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Tの気づきとは? エフェメラル 07/6/16(土) 2:03

「できる子は放っておく…だってできるんだから」 Sphinx 07/6/17(日) 7:26
Re:「できる子は放っておく…だってできるんだから」 エフェメラル 07/6/23(土) 2:30
馬を水場に連れて行くことはできるが… Sphinx 07/6/23(土) 7:40

「できる子は放っておく…だってできるんだから」
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 Sphinx E-MAILWEB  - 07/6/17(日) 7:26 -

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   ▼エフェメラルさん:

こんにちは。

>★受け身じゃないLってどんなLですか?
>★「教えてもらえれば習得できる」逆にいえば「習得できないのはきちんと教えてもらえないからだ」という信念を再考してもらうにはどうしたらいいのでしょうか?(Tの力不足の言い逃れととられる?)
>★Lが自分の道しるべを自分で決定していくのに必要なTの役割ってなんなのでしょうか?

私の感覚に一番合うのは,PISAのテストで世界一となったフィンランドの教育です。フィンランドの教育についての1冊の本を少しずつ読んでいるところですが,例えばこんなことが書いてあります。

「フィンランドの学校は,できない人の底上げはするけれど,できる人は放っておくんです。だってできるんだから」
「PASAの重要な成果の一つは,生徒個人の成功にとって自らのやる気と動機がきわめて重要であるということです」

フィンランドの教育の特徴は,平等と個別化です。習熟度別のクラスわりはしない。だけど,集団は小さく,授業の中での学びは個別化されている。こどもたちはその中で自分の責任と意欲で学んでいるのです。

自己教育力とか自己強化という言葉がありますが,学校教育の究極の目標はこの「自分で学び続ける意欲と力」をつけることだと思いますねー。一生学び続けること(生涯教育)は,人生の楽しみでもあるし,人生をステップアップするために必要なことでもあります。

>自分のなかで一つだけわかっているとすれば、
>『Lの黒子であれ』『Lの踏み台であれ』ということだけなのです。

自分で学ぶことが楽しい,努力できる自分がうれしい,自分の成長は喜びである,そういう感覚を持ってもらうのが教師の仕事だと思ってやっていますが,では何を与えたら,どんな体験をさせればそうなるか,というところが問題なわけですね。
『Lの黒子であれ』『Lの踏み台であれ』というのは,学びの主役を教師が奪わないということだと思いますが,それもとても大切なことだと思います。生徒に失敗させることも含めて。最近の教育は,生徒に失敗をさせないようにできてませんか?

>MAPの実例をもっと知りたいと思っています。
>MAPではどのようなカリキュラムがあるのですか?
>それぞれのねらいはなんですか?
>実際プログラムをやる前にLは何に気づきますか?何を思いますか?
>やった後には何に気づきますか?
>それがLの社会生活のどういうことにつながっていきますか?
>そしてこれが一番の関心事ですが、
>Lの一連の流れを見たTは何に気づき、何を改善しますか?
>何を授業に取り入れようとしますか?

そうですね…。ここに文章だけでこれらのことを表現することは難しいです。

2泊3日でいくつかの学校から集まってきた20名ほどの生徒を受け持ったとき,その中で数人のリーダーグループが形成されました。そのリーダーたちは議論や活動で常に中心となり,テキパキと進めているように見えるのですが,実は他のメンバーの声を十分に聞いていないために,リーダーたちと他のメンバーの信頼関係はありませんでした。1日目にそういう状況が見えたので,翌日にどのような活動を持っていくか,私たちは深夜まで話し合いました。ポイントは,そういう状況がよく見える活動を持っていき,それについてみんなで話し合い,気付きを求めていこうというものでした。

2日目。ちょっとしたアイスブレーキングの活動のあと,メインの活動を行いました。内容は,1から30までの数字が書かれたスポットを,全員で分担して順番に踏んでいく」というようなものです。タイムトライアルで目標を設定して制限時間内にクリアするのが条件。数字のエリアには同時に二人以上存在できないなどの条件があります。昨日と同様に,リーダーグループだけが発言をしてやり方が決まり,他のメンバーは無言で従います。でも目標を達成できませんでした。

活動後に今の活動を振り返ります。片手で今の活動の満足度を表現すると,2や3が目立ち,5はほとんどいませんでした。
・どうしてこんなに満足度が低い?
・みんなの満足度を5に近づけるにはどうしたらいい?
そんな話し合いを行いました。その結果出てきたことは,
・一人一人の意見を聞く
・今まで黙っていた人も意見を言う努力をする
・言えない人がいたら「〜さんはどう?」と発言を促す
ということです。全部生徒たちからでてきた言葉です。

では…その約束を次の活動で実際にやってみましょうか。ということで,昨晩想定していた活動の中から一つ選んでやってみました。丸太の上に一列に乗って,落ちないで誕生日順に並べ替えるという活動です。丸太に一列になっているので,丸くなって相談すると言うことができず,一列になった丸太のいろんな場所で「どうやればいいんだ?」「こうしてみたら」というような話し合いが生まれます。

課題を与えられたときは「えー」という驚きの声があがり,そんなの無理だという心の声も聞こえてきましたが,みんなであれこれ相談してやってみると,ちゃんと昼食前に課題を達成してしまいました。2泊3日の研修の中で,この活動が一番印象に残った生徒が何人かいました。

この活動で,生徒たちの結びつきがグッと強まりました。遠慮していた(主に女子)生徒が意見を言うようになり,リーダーたちもその意見を上手にすくい上げるようになり,グループが全体的に動き出していきました。

※ちなみにこれらの活動はすべて林の中で鳥のさえずりを聞きながら行います。気持ちいいですよ!

少し長くなりましたが,MAPではこのように集団の様子を活動の中から観察し,その集団が学びを得られるような活動を選んで与えていきます。その活動をしただけ終われば個人内の学びに限定されてしまいますが,活動後に全員で話し合いをすることによって,集団の学びにしていくのです。ちょっと言葉が足りませんが,雰囲気はつかんでいただけるでしょうか。
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; Intel Mac OS X; ja-jp) AppleWebKit/522.10.1 (KHTML,...@ntmygi089170.mygi.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

Re:「できる子は放っておく…だってできるんだから」
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 エフェメラル E-MAIL  - 07/6/23(土) 2:30 -

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   ▼Sphinxさん:

こんにちは Sphinxさん!

返信ありがとうございます。いつもヴォリウムのある内容に感嘆し、ただただ読み入ってます!

>「フィンランドの学校は,できない人の底上げはするけれど,できる人は放っておくんです。だってできるんだから」
>「PASAの重要な成果の一つは,生徒個人の成功にとって自らのやる気と動機がきわめて重要であるということです」

確かに、motivationの高さがすべてを決定していると思います。
今受け持っているクラスの一つですが、実は非常にやる気のあるLが多いのです。
おもしろいことにやる気のあるLもいればやる気のないLもいる…という現象にはならず、クラス全体がTに対して意欲という大きな塊となってぶつかってくるような
勢いなんです。もともと全員がmotivationを高く持って参加してきたわけではないのですが、何人かの意欲的なLの影響というものが大きく作用して、それによってクラスが形成されていくんですね。私がいいなぁ…と感じているところは、わからないところをわからない、と言える。そしてわかるまで突っ込んでくる。まず言ってみる。まちがえると一斉に他Lが正しい答えを言うのですが、だからといってくじけない。。(私が関わっていることの学習者は大人なので、そういうことがなかなか難しかったりするのです。大人特有とは限りませんが…)逆に自分のまちがいに対する助言を自分自身にきちんとフィ−ドバックできている…というところです。
リセプタ−があるかどうか、という表現がありますが、彼らには今学んでいることへのリセプタ−が創られているということなのでしょう…。
私が気に入っている話なのですが…どんなに価値のある話をしたからといって、それ自体が価値を生むわけではない。価値を生むのは聞き手の側であって、話し手ではない。大した話でなくても、そこからヒントを勝手に見つけて価値を生み出す人もいる…〈もしもウサギにコ−チがいたら〉より抜粋
80分の授業の中にいかに価値を見い出すかはその学習に臨む学習者自身の気持ちのありようが大きく影響しているということでしょうか。

>>自分のなかで一つだけわかっているとすれば、
>>『Lの黒子であれ』『Lの踏み台であれ』ということだけなのです。

間違えました!黒子は黒衣です。プロンプタ−のことですね!

>自分で学ぶことが楽しい,努力できる自分がうれしい,自分の成長は喜びである,
そういう感覚を持ってもらうのが教師の仕事だと思ってやっていますが,では何を与えたら,どんな体験をさせればそうなるか,というところが問題なわけですね。

これを読んで気づきました!自分で学ぶことが楽しくて、努力できる自分がうれしくて、自分の成長が喜びなのは、実は今の自分なんです。(教えることは学ぶこと…ですよね?)
…で自分に振り返ってみてどうして私はこういう感覚を持っているのかな、と
思いを巡らせてみました。自己分析して、こうだからこうなった…というようなことが言えればよかったのですが〜「今やってることが好きだから」やはりこれだけなんですね。そして発見!ですが、私は確かにたくさんの勉強する機会を経て今に至っているのですが、何かを与えられた、という感覚がないことに気づきました。
もちろん、講義をして下さった先生方には私はその講義を『与えられた』わけなのですが、私にあるのは、自分で掴み取って今の私がある、という感覚です。
そして、そういう感覚を持ち続けることに《失敗》は何のマイナスの影響ももたらさないことも身をもって感じています。だって私の授業は失敗だらけなんです。
あまりにも失敗が多いがために、たまにくる小さな成功で数日生き延びられているのかもしれませんが!
でも《失敗》に対しての感覚は人それぞれ違うでしょうから一概にマイナスにはならない、とは言えないのかもしれませんが…。授業のなかではよく「教室は間違える場所ね。」とは言いますが、やはり間違い=自分の失敗を非常に恐れる人がいることも事実ですね。
私にとっては《失敗》は“Ever Upward”のための階段です!

>そうですね…。ここに文章だけでこれらのことを表現することは難しいです。

ありがとうございます。情景が浮かぶようによくわかりました。

>1日目にそういう状況が見えたので,翌日にどのような活動を持っていくか,私たちは深夜まで話し合いました。ポイントは,そういう状況がよく見える活動を持っていき,それについてみんなで話し合い,気付きを求めていこうというものでした。

《PLAN→DO→LOOK→THINK》を見つけてからこの言葉をいつも頭の中にいれているのですが、Sphinxさんも書いていたように、どうしても《DO》の部分を中心に考えてしまい、それのみで終わってしまいがちです。《DO》が目的ではなくそこで何かに気づいてもらうことにウェイトを置かなければならないのに、いえ、多分そう考えていると思っているだけで実際は考えられていないような気がします。視点を変えなければいつも同じ方向から見てしまうから変わらないのかもしれません。

上で述べたように、今のやり方は何かがちがうのではないか?とか自分自身が身をもって学習のありかたという部分に着目しているにもかかわらず、では何をどうしていったらいいのか身動きできていないのが現状です。
MAPがどのような経緯で確立されていったのかはわからないのですが、共通意識を持つ方々がいらっしゃって最初の一歩が始まったこと、とてもうらやましいです!

では! ☆エフェメラル☆
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@softbank221020118225.bbtec.net>

馬を水場に連れて行くことはできるが…
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 Sphinx E-MAILWEB  - 07/6/23(土) 7:40 -

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   ▼エフェメラルさん:

どうもです。
返信は急がずにマイペースでいいですよ。
書きたいときに書けるのが,インターネットの掲示板のいいところですから。

>おもしろいことにやる気のあるLもいればやる気のないLもいる…という現象にはならず、クラス全体がTに対して意欲という大きな塊となってぶつかってくるような

モチベーションの低い人が高い人の行動に引っ張られるというのはありますよね。それが集団で学ぶ理由の一つでしょう。逆に,モチベーションの低い一人に全体が引っ張られるということもあって,なかなか難しいですが。

>私が気に入っている話なのですが…どんなに価値のある話をしたからといって、それ自体が価値を生むわけではない。価値を生むのは聞き手の側であって、話し手ではない。大した話でなくても、そこからヒントを勝手に見つけて価値を生み出す人もいる…〈もしもウサギにコ−チがいたら〉より抜粋

小説や音楽も,作者のねらい通りに私たちが受け止めているわけではない。同じものに接して同じように「感動した」と言っても,実は別々のところに感動してる…とか。受け止め方にはそれぞれの人の人生や感性(バックグラウンド)が反映していくんですよね。

You Can Take a Horse to the Water, But You Can't Make it Drink.
水場に連れて行くのが授業で,飲むのは生徒。でも,飲ませるのが仕事って思っている先生,飲ませられるのが勉強と思っている生徒も多く…。生徒主体の学校になる日は来るのでしょうか!?

>これを読んで気づきました!自分で学ぶことが楽しくて、努力できる自分がうれしくて、自分の成長が喜びなのは、実は今の自分なんです。(教えることは学ぶこと…ですよね?)
>そして発見!ですが、私は確かにたくさんの勉強する機会を経て今に至っているのですが、何かを与えられた、という感覚がないことに気づきました。

そうなんですよ。自分がそうだから,そういう感覚になる。私もこどもの頃から学ぶことが好きでした。そして自分のキャリアを自分でつくってきたという感覚があります。

学ぶことは好きでしたが,授業はそれほど好きじゃなかった。自分のペースとあわないんですよね。高校時代,数学のある分野に引っかかってずっとそのことを考えていたら,気づいたら授業は1章ぐらい先に進んでしまったということがありました。「もっと考えたいのに…」とイライラしたことを今でも覚えています。大学時代にも,微積分のちょっとした部分(ε-δ法)にはまってそこばっかり勉強していたら,すっかり取り残されていたということもありました。一番楽しかったのは高3の数学で,この授業は「聞きたければ聞いていいよ。自分でやりたければ自分でやって。」という授業で,私はひたすら自分で勉強していて教科書を1学期ですべて終えてしまいました。

そういう感覚に近いのが,先のコメントにも書いたフィンランド教育です。フィンランドのこどもたちは試験がないのにとても主体的に学んでいます。
MAP研の掲示板(情報交差点)でも今フィンランド教育の話が出ていて,実際に見学に行った先生のコメントもありますので,よろしければご覧になってくださいね。
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; Intel Mac OS X; ja-jp) AppleWebKit/522.10.1 (KHTML,...@ntmygi089170.mygi.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

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