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【2987】まあこと被災地弾丸エコツアー報告 Sphinx 11/6/12(日) 12:12
┣ 【2988】Re:まあこと被災地弾丸エコツアー報告 あべPAPA 11/6/12(日) 20:57
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┗ 【2990】お世話になりました まあこ 11/6/15(水) 22:56

【2987】まあこと被災地弾丸エコツアー報告
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 Sphinx E-MAILWEB  - 11/6/12(日) 12:12 -

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   Sphinxです。

東日本大震災からちょうど3ヶ月となる昨日,あべ企画(あべパパ)主催の被災地弾丸エコツアーが行われました。参加したのは,関東からまあこ,たあちゃん,ほんちゃん,宮城からKAIさん,あべパパ,Sphinx,そしてボストンから来た写真家のジェームズの7人です。(加えて夕食会から,いっきゅうさんとhaya)

もともと昨日は,ボストンから津波の被災地を取材するために訪れたジェームズをあべパパが案内することになっていて,それに便乗する形で実現した企画です。

○気仙沼の市街地(車窓見学)
 集合場所の気仙沼駅付近は津波の気配はほとんどありません。ところが,だんだん港の方に車を進めていき,角を曲がったとたんに風景が一変します。1階部分が破壊された建物や土台から引きはがされて移動している建物などが目に入ります。まるで映画のロケセットのような非現実的な印象です。同じ気仙沼の陸前小泉周辺や山元町のように何もなくなっているのではなく,街並みの原形を残しつつ壊れている感じです。

○鹿折小学校〜鹿折中学校(車窓見学)
 次にあべパパが以前勤務していた鹿折小学校を通過。この小学校は1階が津波で被災し,2階以上で授業をしているとのこと。続いて,鹿折中学校。校庭には長屋風の仮設住宅が建ち並んでいます。仮設住宅にもいろいろあるそうですが,ここの仮設は木を使った,ちょっと見栄えのいい造りになっています。

○巨釜・半造(陸中海岸国立公園の名勝地)
 ツアーコンダクターのあべパパが道を間違えたことで,陸中海岸国立公園の名勝地「巨釜・半造」に寄ることができました。これで「おおがま・はんぞう」と読みます。巨釜と書いて以前は「おがま」と呼んでいましたが,今は「おおがま」とふりがながふられていました。
 海岸の大理石地形です。古生代から中生代の石灰岩地帯に隕石が落下し,その熱で石灰岩が大理石に変わりました。ちなみに石灰岩は大昔の生物が堆積してできたものですが,隕石落下の熱によって結晶構造が変わり,化石としては残っていません。(Wikipediaより)
 巨釜のわきに大理石の石柱が立っているのですが,この石柱は「折石(おれいし)」と呼ばれています。明治29年の三陸地震津波の時に先端が2mほど折れてこの名前がついたそうです。今回の東日本大震災の地震と津波では,折れなかったようですね。
 小雨で天気が悪かったのが残念ですが,それでもきれいな陸中海岸を堪能することができました。ちょっと歩きましたが,次の九九鳴き浜に向けての準備体操にはなったでしょうかね。

○九九鳴き浜(くくなきはま)
 宮城県内には鳴り砂の砂浜がいくつかあります。その中で有名なのが気仙沼大島の「十八鳴浜(くぐなりはま)」ですが,その大島の対岸にある「九九鳴き浜」も,鳴り砂の砂浜として知られています。昨日は九九鳴き浜でボランティアによる清掃が行われていて,ジェームズの取材のためにそこを訪れました。
 ちょうど大潮の時間で砂浜の大部分が海の底になっていましたが,それでも白いきれいな砂を見ることができました。まあこの持っていたルーペで見てみると,粒のそろったきれいな石英がたくさん見られました。
 海岸には気仙沼市内から流されてきたと思われる,燃えてすすけた木材や,漁師さんが魚を入れるために使う大きなコンテナが散乱していて,100人以上のボランティアが一生懸命片付けをしていました。コンテナは全体が砂の中に埋没していて,スコップで掘り出す作業は大変そうでした。

「鳴き砂」の浜でボランティア清掃 ゴミ10tも(テレビ朝日;動画あり)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210611047.html
鳴き砂清掃、うれし鳴き? 気仙沼で150人片づけ
http://www.asahi.com/eco/TKY201106110507.html

○唐桑小学校の避難所を訪問
 九九鳴き浜で気仙沼市の教育長さん(私にとっては地学の先輩教師)と合流し,教育長さんの紹介で唐桑小学校の避難所を訪問しました。これもジェームズの取材です。唐桑小学校では,避難生活をしている舞根(もうね)地区の代表の方のお話しを,じっくりうかがうことができました。
 2人のリーダーの方はとても和やかに被災体験を話してくれました。とっても大変な体験を,このように和やかに時に楽しく話せるってすごいことです。印象に残ったのは,震災から2週間後ぐらいから避難所でお酒を飲んで語り合うようになったという話です。お酒は津波で流された自宅跡から拾ってきたもの。船乗りが多い地区なので,外国から買ってきた高価な舶来ウイスキーがたくさん残っていて,毎晩それを飲んでいたそうです。
 ちょうど昼時に訪問してしまったのですが,なんと私たち全員にカップラーメンとおにぎりを出してくれて,昼食をご馳走になりました。帰り際には12年もののオールドパーまでいただいてしまいました。
 唐桑小学校はとてもきれいで,空間を大きく使った造りになっていて,広い廊下,映画館にもなりそうなホール,オープンな教室など,とても素敵な校舎でした(校舎という雰囲気ではないですねー)。こんな学校で働いてみたい…と多くのツアー参加者が思ったことでしょう。
 唐桑小学校で話をうかがっているあいだに,雨は止み,青空が見えてきました。

○気仙沼市立小泉中学校を訪問
 ここもジェームズの取材場所です。避難所となっている小泉中学校を訪問しました。ジェームズが取材している間,他の参加者は津谷川沿いの低地と海を見渡せる場所に行き,途中で寸断されたJR.気仙沼線の高架橋やそこにあったはずの陸前小泉駅のあたり,何もなくなってしまった平野部の茶色い風景などを眺めて,津波の威力を感じました。海はきれいな水色で,目の前の津波の被災地の景色と激しいコントラストをなしていました。
 ちなみに震災前にあったはずの陸前小泉駅やその周辺の街並みは,Google のストリートビューで今もまだ見ることができます。

 小泉中学校で,ツアーは2つに分かれ,KAIさん,まあこ,たあちゃん,ほんちゃんの4人は戸倉小学校の様子を見学に行きました。ジェームズ,あべパパ,Sphinxの3人は,南三陸町に移動し,ジェームズが写真を撮るのにお付き合い。その後,あべパパと分かれて,登米東和インターから三陸道を通って仙台に戻りました。

○夕食会
 ツアーの最後は夕食会です。夜8時頃に仙台駅ステンドグラス前に集合して,仙台駅ナカ3階の伊達の牛たんで,牛タン定食を味わいました。
 夕食会から,MAP研のいっきゅうさんとhayaも合流し,学校での被災の様子や,山元町の家の片付けの様子など,映像を交えながら被災体験を語ってもらいました。また,東京でのPAの話を聞いて,ちょっとうらやましかったり,宮城もガンバローと思ったりもしました。2時間があっと言う間に過ぎましたねー。お酒がなくてもこんなに濃い楽しい時間が過ごせるんだということが分かりました。これから,MAP研究会でも昼食会とか夕食会とかやりませんか? 飲み会よりもリーズナブルでいいですよ。

 とまあ,こんなかんじで,朝8時40分気仙沼駅集合,夜の10時15分仙台駅解散という,東日本大震災の被災地弾丸エコツアーが終了しました。遠くから0泊3日という超強行軍で来てくれたまあこ,たあちゃん,ほんちゃん,ありがとうございます。そして,宮城から参加してくれたKAIさん,ツアーを企画・案内してくれたあべパパ,夕食会から合流してくれたいっきゅうさん,haya,ありがとうございました。そして,ジェームズのおかげでいろんなところの見学ができました,サンキュー!

 また近いうちに,みんなで会いましょう。その時はきっと宮城の復興を喜び合えることでしょう。

【2988】Re:まあこと被災地弾丸エコツアー報告
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 あべPAPA  - 11/6/12(日) 20:57 -

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   会ってしゃべるっていいですよね。
最後まで参加できず残念でした。
詳細なレポートはさすがスフィンクス!ありがとうございます。

昨日は9時まで花山で会議。
今日も、農家さんを実地踏査していました。
あべ企画は花山での、農家民泊を進めています。
花山で小学生が長期自然体験活動としての農家民泊は、初の試みとなると思います。
ぜひ、3泊4日の5年生の宿泊学習を定番にしていきましょう。

【2990】お世話になりました
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 まあこ  - 11/6/15(水) 22:56 -

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   着物を着た小さな女の子を
家族がビデオと写真に撮っている・・・。

南三陸町を離れようとしていた頃、
そんな光景を目にしました。
我が家があったところなのでしょうか、
土台だけになった場所で、
美容師さんらしき人が
女の子の着付けを直しているのですが、
何もない、色のない場所に
ピンクの着物が映えて
ドキッとしました。

人は生きていくんだな・・・
と思った瞬間でした。
たくましくー。

Sphinx,詳細なレポートをありがとうございます。
私は、別行動になってからのことをー。

私たちは、海岸線を南下。
南三陸町に行きました。
鉄骨だけになった防災対策庁舎。
ぼろぼろの志津川病院。
多くの場所は、ここ、何があったの?
と聞いてしまうくらい
何もなくなってしまっていました。
3階建ての上まで水が来たことが分かり、
津波の高さと破壊力を実感しました。

戸倉小学校。
屋上まで上がってみました。
校舎の中は片付けられ、
散乱していた物はロッカーの上に置かれたり
部屋の隅に積まれたりしていました。
ピアニカやえのぐ、写真、
紫の箱に入ったままの校旗、
砂色になったパソコンや大きなテレビ、、、、、
ここで毎日子ども達が学んでいたんだよなぁと思うと、
何ともいえない気持ちになりました。
1階2階には机や椅子はなく、
流されたことが分かりました。
3階を過ぎて屋上に上がると、
養殖されていたカキがたくさん残っていました。
ここまで巻き上げられてきたのですね・・・。
屋上から海を見ると、何という近さ。
海からこんな近いところに学校が建っているということに驚きました。
幸い子ども達は中学校に逃げて無事だったことを聞き、ほっとしました。
その中学校も、海側でなく逆方向から巻き込んだ波が上がってきたとのこと。
高台の斜面は、
水が来たところまで木が茶色に変色していました。

戸倉小学校校舎の隣の体育館は骨組みだけ。
その骨組みに暗幕や浮きの着いたロープがからみつき、
床だったところには、流れてきた物がたまっていました。

南三陸町を一望できる志津川中学校に上がり、
津波に襲われた広さを知ることができました。
あいにくモヤがかかってしまい、
写真では分かりずらいですが、
肉眼では海に向かって全面が
津波に飲まれてしまったことがわかりました。

津波が来た境目には、
大量のがれきがたまっていて、
このすべてを取り除くのに
いったいこれからどれほどの時間が必要なのだろうと思いました。
一見すると家が残っているように見えても、
よく見ると、
家具やたくさんの物はいったいどこに行ってしまったのかと思うくらい
空っぽでした。

地形のせいで、道を通りながら
がれきと化している場所と
何でもないところが交互にやってきて、
そのギャップに戸惑いました。
また、どうしてここまで波がくるのか
理解できないところもたくさんあり、
自然の猛威を感じました。

KAIの学校、入谷小学校。
避難所になっていて、
外のテントでは、女の方達が夕食を作っていらっしゃいました。
校庭には仮設住宅が立ち並び、
運動できるスペースはほんのちょっととなっていました。
地盤が沈んだということで校舎と地面の間に隙間ができ、
砂で埋めてありました。


被災地で暮らしている方達は、
朝起きると、
現実を受け止めるところから
一日が始まるのでしょうね。
3ヶ月が過ぎても、
がれきの山は一向に片付かない。

被災地は静かでした。
重機が動いているのに静かを感じました。
これから何年も片付け続ける。
そして復興。
淡々と、淡々と、、、、、。

私には、見てきたことを消化することはできないと思います。
今はただ、事実として受け止め、
被災地が、そこに住む皆さんが立ち直っていく姿を
ずっと見続けていこうと思いました。


みなさん、心から、ありがとうございました。
予想もしていなかった経験ができ、
本当にラッキーでした。
お見舞いに行ったつもりが、
逆にもてなして頂いた気分です。
MAP研の方の温かさを
心いっぱい感じてきました。


仙台でさよならをしたあと、
(出発したのは11時頃でした。)
高速に乗ると、すぐに眠気第3波がやってきたので、
とにかく仮眠をーと、
車にカーテンをはりめぐらせ、
シュラフをかぶりました。
・・・・・・・・・・・
たあちゃんの、
「まあこ、大変!」で目覚めー。
何と5時間も爆睡してしまいました(^^;)
そんなわけで家に着いたのは朝の9時半。
すごいツアーでした。

【2992】貴重な経験でした
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 まあこ  - 11/6/15(水) 23:16 -

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   あべパパさん、
今回は本当にありがとうございました。
全く想像していなかった、
貴重な経験をさせて頂きました。

避難所に行ってみたいとは思っていましたが、
アポなしではどうなのかなとか、
行くこと自体が失礼なことになってしまうのかなとか
いろいろ考えていました。
あべパパさんのおかげで、
それから
教育長さんとジェームズのおかげで、
思いがけず実現しました。
しかも昼食までごちそうにになってしまいー。
お話してくださったお二人が、
とてもお元気なのも嬉しいことでした。

気仙沼は、テレビで見ていたあの大火災の場所。
海際に行くと、まずニオイがー。
魚と油のニオイ・・・。
海からの距離感、
瓦礫の山の大きさ、
ずいぶんきれいになったと聞きつつも、
このがれきの山は、いつになったらなくなるのだろうかと
想像もつきません。

光景やにおい、音、、、
実際に自分の五感で感じることは大切なことでした。

巨釜・半造の海は、深く透明な青色でした。
海なし県に住む私の『海』のイメージとは違う、
神秘的でステキな色でした。

九九鳴き浜の砂は
白くてとてもきれいでした。
砂はぬれてはいましたが
踏むと、キュ〜ッて感じでした。
漂流物はたくさんありましたが、
きれいなことは十分伝わってきました。

あべパパさんが、本当はすごくきれいなんだよと
何回もおっしゃっていたのが、
ずっと心に残っています。
地元を本当に大切にしていらっしゃるのだなと。

そしてみんなが、早く浜を元通りにしようと頑張っている。
それも自分の目で見ることができてよかったです。

ああいう、きれいな自然を見ると、
あふれるほどの物に囲まれて暮らしている自分は
何なのだろうと思います。
もっとシンプルに、シンプルに、
暮らしていくことができるんじゃないかって。

そういえば、坂を下りながら、
持続可能な社会を目指したいと言ってらっしゃいましたね。
きれいな自然を保つことはもちろんだけれど、
子ども達の農家民泊も、
持続可能な社会作りにつながるなと思いながら聞いていました。


▼あべPAPAさん:
>昨日は9時まで花山で会議。
>今日も、農家さんを実地踏査していました。
>あべ企画は花山での、農家民泊を進めています。
>花山で小学生が長期自然体験活動としての農家民泊は、初の試みとなると思います。
>ぜひ、3泊4日の5年生の宿泊学習を定番にしていきましょう。

私は、高野孝子さん(ガイアシンフォニーに出ている)と
お話するという幸運に恵まれたことがあるのですが、その時
(玉川大で講演されたテーマが『持続可能な社会』を目指してーでした。
 終了後、新宿駅までたっぷりとご一緒させて頂きー。)
高野さんが、実際に文化に触れたり体験してみたりすることから始まるー
というようなことを話してくださいました。

農家民泊を実現するために
パワフルに動いていらっしゃるあべパパを
すごいと思いました。
いろいろなことに目を向け
行動に移すバイタリティに
私もエネルギーを頂きました。

もっともっと、いろいろお話をお聞きしたかったです。

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