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Sphinxです。
kenyaのフィンランドレポート,とても興味深いですね〜。
特に授業における秘策はなく,ごく普通の授業が行われているというあたりも,MAPと似ているところじゃないでしょうか。
「国全体に福祉という考えがしっかりと根付いているため、フリュバリューが出来ている」と感じたとのことですが,日本とフィンランドの文化的な違いが,互いの教育の違いにも大きな影響を及ぼしているように思います。フィンランドでは国民の一人一人に,学習の主体は自分という認識があるようです。ひるがえって,日本の一般的な感覚は「学習は学校で教えてもらえるもの」です。教育再生会議の感覚もこれですね。主体性の認識(感覚)がまるで違うと思います。総合的な学習の時間が日本で成功しないのも,ここに理由があると思っています。
そういう文化的な違いが大きすぎて,みっちぃの研究につながるものがフィンランド教育から得られるかどうかちょっと心配だったりしますが,私たちはMAPを武器にして主体的な次世代を育てたいわけですから,みっちぃには是非ともがんばっていただきたいです!!
ところで,日本ではテストがあるからこどもたちは勉強すると考えられています。ところが,フィンランドではテストがないのに,日本のこどもたちよりよっぽどモチベーションが高い。しかも,それで学力世界一。テストって本当に必要なんでしょうか。
今週の火曜日(19日)のNHKラジオ第一で,フィンランド教育が取り上げられました。朝7時20分から約10分の「ニュースアップ」という枠です。私が読んだ本を書いた福田誠治教授のインタビューでしたが,その中で「フィンランドの学校にはテストがない。テストというのは,それをすることによって成績の低い子のモチベーションを下げるだけでなく,成績の高い子の伸びる余地をも押さえ込むということに気づかされたのが,フィンランドの教育から学んだ一番大きな点です」と,だいたいこんな話をしていたんですね。
テストが成績の低い子のモチベーションや自己肯定感を低くするものだというのは私にもすぐに理解できますが,成績の高い子にもよくないという視点は新鮮でした。でもあらためて考えると,テストをするということは,学習内容に枠をはめるということです。MAPでは「自分の中にある枠を乗り越えよう!」と奨励しますよね(ナインドッツなどで)。テスト範囲が決まれば,そこしか勉強しません。また,勉強の内容も,他者のつくるテストに上手く反応できるような学習方法になるわけです。これでは本来の自分で学ぶ楽しさは半減です。学びたいことを学ぶから楽しいんです。今現在興味のないことを学ぶように強制されても,学ぶ楽しさは感じられない。
そういえば,養護学校のこどもたちも,テストがないけどよく学びます。養護学校から学びを見ていると,フィンランド教育の意味がより分かるような気がします。
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