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かっちママさん こんにちは。
>今朝は涼しいですね。
先週末は涼しかったですね。私はJRCの生徒たちと泉ヶ岳にいたので,仙台市内よりさらに涼しかったです…というか半袖だと寒かったです。また暑くなっちゃいましたね〜。
>私としては挨拶はきちんと!とかっちや次男に言ってるけど・・・
>でも、きっと先生みたいに思ってくれてる人は少ないから損してるだろうな〜
それが悩ましいところですね。こちらは個性でよいと思っていても,周りがそう見てくれるとは限らない。私たちは「型」で相手の気持ちや意図を理解することが多いですから,「型」にはまらないやり方をされると誤解が生じることが少なくありません。
あいさつにもちゃんと「型」があって,それはひとつの文化なんだと思います。だから,親が自分のこどもにあいさつの型を教えることはとても大切だし,学校においても低学年になればなるほど,型を教えこむという指導は欠かせないことです。
これに関連して,最近とても印象深かった文章があるので紹介します。小泉内閣メールマガジンの中で,狂言師の野村萬斎さんが「教養とは」という題で寄稿したものです。
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2002/0725.html
私は野村萬斎さんのこの主張に共感しています。
話をあいさつに戻すと,私が思うのは型を教えるのは必要だけど,それを強要する必要はないということ。それから,私たちは型だけでその人の気持ちを判断しがちだけど,ちょっと想像力と観察力を働かせれば,型くずれのあいさつからでも,相手の気持ちを感じることができるんじゃないか…そういうことです。
>でも、養護学校ではあいさつ気持ちいいよね。
>みんな、元気にあいさつしてくれて・・・
はい,そういう場面が多いですよね。私も毎朝,彼らを昇降口で出迎えるとき,元気なあいさつからパワーをたくさんもらっていました。
でも一人一人をよく見ていると,元気なあいさつだけじゃなくて,ニコッと笑うだけのあいさつだったり,視線がチラッと来るだけのあいさつだったり,ある決まったあいさつとは関係のない言葉だったり,本当に一人一人の表現であいさつをしてくれているということにすぐ気づきますよね。十人十色の朝のあいさつでも,こちらが想像力と観察力を駆使すれば「やった!あいさつをしてもらった!」といい気分に浸ることができます。
人間関係の中にある程度の「型」というのは必要だと思うんですが,その型に頼りすぎると,そういう型にはまらない人とのコミュニケーションを楽しむことはできなくなるんじゃないでしょうか。そうやって,自分の生きる範囲を狭めないようにしたいなと思いますし,もっとたくさんの人がこういうことに気づいてくれたらなと思います。
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