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はじめまして。Sphinxさん エフェメラル 07/6/3(日) 1:17

Re:学ぶ、続ける、弱さを認める エフェメラル 07/6/6(水) 21:07
少しずつ迷惑をかけあって生きる Sphinx 07/6/10(日) 16:23

Re:学ぶ、続ける、弱さを認める
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 エフェメラル E-MAIL  - 07/6/6(水) 21:07 -

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   こんにちは Sphinxさん
早速の返信ありがとうございます。

>私が勝手に日本語に直したものが,ここにもあります。
>http://hiroy.kir.jp/geology/audiovisual/audiovisual15.html

参考になりました!

>・読んだり聞いたりしたことは20%程度しか頭に残らない
>・見たり聞いたりすれば50%ぐらいが頭に残る
>・言ったりやったりすれば90%が頭に残る

そうですよね。
これは特別なことでもなく、私たちの日常生活を振り返ってみても例えば……

組織の中で何か新しい役割を引き受けたとして、それに関しては全くの初心者である。前任者はご丁寧に1から10まで説明してくれた。ふんふん、なるほど…
ちょっとわかった気になる。いざその役割を遂行する。ちょっと説明と違うぞ!
これ聞いてないぞ!でもとにかくやらなきゃ!自分なりに考える。自分なりにやり方編み出す。(説明と違っていても往々にしてそれはそれで大丈夫だったりする)
そして私達は言うのです。『やってみて、やっとわかったよ』

 ……「学ぶ」とはそういうことであるはずなのに、なぜ「説明したがり」「教えたがり…というか教え込みたがり」「詰め込みたがって」しまうのでしょう?
知識を授けトレ−ニングを繰り返すことで学習者の能力を高める支援よりも、自分の能力を自分で伸ばせるように《学び方を学べる支援》をしていきたい……そんなふうに思います。

>エフェメラルさんの体験型授業,「こんなことやったよ」とぜひ教えてくださいね!
>これからもよろしくお願いします。

いろいろな思いはあっても現実は日々の授業をこなすことに追われてしまっています。
でもただただシンプルに「おもしろいな」「すきだな」って気持ちは持ち続けて
いたい。それがすべての可能性や挑戦につながると思うから……と思っています。

まあそんなふうに好きで続けていることなのですが、今週は拠無い(!!)事情により授業を休まなければなりませんでした。そうなると大変です!休講とか自習という形はとってないので、とにかく誰かには教壇に立ってもらわないといけません。1クラスを週2回2人の講師で受け持っているので、まずペアの講師に言ってみます。そこで引き受けてもらえればいいのですが、その講師がまた違うクラスの授業をその曜日に持っていたりするとアウト!です。(これって講師の配置の問題だ!と思うのですが)代講してくれる講師探しをしなければなりません。初級を受け持っている講師に曜日が空いている、という理由で上級クラスを代講してもらうことになったりすると、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。幸い今回はスム−ズにいきホッとしました!
以前は授業も事情も両方完璧に対応したいと…いえ、対応しなければならないと思っていました。でもそんなことは無理で、だから短絡的に好きなことを続けている自分は悪で、続けていてはいけない、でも…みたいなすごく暗い(!)思考回路でした。でも年と共に(!)肩のちからが抜け、
困った〜→誰か助けて〜→ありがとう!感謝!感謝!→私に余力がある時は今度は私が助けるよ〜
これでいいんだな、と。
すごく簡単なようですが、私はなかなかできませんでした。困った〜が言えず、ましてや誰か助けて〜が言えず…Sphinxさん、笑ってますよね!

今の私にとってファ−ストプライオリティは何かを見極め、それに真摯に向き合い
今やるべきことを果たし、力が及ばないところは援助を求め、その弱さを忘れないでいよう…。

他に発信することで自分の意思表明になってますね!
長くなりすみません。読んでくださりありがとう!!
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少しずつ迷惑をかけあって生きる
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 Sphinx E-MAILWEB  - 07/6/10(日) 16:23 -

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   ▼エフェメラルさん:

こどもに「人様に迷惑をかけてはいけない」というような諭し方をすることがありますよね。でも,私たちは誰かに迷惑をかけずになんて生きていけないんだと思います。だから,少しぐらいの迷惑は割り切ってかけてしまったほうが,互いに楽に生活できるんじゃないかと思います。

>困った〜→誰か助けて〜→ありがとう!感謝!感謝!→私に余力がある時は今度は私が助けるよ〜
>これでいいんだな、と。

そうそう。そのために,私たちは群れて生きているんですよね。助け合うために。

大学時代,ほとんど寮生活だったのですが,寮生活はまさに「少しずつ迷惑をかけあう生活」でした。
寮時代っていうのは,今振り返っても一番濃密な人間関係の時代だったと思います。二人部屋でしたから相方の生活リズムに合わせなければ行けないことも多く,枕元で麻雀が明け方まで続くなんて日常茶飯事。でも不思議なもので慣れると麻雀の音を聞きながら熟睡できるようになります。こっちはこっちで,いつもガマンしている分,時々は音楽を少し大きな音でかけていい気分になることもありました。もちろん,それで文句を言われることはありません。
これが,互いに少しも相手に迷惑をかけずに暮らそうとしたら,麻雀もできない,音楽も小さな音で…それぞれ息がつまって苦しくなるでしょうね〜。(今の高校生の友人関係は,案外こんな感じなのではないかと思うことがあります)

>>私が勝手に日本語に直したものが,ここにもあります。

あとで思い返してみると,たぶん私が訳したというのはウソでした。m(._.)m

> ……「学ぶ」とはそういうことであるはずなのに、なぜ「説明したがり」「教えたがり…というか教え込みたがり」「詰め込みたがって」しまうのでしょう?

どうしてでしょうねぇ。
私は二つくらい仮説を思いつきます。
ひとつには,教える者もかつてそうやって「説明され」「詰め込まれ」て学んできたということ。逆にいうと,それ以外の学びを知らない。
もう一つ思うのは,上に書いたことと表裏一体ですが,学ぶ者がつねに「受け身」であること。「教えてもらって当然」「分からないのは教える方が悪い」というような感覚があるのではないでしょうか。今のこどもたちは「考えてごらん」と言っても思考停止してしまい,むしろ手取り足取り教えてあげた方が乗ってくるように思います。「生きる力」がついているとは思えません。

>知識を授けトレ−ニングを繰り返すことで学習者の能力を高める支援よりも、自分の能力を自分で伸ばせるように《学び方を学べる支援》をしていきたい……そんなふうに思います。

私も同感ですが,同志も少なく道は険しい…という予感がします。(>_<)
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