トップページへのリンク 6月研修会【心の復興プログラム研修会】

MAP研究会は,宮城県教育公務員弘済会の支援によって活動しています。

■ 日   時:2013年 6月25日(火) 10:00〜16:00
■ 場   所:自治会館
■ 内   容:講演「災害後の心のケアについて」(震災・学校支援チームEARTH 大谷誠氏)
ワークショップ「心の復興支援教育プランニング」
■ 担   当:企画部
■ 報   告:いっきゅうさん(講演会),えんやす(ワークショップ)
■ 参 加 者:18名

ワークショップの掲示物

今年度第1回目の研修会は,県の事業への協力という形で初の平日開催となりました。

今回の「心の復興支援研修会」は,「心の復興ってなんだろう」「心のケアってどんなこと?」「震災後,子どもの心が荒れるって聞くけど,実際のところはどうなんだろう?」,そして「MAPを学んでいる我々ができることってなんだろう」と事務局を中心に話し合った結果行うことができた研修会です。

その点で示唆をいただけるようにと,午前中は兵庫県震災・学校支援チームEARTHメンバーの大谷誠先生に,震災1年目以降の事例や学校現場での取り組み,兵庫県の防災教育について講演をいただきました。午後は,参加者のニーズをもとに,大谷先生にも加わっていただき,「心の復興支援教育プランニング」と題してワークショップを行いました。

講演,ワークショップを通して「安心感を与える」「教師だからできること」「温度差を埋めるには防災教育」「心のケア=心のサポート=セルフケアを引き出す」「防災知識・防災リテラシー・そして人としての在り方,生き方」「被災したからしてないからじゃなく,兵庫県で学ぶ人は〜」が,私にヒットしたキーワードです。いろんな意味で,次,他につながる内容でした。

午前中の研修

講演「災害後の心のケアについて」

講師は兵庫県芦屋国際中等教育学校の大谷先生

講師の大谷先生は,兵庫県芦屋国際中等教育学校の国語の先生です。1995年の阪神淡路大震災ではご自身も被災されました。震災から5年後に発足したEARTHのメンバーとして,心のケア班,班長としてご活躍です。EARTHは2004年の北海道有珠山噴火を初め,宮城県北部連続地震や新潟中越地震,四川大地震,そしてもちろん東日本大震災の際にも派遣されてきました。

阪神淡路大震災

阪神淡路大震災は1995年1月17日5時46分の発生,死者は6434名にのぼりました。この数字は忘れられないものです。

震災直後の児童生徒の心身の変化,急性ストレス障害(ASD)として,その時のことが思い出せない「マヒ」,災害のことを思い出せない「逃避」,はしゃぐ,眠れない,イライラする,落ち着かない「興奮,過覚醒」,フラッシュバックや悪夢などの「再体験」が起こることがあります。これに適切な対処をすることで,PTSDを阻止することができます。テレビの映像を見て,5年後に発症したという事例もあります。阪神淡路のときは,カウンセラーがすぐに配置されるとは限りませんでした。教師の日常的な指導と観察の中でしてきたことを大谷先生はたくさんお話しくださいました。

学校の対応のポイントは,「三つの安心感を与える」ということです。一つは「もう危険な目に遭うことはないという安心」,二つ目は「あなたのそばには,いつも私がいますよ,という安心」,三つ目は「誰にでも起こる正常な反応ですよ,という安心」です。この3つの安心を与えるということは,震災直後に限らず,1,2年後,その後もすることが大事です。すぐに話をしたがらない子どもに対してはムリに話を聞き出さず,しかし「話せる時はいつでも聞くよ」というメッセージを出しておきます。

阪神淡路大震災の事例から3つのゾーンを考える

ここからは震災1年目以降の事例です。一つ目は,震災から3年後,小学校5年生男子です。震災で親族を亡くした母親が,我が子を保護し続けたいという思いが強くなった(過保護)ため,夜に一人でトイレに行けなかったり,夜尿があったりということが分かりました。このケースでは宿泊学習前ということもあり,親子に安心感を与えるためにおねしょパンツの着用を進めたり,母親をスクールカウンセラーにつなぐことで母親の気持ちが楽になり,次第に過保護から脱却したということです。

二つ目の事例は震災から5年後,小学校5年女子です。震災のときは就学前だったこの子は,自宅が全壊するという被害にあいました。5年生になるまでは責任感が強く,周囲からも信頼されるしっかりした子でした。しかし5年生の秋,再建した自宅で,震災時の映像を見た時に様子が急変し,幼児語を発し,歩き方もよちよち歩きをするようになりました。年齢をたずねると,「3才」と答えます。学校の対応としては,他の児童には今まで通りの関わりを続けるように伝え,母子にはスクールカウンセラーに接するように勧めました。さらにスクールカウンセラーから精神科医への受診の勧めがなされました。精神科医からは,きっかけがあれば改善の機会となるとの見立てがあり,この子が6年生に進級し,そして母親が職場復帰をする「4月をターニングポイントに」をその機会として体制を整えて関わっていったそうです。その結果,症状が改善しました。

この2つの事例からは,災害後の3つのゾーンがあるということをふまえて,できることをするということが言えます。3つのゾーンとは,教師が関わる「グリーンゾーン」,カウンセラーが関わる「イエローゾーン」,そして医師が関わる「レッドゾーン」です。グリーンゾーンで関わる教師は,できるだけイエローゾーンの状態にならないようにできることをします。たとえばそれはセルフケアの支援であったりします。

震災関連行事とアニバーサリー反応

次の事例は,震災から1年後,小学校高学年です。地域を明るくするために最初は地域主催の祭りが開かれましたが,ここに参加した児童から「自分たちの手でやってみたい」という声があがり,児童会主催の模擬店中心の祭りを計画し実行に移しました。教師はできるだけ見守る姿勢を貫いて後方支援に徹し,児童が主体となって祭りを開催しました。この活動を通して子どもたちに元気を出させることができ,これ以降十数年続くイベントとなっています。(私はこの話を聞いて,うにがマップミーティングで話してくれた,太鼓の取り組みが思い浮かびました)

続いての事例です。震災から3年後,中学1年生女子です。小学校4年生の時に被災し,家が全焼,被害が少なかった地域に転校しました。普段は明るく,リーダー的存在の子です。この児童は学校の震災関連行事で,震災の映像を見てパニックを起こしました。学校の対応は,別室に移動させ,本人が落ち着くのを待って担任と養護教諭で話を聞きました。このとき,本人の話に応える「怖かったね」「つらかったね」「不安だったね」と共感の言葉掛けをしました。担任は家庭に連絡し,被災当時の状況を詳しく聞き,連絡を密にとるようにしました。養護教諭は「いつでも話を聞くよ」という関わり方をしました。そして翌年からは学校行事の内容に配慮し,さらに事前に内容を生徒に知らせ,参加の有無を本人に決めさせるようにしました。この生徒は翌年はこの形で,行事に参加を決め,前年のようなパニックにはなりませんでした。(私は,これから行われるであろう震災記念行事を実施する時の配慮事項として大事だなと思いました)

さて,この事例にあるような被災後1周年等の節目の時期に起こるストレス反応の再燃を,アニバーサリー反応といいますが,これは程度の差はありますが,年齢に関わらず誰にでも起こり得る反応です。きっかけはテレビ番組やマスコミ報道,学校等の追悼行事などがあります。震災を思い出したくないという逃避行動が引き起こしますが,その逆に,震災に向き合うという活動をしていくことを兵庫県では行ってきました。それが「喪の作業」です。

喪の作業

災害後のストレス反応の一つである喪失反応は,起こった結果を否認したり怒りや自責の念にかられたりということが,抑うつ等の身体化を引き起こすこともあります。これを「喪の作業」を通して,大切な人やものを失ったつらさを対象化し,思い出し,向き合う作業をすることで,喪失反応の収束を図ります。「喪の作業」は個人的な作業としては,手紙を書いたり亡くなった方の足跡をたどるといったことがあります。全体的な作業としては,慰霊の会や植樹,文集作りなどがあります。

喪の作業の事例として,芦屋市立精道小学校の取り組みが紹介されました。1年生の課題別学習では「いのちの大切さを知る」をテーマに,折り鶴の紙に言葉を書き,震災のビデオを見て,「米津さんのあのね帳」を読んで感想を書きます。「米津さんのあのね帳」は当時1年生だった子が震災で亡くなる前に書いたあのね帳で,兵庫県で学んだ人は必ず知っているものだそうです。6年生の課題別学習のテーマは「震災から学び,伝えよう」で,神戸にある「人と防災未来センター」を見学し,調べたことを5年生に語り継ぐ活動をします。そして毎年行われる「追悼式」を自分たちの手で心をこめてしようと児童が主体となって準備をします。今年の追悼式では,震災当時の6年生の担任や震災当時6年生で,現在小学校教師になっている人の話を聞いたりしたそうです。

追悼式

追悼式のテーマは,震災1年目から数年後までは,教師が中心となって計画し,亡くなった方たちへの喪失感を受け止めながら語り合う「被災から復興に向けて」でしたが,10年後から現在は,教師中心から児童の主体的活動に移り,主眼も「語り継ぐ,伝える」というように変わってきました。

思い出し向き合う作業という性質上,事前の配慮も必要です。子どもたちには「こういうことが起きるかもしれない。誰にでも起きることだよ。そうしたときは,こうするといいよ。」という話もしておきます。内容は保護者にも事前に知らせておき,カウンセラーにも相談しておきます。(そしてもう一つ,ただ追悼行事をすればいいというやり方ではだめ。子どもたちに「何のためにするのか」という目的意識をしっかりと理解させるインストラクションやシークエンスが大事なのだという趣旨のお話がありました。)

阪神淡路大震災のときの要配慮児童の推移

阪神淡路大震災のときの要配慮児童の推移ですが,総数では震災後5年目から明らかに減少に転じました。しかし,要因別に見てみると,「家庭ストレス」と「経済ストレス」による要配慮児童の数は震災後5年間増加し続けました。他の要因に比べて減らないのです。これは,復興が進むにつれ,取り残され感がストレスになるからです。周りがきれいになっていってるのに,自分の家はまだ再建できない・・・といった状況です。東日本大震災では,さらにこの状況は長く続くと考えられます。それは阪神淡路のときは,土地が残って同じ場所に再建できたからです。津波浸水地では,住まいの復旧に長くかかることが予想されます。

経済状況の改善については,学校教育の範疇を越えています。しかし,保護者へのケアはやり方次第でできることもあります。たとえばストレスマネジメント講習や,学校で児童に対して行ったセルフケアの方法を,家庭でも一緒にやってみるように促したりすることです。保護者参観日に,大震災に伴う体験の表現やリラックス法についての授業をした事例もあります。

兵庫県では,震災後に教育復興担当教員が配置されました。子どもの心のケアや家庭での環境整備の支援,新たな防災教育の推進が役割です。小学校では子どもたちと鬼ごっこやボール遊びなど身体を共に動かし,スキンシップをとり,さらに不安感や恐怖感を当然のこととして受け止めるようなアプローチをしました。中学校区では傾聴姿勢を忘れず,不安や恐怖を自然な形で表出させたり,集団での役割を自覚させるサポートをしました。一人一人の子どもと向き合い,あせらず関わって行き,健康な自我の育成を重視しました。これは教師だからできることです。

東日本大震災における宮城県派遣(EARTH)と教職員のストレスケア

EARTH員の東日本大震災における宮城県派遣についてです。3月15日には南三陸町に派遣され,その後沿岸部を中心に各市町で活動をしました。夏休みの学習支援などですが,子どもたちと食事を共にするなど,自然に話ができるような関係を作りながら支援にあたりました。

派遣活動を通して感じたことは,阪神淡路大震災以上に長期的展望にたった心のケアの必要性です。これはさっきあげた,経済的ストレスが長期にわたることが予想されるからです。さらに,児童生徒間の温度差の広がりへの懸念です。子どもは置き去り観や心的ストレスを心に閉じ込める傾向にあります。また,教職員への心のケアのサポートが必要です。

被災者の支援に加え,自らも被災している二重のストレスがあっても,教職員は「自分が頑張らねば」と頑張りすぎて,いわゆる燃え尽き症候群になることが危惧されます。

阪神淡路大震災11年後の調査で,11年経ってもストレスを強く感じる群の教職員は,「震災のことは考えないようにとの回避対処を行ってきた」傾向にあり,逆にストレスの低い群は「震災に向き合う時は向き合い,語り合い,分かち合う対処を行ってきた」とのことです。

教職員のストレスの対処法ですが,「仕事を決まった時間で交代し,責任のない立場や時間を設け,自分との対話を大切にする」「仲間同士で観察し合い,助け合う」「ミーティングにより,グループによる体験の共有化を図る」ということが挙げられます。夜のミーティングもですね。EARTH員も,災害派遣中は必ず夜のミーティングをもっていました。また,「楽しむ時間をつくる」「ストレスマネジメントによるセルフケアを行う」という解消法もあります。呼吸法,筋弛緩法,ペアリラクセーションなどです。(呼吸法と筋弛緩法は,午後の質疑タイムの中で,実際にやってみました)

兵庫県の防災教育

兵庫県の防災教育についてですが,震災前までは,防災教育=避難訓練でした。しかし震災後,「新たな防災教育」の推進がはかられました。その3本柱は,自然災害のメカニズムや歴史を学習する「防災知識」,災害発生時の行動などを学習する「防災リテラシー」,そして「人としての在り方・生き方」の学習です。防災教育における「人としての在り方・生き方」とは,助け合い,ボランティア,共生です。命の尊重をし,他者を思いやり,人と人とのふれあいを大切にするということです。中高生のボランティア活動などの具体的展開は,被災者に明るさ,生きる勇気,希望を与え,被災者の「こころの復興」に大きな貢献をしました。それにボランティアをした生徒自身も,やりがいを感じ,自信を持ち,積極性が出るという変容がありました。「自分が必要とされている」と感じることは,生徒の心のケアにもなります。人としての在り方,生き方を学ぶというのは最大の防災教育になります。

まとめ

「心のケア」=「心のサポート」=「セルフケアを引き出す支援」です。私たち教職員だからこそできるサポートを,無理せず,息長く続けられるようにしていきましょう。

最後に神戸の震災復興のテーマソングのようになっている「しあわせ運べるように」を紹介してもらい,みんなで聴きました。

振り返りと午後の活動の焦点化

参加者のみなさんに,「講演を聞いて考えたこと」「もっと知りたいこと(質問)」「午後のワークショップで話題にしてほしいこと」を紙に書いてもらいました。このニーズアセスメントから午後は「学校でやってみたい防災教育」「温度差への対応」「教員としてできる具体的なサポート」の3テーマでのワークショップが決まりました。

午後の研修

午後のスタートはアイスブレーキングから。もちろん?!大谷先生も一緒。えんやすのファシリテートで,まずはじゃんけんチャンピオン。握手,自分の名前,午前の講演で心に残ったことを一つ話してからじゃけんです。相手を変えて3回勝った人から椅子に座っていきました。つづいてハブユーエバー。最後に仲間集まりをして,そのお題が「午後のワークショップで話し合いたいテーマが同じの人」で集まりました。

約1時間半の話し合いがスタート。午前の講演を受けて各自が書いた「みんなで話し合いたいこと」を掲示し,自分たちで眺めながら,より深めてみたいテーマを設定して90分間話し合いました。講師の大谷先生には,各グループを約10分ずつ移りながら一緒に話し合いに参加し,助言をいただきました。

それぞれのグループが「心の復興教育プログラム」として,話し合ったことを発表しました。各グループが発表した「心の復興プログラム」を紹介します。

教員としてできる具体的なサポート

ワークショップのメモ:教員としてできる具体的なサポート

学校でやってみたい防災教育

ワークショップのメモ:学校でやってみたい防災教育

温度差(津波による沿岸部と内陸部の意識)

ワークショップのメモ:温度差(津波による沿岸部と内陸部の意識)ワークショップのメモ:温度差(津波による沿岸部と内陸部の意識)追加

以上です。これをぜひ私たちの宝物にして,前に進むことができたらと思っています。