時間が少しずつ短くなってきています。昭和30年と50年の遊びを比較した論文によれば,横浜の近くで20年間でこどもの遊び空間が20分の1になってしまっている。その後も,遊び空間はどんどん減っている。時間も減っている。遊び相手もいなくなってきている。そういう状況からすると,子どもたちはいったいいつ自分の人間性というものを育てていけるのか。QUの結果からも,上の学年にいくほど,学級の居心地は悪くなっていくのが現実です。

私たちは自分たちの限られた持ち時間の中で,最大限の効果を上げたいわけです。主役は子どもたち。自分たちの力で豊かな心を持った人になっていくために,私達ができるサポートが,ビーイングでありアドベンチャーです。そこから信頼関係をどう作っていくかということにつなげていきます。


質疑から

心の壁を自分が下げるのではなく,お互いに相手の壁を下げ合うのがプロジェクトアドベンチャーだという話がありましたが,質疑の中で,一般的な教師はむしろこれと逆のことをしているという指摘がありました。例えば,仲間からの非難を恐れてなかなか発表できない子どもがいたとすると,教師がよくやりがちなのは「はっきり言いなさい」とか「自分で言わなくちゃダメだよ」と発表を強要することです。これは,自分で自分の心の壁を下げなさいと言っていることで,PAやMAPの目指すところとは逆向きです。教師自身が,子供の頃このようなやり方を体験的に学んできているので,このような間違ったやり方がいつまでもなくならないのでしょう。MAPの考え方や手法を広めていくことで,このような負の連鎖を断ち切っていきたいものです。

また,強要することと,子どものチャレンジを促すことは違うという話もありました。なかなか発表できな子ども自身が,チャレンジすることに価値があると理解していれば,チャレンジを促す先生の思いは伝わるんだということです。そのためには,しっかりとした「価値のインストラクション」をしていく必要があります。周囲の子どもたちには,その子の壁をみんなが下げることの価値を伝え(グループ・アプローチ),本人にもその子自身がチャレンジすることに意味がある,成長のチャンスだという価値を語りかけていく(パーソナル・アプローチ)。そういうことが大事だという話でした。

【1日目夜】夜の部

「クラスの絆が深まる楽しい活動集」の紹介

MAP研の書籍紹介 MAP研の書籍紹介

楽しい夜の部の中で,楽しい活動集の紹介がありました。この書籍は,MAP研究会の仲間で集まって,日頃の実践ネタを紹介したものです。ここから,また新たな出会いがあるといいなあと思っています。まだ見ていない方は,ぜひ手にとって御覧ください。Amazonへのリンクも張っておきます!

充実のMAPミーティング 2日目に続く…

被災地巡検から始まったMAPミーティング2012。2日目も続きます。長くなったので,次のページへ。