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>>高校生が「本当はこの学校には来たくなかった」と言うのを何度か聞いたことがあります。親や中学校の先生に説得されたと言うのですが,その来たくない学校を受験しに来たのは誰でしょう?来たくないといいながら,なぜ来るんでしょう?
この時代、高校卒業資格は大きな意味を持つ。雇用条件や大学の受験資格にあげられたり、また社会的な視線もそうである。それゆえ高校を出ないということは社会的なハンディを背負うことに等しく、そのような生きかたを選ぶのはあまり得策だとは言えない。このような状況から中学生の多くは高校に行きたいから行くのではなく、高校に行かなければ不利になるから行くのである。それは積極的というよりむしろ消極的な動機と言える。
それからもっと根本的なことを訊きたい。そもそも「本当に行きたかった高校」など「本当に」存在すると考えていいのだろうか?
あなたは語られた言葉の文字通りの意味にしか反応できてないだけなのだ。そのような実在論的な解釈を施すこと自体、誤りだと言わねばなるまい。
要するにあなたは自分のパースペクティブから問題の全体図を推し測っているだけなのであって、その了解自体が不正確ならばあなたの言動は無意味ということになる。
「戦争反対」の美しい一言で世界中の民族紛争や宗教的な対立を調停できるなら人類に悲劇の歴史は今まで存在してこなかったはずだし今もないはずだ。にもかかわらず「戦争反対」とのたまって然り顔をするのは、あのね、それは無責任な傍観と言う。
>>自分の感情を自分のものと自覚できていない人にも,時々お目にかかります。あるできごとに対してどんな感情を持つかはその人の問題であって,できごとのせいではありません。あなたが何かに怒りを感じたとしても,その何かがあなたを怒らせているのではありません。学校に来ているのも,怒っているのも,自分がそうしているからそうなっているのです。
オメデタイくらいあまりにも幼稚な発想。
それはどんな文脈も削ぎ落としてしまえばそう言えるだけのことであって、ひたすら傍観でしかありえない。アホですか
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