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kuniの研修日記(16)
「心の冒険教育」ワーキンググループ・体験会

8月15日 「心の冒険教育」ワーキンググループ・体験会(高知県教育センター分館)

「枠(わく)」

 体育館を見渡すと参加者が続々と集まってきているのですが,全員が体育館の壁のところに座っています。まるで「枠(わく)」のようです。もう始まろうとしているのに,真ん中の方にいる人はほとんどいません。

「これ,格好の材料だね。」

 ここからは,KATワールドが始まりました。

「アドベンチャーの定義ってなんでしょうね。誰か言ってくれる人いますか?」
「思っていても言えないでしょ?それは生徒も一緒。それなのに,先生は生徒に『何で言わないの?』と言ったり,時には怒ったりして…。」
「『言えない自分』がいる。それを認識して,アドベンチャーとはそれを越えることなんです。『手をあげる』ことも一つのアドベンチャーなんですよ」

こんな感じで始まりました。

 PAの歴史について,OBSやらKATの留学経験からなどいろいろな視点から説明がありました。そして,それを聞いていた参加者の表情もだんだん明るく,顔に笑いが満ちてきて…。アクティビティでワイワイガヤガヤ,楽しい雰囲気ができあがってしまいました。やったのは…オーラ,らせん,ソーセージ。

「遠くを見ないと見えない。遠くの目標を見据えるとソーセージが見えてくるんだよね。」

kuni,奮闘!

 そこからは,体験レベルで偏りの出ないよう配慮し,4つのグループに分かれての活動になりました。僕のグループにも30人くらいの方が見え,始まりましたちなみに部屋は,冷房の効いている部屋。ラッキー!

 アクティビティはこんな感じです。

で終わりました。参加者の皆さんの協力もあり,時間は1時間。汗を流しながらもとても楽しい時間でした。

動く彫刻

 ここから,昼食をとって…

 午後の活動は,また120人が体育館に戻ってきての活動となりました。KATがリードします。

 グループ毎にまとまっているところで,「人とつきあう上で大切なものってなんだろう。それを少しの間数人で考えてみてください。」再びクイックノームです。

「よろしいですか?それでは,それをその数人で彫刻化してください。動く彫刻です。そしてそれを,グループ毎に模造紙にあらわしていってください。」

 グループ毎に動く彫刻の発表会が始まりました。「愛情の形」や「困難を乗り越える形」など様々で,今度はそれを3枚を合わせた模造紙に書いたりで,みんな動き回っていました。それを終えると,今度は4カ所にできた大きな模造紙を他のグループが見合う展覧会です。体育館じゅうがほんとに何かの展覧会をやっているように,流れができるような活発さでした。

 そして,休憩を挟んで,Bridge Itです。クイックノームをしたメンバーでグループを作り,交渉を重ねて同じ橋を造ります。

 その間,僕たちKAT以外のスタッフは裏方の仕事が大変でした。「模造紙に,ルールと時間を書く。」「それぞれの制作場所を探し,確保する」「交渉場所の設置(イス並べなど)」です。それだけで汗だく。参加者がどんなことをやっているのか,あまり気を配る余裕がありませんでした。正直…。

 そんなこんなで振り返りをし,「『心の冒険家』にならないと…。」という呼びかけにみんなで「オーッ!」と賛同して,終わりとなりました。

再会を誓って…

 ここでの出会いは,これまでの研修と比べても,何物にも代えがたい出会いとなりました。介良潮見台小学校の皆さん,そして声優の島本須美さんとすぐご近所で仙台だったら牛タンでしょ,と言う宮地暁男先生,とにかくファイトにあふれ,自分がPAJの体験会に参加して初めてこの意味を知ったと熱い口調で語っていた森本民之助先生,そして僕のつらい状況に同じ気持ちになって立ち会ってくれ,励まし合わせていただいたやだピー,矢田幸嗣先生。高知県は本当にPAを導入する土壌になっていけるのでは,と言うことを強く感じました。「またどこかでお会いしましょうね。」再会を誓って,車に乗り,高知空港へと向かったのです。

 「またどこかで」,社交辞令のように聞こえるでしょう?しかし,これが本当に実現してしまうのがPAなのです。それがフルバリューなのです。

 事実,宮城県と高知県というつながりの中で,僕は今まで一人も高知県に知り合いはいませんでした。  しかし研修から帰ってきたこの短い間に,実は本当に再会を果たしてしまったのです。やだピー(矢田幸嗣さん)とは,9月末に自費で参加したPAJ主催の2泊3日のファシリテータートレーニングで,そしてコニタンとは12月はじめの京都への修学旅行で,夜間外出の時にちゃっかり外出して一緒にご飯を食べちゃいました。さらに,なんと12月中旬に宮地先生が学校視察と言うことで,宮城県をそして蔵王高校を訪れていただいたのです。僕もがんばって,公開の授業をしちゃいました。本当に会えるんですよ。「また会いましょう」って言えば…。

「無理だって!あきらめなよ!」

 コニタンとはそこでお別れし,KATとマスターと羽田への飛行機に乗りました。もちろんその前に「お疲れさん」のちょっと一杯と名物「鰹のたたき」をつまんでからね。問題は,その日のうちに仙台に帰れるかどうかと言うことでした。なぜかというと,翌日から花山でのABCが始まるからです。もちろんそこにもKATとマスターに来ていただくのですが,僕も着替えや準備なども含めてその日のうちに帰っておいた方がいいかな,と思っていたのです。(マスターは家が静岡なので,もちろんその日も東京に泊まり,もう2週間以上出張生活が続いてはいるのですが…。大変ですねえ…。)

 「無理だって!あきらめなよ!」PAの言葉とはほど遠い,励まし(?)で僕はてんてこ舞いです。こんなPAとは正反対の言葉を使って僕を冷やかすのは,何を隠そうKATとマスター。

「これじゃ絶対に間に合わないって。今日は泊まった方がいいよ。僕は子どもの顔を見に帰るけど」とKAT。
「一緒に泊まろうよ,kuni。」とマスター。

 彼らいわく,羽田の構内図を完璧に理解して,電車の乗りかえも完璧にできるくらい号車も考慮に入れて走れば,何とかなるかもしれないけど,「kuniは羽田から何に乗っていけばいいかわかる?」「わからない…」

 一生懸命がんばろうとする僕に「ムリ,ムリ!」と余裕の二人。結局,羽田に着いたところであきらめました。そこでKATと別れ,マスターについて蒲田へ。マスターお勧めのカプセルホテルに泊まることになりました。近くの居酒屋で,反省会。「kuniももう少しで終わりだねえ。これが一緒に回る最後だねえ。何かそう思うと寂しいもんだなあ…」なんて話をしていると,妙にしんみりしてくる僕でした。「マスター,今日のKATからのフィードバック,マスターも感じてました?」「うん,まあね。でもkuniだから言ってくれたんだろうし,言ってもらえてよかったね。僕もいつもたくさんのフィードバック受けてるから…」などと話しているうちに夜も更け,明日からの(スタッフとして前泊なのです)花山ABCにそなえて,お休みなさいでした。

 翌日は朝,東京駅に向かい朝食をとりました。あのアジア料理屋さんで。そして僕は新幹線で仙台へ,マスターは渋谷のオフィスへと向かいました。その6時間後にまた再会することになるのですが…。

kuni